弁道話(一)序#
『弁道話』の冒頭、道元禅師が坐禅を説く理由と、仏法の伝来を述べる段です。
原文#
【1】諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧その標準なり。
【2】この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし。諸仏のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覚をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覚に方面あらはれず。
【3】いまをしふる功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超関脱落のとき、この節目にかかはらんや。
【4】予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華、すみやかに九廻をへたり。いささか臨済の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の仏法を正伝せり、あへて余輩のならぶべきにあらず。
【5】予、かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらひ、家風を五門にきく。つひに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ。それよりのち、大宋紹定のはじめ、本郷にかへりし。すなはち弘法救生をおもひとせり、なほ重擔をかたにおけるがごとし。
【6】しかあるに、弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄して、まさに先哲の風をきこえんとす。ただし、おのづから名利にかかはらず、道念をさきとせん、真実の参学あらんか、いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑふて、ひさしく迷郷にしづまん。なにによりてか般若の正種を長じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはん。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、仏家の正法をしらしめんとす。これ真訣ならんかも。いはく、
【7】大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖祖正伝して菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづから神丹国におもむき、法を慧可大師につけき。これ東地の仏法伝来のはじめなり。
【8】かくのごとく単伝して、おのづから六祖大鑑禅師にいたる。このとき、真実の仏法まさに東漢に流演して、節目にかかはらぬむねあらはれき。ときに六祖に二位の神足ありき、南嶽の懐譲と青原の行思となり。ともに仏印を伝持して、おなじく人天の導師なり。その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。いはゆる、法眼宗・潙仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗なり。見在大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一仏心印なり。
【9】大宋国も、後漢よりこのかた、教籍あとをたれて一天にしけりといへども、雌雄いまださだめざりき。祖師西来ののち、直に葛藤の根源をきり、純一の仏法ひろまれり。わがくにもまたしかあらんことをこひねがふべし。
現代語訳#
段落番号【1】〜【9】は原文の段落番号と対応します。( )内は、原文にない語を補ったものです。仏教語・固有名詞は訳さずに残し、必要に応じて段落の後に「語注」として説明しました。
【1】諸仏如来は、みな(同じく)妙法を単伝して、阿耨菩提を証するのであるが、(そこには)最上で無為の、すぐれた方法がある。これが、ただ仏から仏へと授けられて、よこしまな(ゆがんだ)ところがないのは、自受用三昧がその標準(となっているから)である。
語注
- 諸仏如来:あらゆる仏。「如来」は仏の尊称。
- 単伝:師から弟子へ、ただ一筋にまっすぐ伝えること。
- 阿耨菩提:阿耨多羅三藐三菩提の略。この上ない、完全なさとり。
- 無為:作為やはからいを加えないこと。
- 自受用三昧:さとりの境地を自らが受けて用いる三昧(心が一つに定まった状態)。この巻の中心となる語で、内容は解説で扱う。
【2】この(自受用)三昧の中で自在にはたらくには、端坐参禅を正しい入り口としている。この法は、一人ひとりの身の上に豊かにそなわっているけれども、修行しなければあらわれず、証しなければ得ることはない。手放せば手に満ちている。一とか多とかの区切りがあろうか。語れば口に満ちている。縦にも横にも限りがない。諸仏がつねにこの中に住してこれを保っているが、それぞれの方面に(それと)知覚する跡を残さない。生きとし生けるものがいつまでもこの中で(これを)用いているが、それぞれの知覚に(その)方面はあらわれない。
