即心是仏(一)先尼外道と大証国師#
『即心是仏』の巻頭から、「即心是仏」という言葉の取りちがえと先尼外道の見、大証国師慧忠と南方から来た僧との問答を経て、国師を参学の亀鑑とせよという道元禅師の言葉までの、十二の段落を読む回です。
原文#
正法眼藏 即心是仏
即心是仏と、そのあやまり#
【1】仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり。しかあるを、西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり。学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず。将錯就錯せざるゆえに、おほく外道に零落す。
【2】いはゆる即心の話をききて、癡人おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるを、すなはち仏とすとおもへり。これはかつて正師にあはざるによりてなり。
先尼外道の見#
【3】外道のたぐひとなるといふは、西天竺国に外道あり、先尼となづく。かれが見処のいはくは、大道はわれらがいまの身にあり、そのていたらくは、たやすくしりぬべし。いはゆる、苦楽をわきまへ、冷暖を自知し、痛癢を了知す。万物にさへられず、諸境にかかはれず。物は去来し、境は生滅すれども、霊知はつねにありて不変なり。この霊知、ひろく周遍せり。凡聖含霊の隔異なし。そのなかに、しばらく妄法の空華ありといへども、一念相応の智慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、霊知本性ひとり了了として鎮常なり。たとひ身相はやぶれぬれども、霊知はやぶれずしていづるなり。たとへば人舎の、失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし。昭昭霊霊としてある、これを覚者・知者の性といふ。これをほとけともいひ、さとりとも称す。自他おなじく具足し、迷悟ともに通達せり。万法・諸境ともかくもあれ、霊知は境とともならず、物とおなじからず、歴劫に常住なり。いま現在せる諸境も、霊知の所在によらば、真実といひぬべし。本性より縁起せるゆえには実法なり。たとひしかありとも、霊知のごとくに常住ならず、存没するがゆえに。明暗にかかはれず、霊知するがゆえに。これを霊知といふ。また真我と称し、覚元といひ、本性と称し、本体と称す。かくのごとくの本性をさとるを、常住にかへりぬるといひ、帰真の大士といふ。これよりのちは、さらに生死に流転せず、不生不滅の性海に証入するなり。このほかは真実にあらず。この性あらはさざるほど、三界・六道は競起するといふなり。これすなはち先尼外道が見なり。
大証国師慧忠と僧との問答#
【4】大唐国大証国師慧忠和尚問僧、「従何方来」。
【5】僧曰、「南方来」。
【6】師曰、「南方有何知識」。
【7】僧曰、「知識頗多」。
【8】師曰、「如何示人」。
【9】僧曰、「彼方知識、直下示学人即心是仏。仏是覚義、汝今悉具見聞覚知之性。此性善能揚眉瞬目、去来運用、遍於身中、挃頭頭知、挃脚脚知、故名正遍知。離此之外、更無別仏。此身即有生滅、心性無始以来未曾生滅。身生滅者、如龍換骨、似蛇脱皮人出故宅。即身是無常、其性常也。南方所説、大約如是」。
【10】師曰、「若然者、与彼先尼外道、無有差別。彼云、我此身中有一神性、此性能知痛癢。身壊之時、神則出去。如舎被焼舎主出去。舎即無常、舎主常矣。審如此者、邪正莫辨、孰為之乎。吾比遊方、多見此色。近尤盛矣。聚却三五百衆、目視雲漢云、是南方宗旨。把他壇経改換、添糅鄙譚、削除聖意、惑乱後徒、豈成言教。苦哉、吾宗喪矣。若以見聞覚知、是為仏性者、浄名不応云法離見聞覚知、若行見聞覚知、是則見聞覚知、非求法也」。
国師をあきらめて亀鑑とすべし#
【11】大証国師は、曹渓古仏の上足なり、天上・人間の大善知識なり。国師のしめす宗旨をあきらめて、参学の亀鑑とすべし。先尼外道が見処としりて、したがふことなかれ。
