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『即心是仏』を読む――はじめに#

『正法眼蔵』の六つめの巻、「即心是仏(そくしんぜぶつ)」を、原文・現代語訳・解説をそろえて、二回に分けて読んでいきます。「即心是仏」は、字の上では「この心が、そのまま仏である」という意味の言葉です。

『即心是仏』という巻#

巻の終わりには「爾時延応元年五月二十五日、在雍州宇治郡観音導利興聖宝林寺示衆。」という奥書があり、延応元年(1239年)の五月二十五日に、観音導利興聖宝林寺で大衆に示された(示衆)という記録が残されています。宗務庁版英訳の解題では、この巻は1239年の夏に興聖寺で書かれたもので、寺がひらかれてからおよそ三年ののち、仮名の『正法眼蔵』の諸巻に本格的に取り組まれるはじめのころにあたる、とされています。この巻は、宇治の興聖寺で示衆されたとされます。

宗務庁版英訳の解題によれば、この巻は六十巻本・七十五巻本ではともに第五の巻に置かれ、本山版(九十五巻本)では、弁道話・摩訶般若波羅蜜・現成公案・一顆明珠・重雲堂式に続く第六巻に置かれています。解題はまた、同じ1239年の日付をもつ「重雲堂式」「洗浄」「洗面」が、いずれも僧院での修行のありようを主としているのに対して、この巻は教えの主題が際立っている、と述べています。

巻名の「即心是仏」は、禅の文献によく見える言葉で、とくに馬祖道一(709–788)と結びつけて知られている、と宗務庁版英訳の注と解題は述べています。この言葉には、本書でも、『弁道話』の問答のなかですでに出会っています。巻の前半では、この言葉がどのように取りちがえられるかが、先尼(せんに)外道の見と、大証国師(だいしょうこくし)慧忠(えちゅう)と一人の僧との問答によって示されます。後半では、道元禅師がご自身の言葉で、仏祖の保任してきた即心是仏を説き示し、「いはゆる諸仏とは、釈迦牟尼仏なり」という言葉へと進んで、巻が閉じられます。

全体の構成と目次#

内容の切れ目にしたがって、次の二回に分けました。

回 題 内容
第一回 先尼外道と大証国師 即心是仏の取りちがえ、先尼外道の見、大証国師慧忠と南方から来た僧との問答、「明眼の師なきこと」
第二回 仏祖の即心是仏 仏祖の保任する即心是仏、仏・即・是・心の評と五つの参究、正伝の心と山河大地、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏、諸仏とは釈迦牟尼仏、巻末題と奥書

各回の読み方#

各回の構成は、これまでの巻と同じです。

  • 原文 底本の本文を、段落ごとに【1】【2】…と番号を付けて載せています。仮名づかいは底本のままです。
  • 現代語訳 原文の段落番号と対応させて訳しています。漢文の句には、書き下しを示しています。大証国師の問答と、第二回の古人・古徳の語の書き下しは、本山版に拠る活字本に付けられた読み下しに従いました。そのほかの書き下しは本書による一つの読みで、底本の訓ではありません。仏教語や人名は訳さずに残し、「語注」で説明しています。
  • 解説 その段で道元禅師が示されていることを、坐禅や日々の暮らしとのつながりとともに、順にたどります。
  • 読みの分かれるところ 言葉の取り方によって意味が変わる主な箇所を取り上げ、考えられる読み方を並べました。一つの読みを唯一の正解とはしていません。
  • 参考 底本と、参照した資料です。

この巻の前半には長い漢文の問答があり、後半には「即心是仏」の四字を一字ずつ取り上げる短い言葉が続きます。難しく感じられるときは、まず現代語訳と解説を読み、そのあとで原文に戻っていただくのもよいと思います。

底本と参照資料#

  • 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第六「即心是仏」
  • 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. I(Sōtō Zen Text Project、2023)
    • 人名や年代、語句の出典の確かめ、読みの分かれる箇所の参考として用いました。本文中で「宗務庁版英訳」と呼んでいるのは、この書物のことです。この書物の日本語本文は本山版とは系統の異なる本文に拠っているため、字句が本山版と違う箇所があります。本書は本山版の本文に従っています。

解説は、曹洞宗の宗門の立場から書いています。

前の巻は『重雲堂式』です。はじめから読みたい方は『弁道話』を読む――はじめにをご覧ください。