語注
- 遊化:自在に遊ぶようにはたらき、人々を導くこと。
- 端坐参禅:姿勢を正して坐り、禅に参じること。坐禅。
- 分上:その人の身の上、持ち分。
- 住持:仏法の中に住して、それを保ち持つこと。
- 群生:あらゆる生きもの。衆生。
- 方面・知覚:ここでは対になって用いられている(→読みの分かれるところ)。
【3】いま教える功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずることである。その(関所を)超え脱落するときには、このような区切り(節目)にかかわることがあろうか(、かかわりはしない)。
語注
- 功夫弁道:修行に力を尽くし、仏道を究めること。
- 証上:証(さとり)の上。修行が証の上でなされていることを示す語。
- 万法:あらゆる存在・事象。
- 出路:(迷いから)出る道。
- 一如:へだてなく一つであること。
- 超関脱落:関門を超え、身心のとらわれが抜け落ちること。
- 節目:区切り・段階。【8】にも「節目にかかはらぬむね」として出る。
【4】私は、発心して法を求めて以来、わが国のあちこちに知識を訪ねた。その折に、建仁(寺)の全公に会った。(全公に)付き従って、年月はたちまち九年を経た。(その間)いささか臨済(宗)の家風を聞いた。全公は祖師(である)西和尚の上足として、ただ一人無上の仏法を正伝していた。とても他の者が肩を並べられるような人ではなかった。
語注
- 発心:さとりを求める心をおこすこと。
- 知識:善知識。正しく導いてくれる師。
- 全公:建仁寺の明全和尚(1184–1225)を指す(「公」は敬称)(宗務庁版英訳による)。
- 霜華:霜の花。ここでは年月(歳月)のこと。「九廻」は九度めぐること、すなわち九年。
- 家風:その宗派・師家に伝わる指導の仕方や気風。
- 西和尚:建仁寺の開山、明庵栄西(1141–1215)を指す(宗務庁版英訳による)。
- 上足:高弟。すぐれた弟子。
- 正伝:正しく伝えること。
【5】私は、さらに大宋国に渡り、知識を両浙に訪ね、家風を五門に聞いた。ついに太白峰の浄禅師に参じて、一生の参学の大事はここで終わった。それから後、大宋(の)紹定のはじめに、故郷(日本)に帰った。そこで、法を弘めて人々を救うことを念願とした。(それは)まるで重い荷を肩に負っているようであった。
語注
- 大宋国:中国の宋。
- 両浙:浙東・浙西の地域。現在の中国の江蘇省・浙江省にあたる(宗務庁版英訳による)。
- 五門:禅の五つの流派(五家)。【8】で具体的に挙げられる。
- 太白峰の浄禅師:太白山(天童山)景徳寺の如浄禅師。道元禅師の本師。
- 参学:師について仏道を学ぶこと。
- 紹定:南宋の年号。紹定の元年は西暦1228年にあたる(宗務庁版英訳による)。帰国の年との対応は解説参照。
- 弘法救生:法を弘め、衆生を救うこと。
【6】しかしながら、弘通の心を(しばらく)おいておき、(法を)大いに挙揚する時節を待つために、しばらく雲や浮き草のように各地をさすらって、先哲の風(の教え)を(世に)聞かせようとしている。ただ、自然と名声や利益にかかわらず、道を求める心を第一にする、真実の参学者がいたとしても、(その人は)むなしく邪師に惑わされて、みだりに正しい理解を覆われ、むなしく自分の狂いに酔って、久しく迷いの里に沈んでしまうのではないか。(そうなれば、その人は)何によって般若の正しい種を育て、道を得る時を得られようか。私はいま雲や浮き草のようにさすらうことを事としているので、(そうした人は私を求めて)どの山や川を訪ねたらよいのだろうか。これを気の毒に思うので、目のあたりに大宋国で見聞した禅林の風規と、知識から受け保った玄旨とを、書き集めて、参学閑道の人に残し、仏家の正法を知らせようと思う。これこそ真訣であろうか。(その次第を)いえば、(以下のとおりである。)
語注
- 弘通:仏法を広く世に行きわたらせること。
- 激揚:(仏法を)大いに挙げ揚げること。
- 雲遊萍寄:雲のように遊行し、浮き草(萍)のように身を寄せること。定住せずに各地をめぐること。
- 名利:名誉と利益。
- 道念:仏道を求める心。
- 正解:正しい理解(「せいかい」の意ではない)。
- 般若:仏の智慧。
- 貧道:僧の謙称。私。
- 禅林:禅の寺院、禅の修行の場。
- 風規:作法・規則。
- 玄旨:奥深い教えの趣旨。
- 稟持:(師から)受けて保ち持つこと。
- 真訣:真の奥義・要訣。
【7】大師釈尊は、霊山の法会において法を迦葉に付嘱し、(以後)祖師から祖師へと正しく伝えて、菩提達磨尊者にいたった。尊者は自ら神丹国に赴き、法を慧可大師に付嘱した。これが東の地(中国)への仏法伝来のはじめである。
語注
- 大師釈尊:釈迦牟尼仏。「大師」はここでは偉大な師の意の尊称。
- 霊山会上:霊鷲山での説法の会座。
- 迦葉:摩訶迦葉。釈尊の法を嗣いだ第一祖。
- 菩提達磨尊者:インドから中国に禅を伝えた祖師。
- 神丹国:中国のこと(震旦とも書く)。
- 慧可大師:達磨の法を嗣いだ中国の祖師。
【8】このように単伝して、自然と六祖大鑑禅師にいたった。このとき、真実の仏法がまさに東漢に流れ広まって、節目にかかわらない趣旨があらわれた。そのとき、六祖には二人の神足がいた。南嶽の懐譲と青原の行思である。ともに仏印を伝え保って、同じく人天の導師であった。その二つの流れが広まるなかで、五門がよく開けた。いわゆる法眼宗・潙仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗である。現在の大宋では臨済宗だけが天下にあまねく広まっている。五家は異なっているけれども、ただ一つの仏心印である。
語注
- 六祖大鑑禅師:中国禅の第六祖、慧能。「大鑑禅師」はその諡号。
- 東漢:ここでは中国を指すと思われる(宗務庁版英訳の注も、後漢の王朝ではなく中国を指すと解する)(→読みの分かれるところ)。
- 神足:すぐれた弟子。高弟。
- 仏印:仏の心印。仏から仏へ伝わる法のあかし。
- 人天:人間界と天上界。あらゆる者。
- 導師:人々を導く師。
- 五門・五家:禅の五つの流派。
- 仏心印:仏の心の印。仏法の本質。
【9】大宋国でも、後漢以来、経典が(その)跡を残して天下に広まったけれども、雌雄はまだ定まっていなかった。祖師が西から来て以後は、直ちに葛藤の根源を断ち切り、純一な仏法が広まった。わが国もまたそのようになることを願うべきである。
語注
- 後漢:中国の王朝。仏教が中国に伝わった時代とされる。
- 教籍:経典や教えの書物。
- 祖師西来:菩提達磨がインド(西方)から中国へ来たこと。
- 葛藤:かずらや藤のようにからみ合うこと。ここでは言葉や理屈のもつれ。
- 純一:まじりけのないこと。
解説#
はじめに――『弁道話』という書物#
『弁道話』は、道元禅師が坐禅の意義を、はじめて仏法にふれる人にも向けて説き示された書物です。「弁道」とは、仏道に力を尽くし、道をわきまえ究めることをいいます。「話」とあるとおり、堅い論書というよりは、語りかけるような和文で書かれています。
本巻の末尾には奥書があり、そこには「寛喜辛卯中秋日 入宋伝法沙門道元記」と記されています(本書第九回)。「寛喜辛卯」は寛喜三年(西暦1231年)、「中秋日」は秋のなかば、旧暦八月の十五日ごろを指します(宗務庁版英訳では、この日付を西暦1231年9月12日にあたるとしています)。「入宋伝法沙門」とは、「宋に渡って法を伝えた出家者」という意味で、禅師ご自身の名乗りです。つまり『弁道話』は、中国から帰られた禅師が、ご自分の受け伝えた仏法を日本の人々に示そうとして、まとまったかたちで書き記された、最も早い時期の著作の一つです。宗務庁版英訳の解題でも、帰国から四年後、興聖寺を開かれる前年の撰述とされています。どこで書かれたかについては、京都の郊外にしばらく身を寄せておられた頃の撰述とされますが、奥書そのものには場所は記されていません。
私たちが底本とする本山版(九十五巻本)では、この『弁道話』が第一巻に置かれています。『正法眼蔵』の諸巻がまとめられていく経緯には長い歴史があり、宗門では、『弁道話』は後の時代に編集の過程で『正法眼蔵』に加えられ、巻頭に据えられたと語られています。宗務庁版英訳の解題でも、『弁道話』はもともと『正法眼蔵』の一巻として書かれたものではなく、七十五巻本・十二巻本には含まれず、江戸時代の卍山道白による編集(1686年)で補遺として加えられ、のちに本山版で第一巻に置かれた、と説明されています。その詳しい事情はここでは立ち入りませんが、坐禅を正門とする仏法の全体像を最初に示すこの巻が、九十五巻の入り口に置かれていることには、大きな意味があると受けとめられています。
本巻は大きく、今回扱う「序」と、その後に続く多くの問答(「とふていはく」「しめしていはく」の形で、問う人に禅師が答える部分)とから成っています。序は、その全体の土台です。ここでは原文の段落【1】〜【9】を三つのまとまりに分けて、順に味わってまいります。
- 【1】〜【3】 自受用三昧と坐禅――仏から仏へ伝わる「妙術」
- 【4】〜【6】 禅師の求法の歩みと、この書を記す動機
- 【7】〜【9】 仏法の伝来と、日本への願い
【1】〜【3】自受用三昧と坐禅――仏から仏へ伝わる「妙術」#
仏から仏へ、ゆがみなく伝わるもの(【1】)#
『弁道話』は、いきなり核心から語りはじめます。「諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり」。すべての仏は、この上ない法を一筋に伝え、この上ないさとりを証してこられた。そこには「最上無為の妙術」、つまり、最もすぐれた、人間のはからいを加えない不思議な方法がある、というのです。
ここで大切なのは、「妙術」という言葉が、特別な才能のある人だけが到達できる秘法のように語られていないことです。それは「ほとけ仏にさづけて」、仏から仏へと授けられてきたもの、しかも「よこしまなることなき」、少しのゆがみもなく伝わってきたものだとされます。そして、そのゆがみのなさを支える「標準」、すなわち拠りどころ・ものさしが「自受用三昧」である、と禅師は示されます。
「自受用三昧」は、この巻の中心となる言葉です。「三昧」とは、心が一つのことに落ち着いて乱れない状態をいいます。「自受用」とは、自ら受けて自ら用いる、という意味です。仏のさとりの境地を、誰かから説明として受けとるのでも、他人に見せるために飾るのでもなく、自分自身がそのまま受け、そのまま用いている。そうしたありさまを、禅師は「自受用三昧」と呼ばれました。
宗門では、この自受用三昧こそが坐禅そのものの姿である、と受けとめてきました。坐禅は、何かを得るための手段として行うものではなく、仏のさとりを仏自身が味わい、はたらかせている、そのありさまに身をおくことだ、というのです。このあとの段落で「端坐参禅を正門とせり」と続くのも、この受けとめ方に立てば自然に理解されます。
坐ることが正しい入り口である(【2】前半)#
【2】では、「この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり」と示されます。自受用三昧の中で自在にはたらく、その正しい入り口は、姿勢を正して坐る坐禅である、というのです。
宗門で「只管打坐(しかんたざ)」という言葉が大切にされているのはご存じの方もあるかもしれません。「只管」は「ひたすら」、「打坐」は「坐る」ことです。何かを考え解こうとしたり、特別な体験を追い求めたりせず、ただひたすらに坐る。本巻でも、この序のすぐあとに「ただし打坐して身心脱落することをえよ」(本書第二回)とあり、坐禅を仏法の正門とする姿勢が、はっきり示されています。
続く一文は、多くの人の心に残る言葉です。「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」。この法は、一人ひとりの身の上に豊かにそなわっている。けれども、修行しなければあらわれないし、証しなければ得ることはない、というのです。
ここには、二つのことが同時に語られています。一つは、仏法は遠いどこかにあるのではなく、すでに私たち一人ひとりにそなわっている、ということ。もう一つは、それでも、実際に修行しなければ、それは姿をあらわさない、ということです。「そなわっているのだから何もしなくてよい」のでもなく、「修行によって、もともと無いものを新たに手に入れる」のでもありません。そなわっているからこそ、坐ることによってそれがあらわれる。宗門の坐禅は、この両方を一つにして受けとめるところに立っています。
これは日々の暮らしにもそのまま通じます。たとえば、私たちの内には、人を思いやる心、ものを大切にする心がもともとそなわっているでしょう。けれども、それは実際に手を差し伸べ、実際にものを丁寧に扱うときにはじめて、形をとってあらわれます。坐禅もまた、坐るという具体的な身のふるまいの中で、そなわっているものが現れ出る場なのです。
手放せば、手に満ちる(【2】後半)#
「はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし」。手放せば手に満ちている。語れば口に満ちている。縦にも横にも限りがない。
つかもうとすれば逃げていき、手放したとき、かえって手のひらいっぱいに満ちている。坐禅をしていると、「よい坐禅をしよう」「心を静めよう」と力むほど、かえって心がざわつくことがあります。そうした思いをも手放して、ただ坐っているとき、何かが欠けているわけではない、ということに気づかされます。本巻の後半にも「妙修を放下すれば本証手の中にみてり」(本書第五回)という、よく響き合う言葉があります。
なお、「一多のきはならんや」の「きは」をどう取るかには幅があります。訳では「一とか多とかの区切りがあろうか」としましたが、「一つか多数かという量の問題であろうか」とも、「一にも多にも限られない(果てがない)」とも読めます。いずれの読みでも、「数や量で測れるようなものではない」という反語の向きは共通しています。
つづく対句、「諸仏のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覚をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覚に方面あらはれず」は、本巻でも特に読みの分かれるところです。受けとめ方の一つは、次のようなものです(宗務庁版英訳の注も、ほぼ同じ趣旨の言い換えを示しています)。仏たちは常にこの三昧の中に住しているけれども、どこにいても「自分はいま三昧にいる」という跡を残さない。一方、生きとし生けるものは、いつもこの三昧の中でそれを用いて生きているのに、自分の意識の上にそのありかを見出さない。つまり、仏は自覚を超えたところで、衆生は気づかないままに、同じ一つの三昧の中にいる、という対比として読むのです。ただし、「方面」を「主客の分別」の意味に取り、「諸仏も衆生も、見るものと見られるものの分別を残さない」とする読みもあり、主語と対比の取り方によって意味の重心が変わります。ここは一つの読みに決めつけず、読みの幅を残しておきます(→読みの分かれるところ)。
どの読みを取るにしても、ここから受けとれるのは、坐禅が「特別な境地を自覚するための技術」ではない、ということでしょう。坐禅の中で「いま自分は悟っている」と確かめようとすること自体が、かえって三昧から離れることにもなりかねない。私たちは、気づいていようといまいと、すでにこの大きなはたらきの中で生かされている。そう受けとめると、坐ることは、何かを付け加えることではなく、すでにある中に素直に身をおくことだと言えます。
修行は、さとりの上で行われる(【3】)#
「いまをしふる功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり」。ここで禅師は、ご自身がこれから教える修行(功夫弁道)の性格を一言で示されます。
「証上」とは「証(さとり)の上」ということです。宗門では、この言葉を、本巻の後半で説かれる「修証一等」の教えと結びつけて受けとめるのが一般的です。後半には「仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の弁道すなはち本証の全体なり」(本書第五回)とあります。修行とさとりは二つ別々のものではなく一つであり、修行はさとりの上での修行であるから、初心者の坐禅も、そのままさとりの全体である、というのです。
これは宗門の坐禅観の根本です。坐禅を「さとりを得るための手段」と考えると、坐る時間は「まだ悟っていない、途中の時間」になってしまいます。けれども禅師は、坐っているそのことが、すでに仏のさとりのはたらきそのものだと示されます。初めて坐る人の一炷(ひとくぎりの坐禅)も、長年坐ってきた人の坐禅も、その意味では等しく尊いのです。
ただ、【3】の言い回しそのものには読みの幅があります。「証上に万法をあらしめ」を「証の上で、あらゆるものをあるがままにあらわす」と読むか、「修行そのものが証の上の行であることを示す」ものと読むか。また「出路」を「迷いから出る道」と読むか、「さとりを抜け出たあとのはたらき」と読むか。訳ではひとまず前者の方向で置いていますが、ここも一つに断定はしません(→読みの分かれるところ)。
続く「その超関脱落のとき、この節目にかかはらんや」は、「関門を超え、とらわれが抜け落ちるそのとき、このような区切りにかかわることがあろうか」という反語です。「この節目」が何を指すかについても幅があります。直前の「証上」と「出路」という区別そのものを指すと読むのが自然に思われますが(宗務庁版英訳の注も、この区別、あるいは「万法」と「一如」の区別を指す可能性を挙げています)、修行の段階一般を指すとも、【2】の「一多」「方面・知覚」といった区別を指すとも読めます。いずれにしても、坐禅の実際においては、「いまは修行の段階、次はさとりの段階」といった区切りを立てて自分を測ることにとらわれない、という向きは共通しています。
日々の坐禅に引き寄せていえば、「今日はうまく坐れた」「今日はだめだった」と、坐禅に点数をつけたくなる心を、そっと手放してよいということでもあるでしょう。坐った、そのことが尊い。この受けとめ方は、坐禅だけでなく、食事をいただくこと、掃除をすること、仕事に向かうことなど、日々の一つひとつのふるまいを丁寧に行う宗門の暮らし方にも通じています。
【4】〜【6】求法の歩みと、この書を記す動機#
明全和尚のもとでの九年(【4】)#
【4】から、禅師はご自身の歩みを語りはじめます。「予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき」。道を求める心をおこしてから、国内のあちこちに師を訪ねた。そして建仁寺の「全公」に出会い、九年のあいだ付き従った、と記されます。
「全公」は明全和尚、「祖師西和尚」は建仁寺を開かれた明庵栄西禅師を指します(宗務庁版英訳の注でも、全公は明全、西和尚は建仁寺開山の栄西とされています)。禅師はここで、明全和尚について「祖師西和尚の上足として、ひとり無上の仏法を正伝せり、あへて余輩のならぶべきにあらず」と、最大限の敬意をもって語っておられます。栄西禅師を「祖師」と呼び、明全和尚を、その高弟としてただ一人無上の仏法を正しく伝えた方、他の者が肩を並べられる人ではない、とまで述べておられるのです。
宗門においても、明全和尚は禅師を導いた大切な師として敬われてきました。宗門では、明全和尚は禅師とともに宋に渡り、かの地で亡くなられたと伝えられています。宗務庁版英訳の注でも、明全和尚は1225年、禅師とともに宋に赴かれた旅の中で亡くなられたとされ、「九廻」は禅師が明全和尚に出会われた1217年からその1225年までの年月にあたると説明されています。
如浄禅師との出会い(【5】)#
「予、かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらひ、家風を五門にきく」。禅師はさらに宋へ渡り、各地の師を訪ね、禅の五つの流派の家風に学ばれました。そして「つひに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ」。ついに天童山の如浄禅師に参じて、一生をかけて学ぶべき大事が、ここに終わった、と記されます。
「一生参学の大事ここにをはりぬ」は、短い言葉ですが、重みのある一句です。如浄禅師は、宗門では道元禅師の本師(法を嗣いだ師)として仰がれています。この出会いによって、禅師は、仏から仏へ伝わる正伝の仏法を身をもって受け嗣がれたのでした。宗門が今日に至るまで、この正伝の仏法を高祖道元禅師、太祖瑩山禅師の両祖を通して受け継いできたと受けとめているのは、この出会いに源をもっています。
ただし宗門では、この「終わった」を、そこで修行が終わったという意味には受けとめません。【3】で見たように、修行とさとりが一つである以上、修行に終わりはありません。本巻の後半にも「証にきはなく、…修にはじめなし」(本書第五回)とあります。「大事ここにをはりぬ」とは、何を求めて歩むべきか、その根本が決着した、ということと受けとめるのがよいでしょう。
帰国については「大宋紹定のはじめ、本郷にかへりし」とあります。宗務庁版英訳の注では、紹定の元年は西暦1228年にあたるとされる一方、同書の本巻結び近くへの注では、禅師の帰国を1227年としています。両者の関係について同書は説明を加えていませんので、ここでは「宋の紹定年間のはじめ」という原文の表現にとどめておきます。
帰国した禅師は「弘法救生をおもひとせり、なほ重擔をかたにおけるがごとし」、法を弘めて人々を救うことを念願とし、それはまるで重い荷を肩に負っているようであった、と述べられます。
待つ時と、書き残す心(【6】)#
【6】は、この序の中でも最も読みの分かれる箇所が集まっているところです。そのため、ここでは大きな流れを確かめながら、読みの幅に触れていきます。
まず冒頭の「弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆゑに」は、どこで句を切るかによって意味が変わります。「放下せん。激揚のときをまつゆゑに」と切って、「弘めようとする心をしばらく置き、法を大いに挙げる時節を待つ」と読むのが、訳でも採った読み方です。一方、続けて読んで「弘めようとする心を手放すほどの、大いなる時を待つ」と読む読み方や、「放下せん」を「人々が重荷を下ろせるような時」と取る読み方もあります。なお、原文では「放下せん」と「激揚」のあいだに句読点はありません。宗務庁版英訳は、弘通の思いをいったん置き、それに十分打ち込める時を待つ、という方向で訳しています。
いずれの読みにしても、禅師が、急いで教えを押し広めようとはせず、時節を待つ姿勢をとっておられたことは読みとれます。そして「しばらく雲遊萍寄して」、雲や浮き草のように定まった住まいをもたず、各地に身を寄せておられたと記されます。「まさに先哲の風をきこえんとす」については、「先哲の風を世に聞かせよう」と読むか、「先哲の風を自ら聞こう」と読むかで幅があります。
次に、禅師の心配が語られます。「ただし、おのづから名利にかかはらず、道念をさきとせん、真実の参学あらんか、いたづらに邪師にまどはされて……ひさしく迷郷にしづまん」。この文の構文の取り方にも幅があります。訳のように、「名誉や利益にとらわれず、道を求める心を第一とする真実の参学者がいたとしても、(導く師に出会えなければ)邪師に惑わされ、迷いの中に沈んでしまうのではないか」という懸念の文として読むのが一つの読み方です。一方、「真実の参学者はいるだろうか」でいったん切り、そのあとを一般の学人のありさまの描写として読む読み方もあります。
どちらに読んでも、禅師のまなざしは、まだ見ぬ誰かに向けられています。真剣に道を求めながら、正しい師に出会えずにいる人がいるかもしれない。自分はいま定まった場所にいないから、その人は、どの山や川を訪ねればよいかもわからないだろう。「これをあはれむゆゑに」、それを気の毒に思うからこそ、宋で見聞した禅林の作法と、師から受け保った奥深い教えとを書き集めて、「参学閑道の人」に残そう、と禅師は筆を執られたのです。
「参学閑道の人」の「閑道」の意味も一つに定めにくい語です。「道に心を寄せる人」とも「道に習熟した人」とも取れます。宗務庁版英訳の注は「閑」を「閑習(ならう)」の意に取り、「道を学び身につけようとする人」の方向で訳しています。また、この段の結びの「これ真訣ならんかも」も、「これこそ真訣であろう」という強い確信と読むか、「これが真訣であろうか」という謙遜を含んだ推量と読むかで幅があります。
ここで思い起こしたいのは、本巻の結びにも、この序とよく呼応する言葉があることです。「これをあつめて、仏法をねがはん哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん参学の真流にのこす」(本書第九回)。序で「雲遊萍寄」していた禅師は、結びでは、同じように「雲遊萍寄」して道を訪ね歩く後の参学者に向けて、この書を残すと記されます。道を求めて旅する者が、同じく旅する者に手渡す書物、それが『弁道話』です。
私たちが今日この書物を手にし、坐禅に向かうことができるのも、禅師が「これをあはれむゆゑに」筆を執られたからです。宗門の坐禅会や修行の場で、見知らぬ人どうしが同じ作法で坐り、同じように手を合わせることができるのも、こうした書き残しと受け継ぎの積み重ねの上にあります。
【7】〜【9】仏法の伝来と、日本への願い#
釈尊から達磨大師へ、達磨大師から慧可大師へ(【7】)#
「いはく」という言葉を受けて、【7】からは仏法がどのように伝わってきたかが語られます。「大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖祖正伝して菩提達磨尊者にいたる」。お釈迦さまは霊鷲山での説法の場で法を摩訶迦葉尊者に託し、それが祖師から祖師へと正しく伝えられて、菩提達磨尊者に至った。達磨尊者はみずから中国に赴き、法を慧可大師に託した。これが中国への仏法伝来のはじめである、と。
ここで禅師が強調されるのは、仏法が「人から人へ」伝わってきたということです。書物や理屈が伝わったのではなく、師と弟子とが向き合い、身をもって受け渡してきた。宗門では、釈尊から今日に至るこの師資のつながり(血脈)をことのほか大切にし、その恩に感謝してきました。坐禅もまた、この一筋のつながりの中に自分の身をおくことであり、一人で坐っていても、その坐禅は釈尊以来の仏祖の坐禅とつながっている、と受けとめられています。
なお、「これ東地の仏法伝来のはじめなり」という言い方は注目に値します。中国にはそれ以前から経典は伝わっていましたが(【9】でも触れられます)、禅師は、達磨大師による正伝をもって「仏法伝来のはじめ」とされるのです。ここに、正伝の仏法とは、経典の伝来というより、仏から仏へ、身をもって伝わる坐禅の仏法である、という禅師の見方がよくあらわれています。
六祖から五家へ――「ただ一仏心印」(【8】)#
【8】では、仏法が六祖大鑑禅師(慧能)に至り、そのもとから南嶽懐譲と青原行思という二人のすぐれた弟子が出て、その二つの流れから五つの家(五家)が開けたことが述べられます。「法眼宗・潙仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗」。
「このとき、真実の仏法まさに東漢に流演して、節目にかかはらぬむねあらはれき」の「東漢」は、訳では中国を指すと取りましたが、後漢という王朝名、あるいは中国の東方を指すとする読みもあります。宗務庁版英訳の注は、後漢の王朝ではなく中国を指すと解しており、同書が収める正法寺所蔵の草案本では、この語が「唐家」となっています。また、「節目にかかはらぬむね」が【3】の「この節目にかかはらんや」とどう響き合うのかも、読みの分かれるところです。段階や区別にとらわれない宗旨と読むのが一つの受けとめ方ですが、経論の細かな区分にとらわれない趣旨と読むこともできます。
曹洞宗に連なる私たちにとって大切なのは、この段の結びの一句です。「見在大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一仏心印なり」。禅師の頃の宋では臨済宗が天下に広まっていた、と当時のありさまを述べたうえで、五つの家は異なっているけれども、伝えているのはただ一つの仏の心印である、と示されるのです。
この一節で禅師は、五家の優劣を競っておられるのではありません。むしろ、家風の違いはあっても、そこに伝わるものは一つの仏法である、と示されています。【4】で明全和尚と栄西禅師への深い敬意が語られていたことと合わせて読むと、禅師の姿勢がよくわかります。宗門もまた、この禅師のお心に従い、宗名の違いによって仏法を分けて見るのではなく、仏から仏へ伝わる一つの仏法を、坐禅を正門として受け継いでいる、と受けとめてきました。
「わがくにもまたしかあらん」(【9】)#
最後の【9】では、中国における仏法の歩みが振り返られます。後漢の頃から経典は伝わり、天下に広まったけれども、「雌雄いまださだめざりき」。この「雌雄」が何を指すかにも幅があります。諸々の教説の優劣・正邪を指すとも、何が正伝の仏法であるかを指すとも、経典に基づく教えと禅との関係を指すとも読めます。いずれにしても、多くの教えが伝わりながら、その根本がまだ定まっていなかった、という趣旨です。
それが「祖師西来ののち、直に葛藤の根源をきり、純一の仏法ひろまれり」。達磨大師が西から来られてからは、言葉や理屈のもつれ(葛藤)の根をただちに断ち切り、まじりけのない仏法が広まった。そして禅師は、「わがくにもまたしかあらんことをこひねがふべし」と結ばれます。日本もまた、そのようになることを願うべきである、と。
この一句は、序全体の願いを集約しています。禅師は、中国で起こったのと同じように、日本においても、坐禅を正門とする純一の仏法が根づくことを願われました。『弁道話』は、その願いの最初のかたちです。
むすびに――序から日々の坐禅へ#
この序で禅師が示されたことを、あらためて振り返ってみましょう。
一つには、仏から仏へ伝わる仏法の根本は自受用三昧であり、その正しい入り口は坐禅である、ということ。二つには、その法は一人ひとりに豊かにそなわっているけれども、修行しなければあらわれない、ということ。三つには、修行はさとりの上での修行であり、段階や区別にとらわれるものではない、ということ(【3】の言い回しには読みの幅がありますが、宗門ではこのように受けとめてきました)。そして、この仏法は、釈尊から迦葉尊者、達磨大師、六祖を経て、人から人へ伝えられてきた一つの仏心印であり、禅師はそれを日本に伝えようと、道を求める見知らぬ誰かのために筆を執られた、ということです。
宗門では、坐禅を特別な時間だけのものとは考えません。坐禅で身と息と心をととのえるように、朝起きて顔を洗い、食事をいただき、掃除をし、人と言葉を交わす、その一つひとつを丁寧に行うことも、仏のはたらきの中での修行だと受けとめます。「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれり」という言葉は、坐蒲の上だけでなく、私たちの日々の暮らしのすみずみにまで向けられているのでしょう。
もし機会があれば、まずは短い時間でも、姿勢を正して静かに坐ってみてください。何かを得ようとせず、うまく坐ろうともせず、ただ坐る。そのとき、禅師が「はなてばてにみてり」と語られたことの一端に、ふと触れられるかもしれません。
読みの分かれるところ#
序には、読み方が一つに定まらない言い回しがいくつもあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。
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「各各の方面に知覚をのこさず」/「各各の知覚に方面あらはれず」【2】
「方面」を場所・局面、「知覚」をそれと知る意識と取り、諸仏は三昧にいる跡を残さず、衆生は三昧を用いながらそれに気づかない、という対比として読むことができます。一方、「方面」を見るものと見られるものの分別の意味に取る読みもあります。宗務庁版英訳の注は、「諸仏はこの法の中にいてそれを自覚せず、私たちもこの法の中に生きていてそれに気づかない」という方向の言い換えを示しています。 -
「証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずる」【3】
「証の上にあらゆるものをあらわし、迷いから出る道に一如を行ずる」と読むほか、「証上」を本巻後半の「証上の修」と結んで、修行がさとりの上の行であることをいうと読むこともできます。「出路」を、さとりを抜け出たのちのはたらきと取る読みもあります。宗務庁版英訳は「あらしめ」を「存在させる」と取り、第一の読みに近い形で訳しています。 -
「この節目にかかはらんや」【3】/「節目にかかはらぬむね」【8】
「この節目」が何を指すかは、直前の「証上」と「出路」の区別とも、修行の段階一般とも、【2】の「一多」などの区別とも読めます。宗務庁版英訳の注は、「証上」と「出路」の区別、あるいは「万法」と「一如」の区別の可能性を挙げています。【8】の「節目にかかはらぬむね」も、段階や区別にとらわれない宗旨と読むか、経論の細かな区分にとらわれない趣旨と読むかで幅があります。 -
「弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆゑに」【6】
原文には句読点がなく、どこで切るかで意味が変わります。「放下せん」で切って「弘通の心をしばらく置き、大いに挙揚する時を待つ」と読むほか、続けて「弘通の心を手放すほどの大いなる時を待つ」と読むこともでき、「放下せん」を人々が重荷を下ろせる時と取る読みも候補として挙げられます。宗務庁版英訳は、弘通の思いを置き、それに打ち込める時を待つ、という第一の読みの方向で訳しています。 -
「真実の参学あらんか、いたづらに邪師にまどはされて……」【6】
「真実の参学者がいたとしても、邪師に惑わされてしまうのではないか」という懸念の文として読むことができます。一方、「真実の参学者はいるだろうか」でいったん切り、そのあとを一般の学人のありさまの描写と読むこともできます。宗務庁版英訳は前者の方向で読んでいます。なお同書の注は、直前の「おのづから」を「たまに(まれに)」の意に取っています。 -
「これ真訣ならんかも」【6】
「これこそ真訣であろう」という確信の表明と読むか、「これが真訣であろうか」という謙遜を含んだ推量と読むかで幅があります。現代語訳では両方の含みを残す形にしました。宗務庁版英訳は「これこそ真訣である」と、確信の方向で訳しています。 -
「東漢」【8】
中国一般を指すとも、後漢という王朝名を指すとも、中国の東方を指すとも読めます。六祖の時代は唐であることから、現代語訳では中国を指すと取りました。宗務庁版英訳の注も、後漢の王朝ではなく中国を指すと解しています。 -
「雌雄いまださだめざりき」【9】
「雌雄」が、諸々の教説の優劣・正邪を指すのか、何が正伝の仏法であるかを指すのか、経典に基づく教えと禅との関係を指すのかで読みが分かれます。宗務庁版英訳は、教えの優劣がまだ定まっていなかった、という第一の読みの方向で訳しています。
参考#
- 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第一「辦道話」
- 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. VII(Sōtō Zen Text Project、2023)
- 年代・人名の比定と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注・解題によります。