【12】近代大宋国に諸山の主人とあるやから、国師のごとくなるはあるべからず。むかしより国師にひとしかるべき知識、いまだかつて出世せず。しかあるに、世人あやまりておもはく、臨済・徳山も国師にひとしかるべし、と。かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。
現代語訳#
段落番号【1】〜【12】は原文の段落番号と対応します。原文と現代語訳の小見出しは、読みやすさのために付けたもので、原文にはありません。( )内は、原文にない語を訳者が補ったもの、または直前の語の言い換え・読みです。大証国師と僧との漢文の問答(【4】〜【10】)は、まず「書き下し」を示し、続けて訳をつけました。書き下しは、本山版に拠る活字本に付けられた読み下しに従い、仮名づかい・読点・かぎ括弧もそのままとしました。底本の本文そのものではなく、一つの読み方です。原文の漢文は本山版の字のままとしました。【3】の先尼外道の説と、【9】の南方の知識の説には、原文に引用の括弧がありません。訳文にも括弧は加えず、どこからどこまでがその説かは語注に記しました。【3】の「存没するがゆえに。明暗にかかはれず、霊知するがゆえに。」の箇所は、本書の原文の句切りに従って訳しました。仏教語・禅語(仏仏祖祖・保任・即心是仏・西天・震旦・学者・将錯就錯・外道・零落・衆生・慮知念覚・未発菩提心・正師・見処・大道・霊知・凡聖含霊・妄法・空華・一念相応・覚者・歴劫・常住・縁起・実法・真我・覚元・帰真・大士・生死・流転・性海・証入・三界・六道・知識・学人・見聞覚知・揚眉瞬目・去来運用・正遍知・心性・無始・神性・遊方・宗旨・言教・仏性・上足・善知識・参学・亀鑑・出世・明眼など)と人名・地名・書名は訳さずに残し、段落の後に「語注」として短く説明しました。人名の生没年や典拠は、宗務庁版英訳の注・解題が挙げる範囲で示しています。読みの分かれる句には、訳文に一つの訳を置き、主なものを末尾の「読みの分かれるところ」に挙げました。
巻頭題 正法眼藏 即心是仏(そくしんぜぶつ)
語注
- 正法眼藏:書名。訳さずに残した。字体は底本のまま(「藏」)。
- 即心是仏:巻名。字面は「心に即して、これ仏」「この心が、そのまま仏である」。訳さずに残した。宗務庁版英訳の巻名訳は "This Mind Itself Is the Buddha"(別訳として "This very mind is the buddha" も注で挙げる)。禅の文献によく見える語で、とくに馬祖道一(709–788)と結びつけられる(宗務庁版英訳の注・解題による)。読み方(「即」「是」の取り方)は本巻第二回で道元禅師自身が論じるので、ここでは決めない。
- 巻の番号:本書の底本の巻頭題には番号がない。本巻は六十巻本・七十五巻本ではともに第五、本山版では第六に置かれ、1239年夏に興聖寺で書かれたとされる(宗務庁版英訳の解題による)。奥書は本巻第二回で読む。
即心是仏と、そのあやまり#
【1】仏仏祖祖が、(ひとりとして)まぬかれることなく保任してきたのは、ただ即心是仏だけである。ところが、西天には即心是仏(ということば)はなく、震旦ではじめて聞かれた。学者の多くが(これを)誤るので、将錯就錯しない。将錯就錯しないので、多くは外道に零落する。
語注
- 仏仏祖祖:仏たちと祖師たち。仏から仏へ、祖師から祖師へ、と代々つらなる仏祖たち。訳さずに残した。宗務庁版英訳は "buddha after buddha and ancestor after ancestor" と訳す。
- いまだまぬかれず:(だれひとり)それをまぬかれることがない、の意に取り、「例外なく」「必ず」と同じ向きに訳した。宗務庁版英訳も "without fail" と訳す。何を「まぬかれない」のかは原文に示されない(→読みの分かれるところ)。
- 保任:たもち、まもり、身にになうこと。訳さずに残した。
- 即心是仏のみなり:ただ即心是仏だけである。
- 西天/震旦:西天はインド、震旦は中国。「震旦」は中国を言うサンスクリット語を漢字で写した語(宗務庁版英訳の注による)。いずれも訳さずに残した。
- 西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり:宗務庁版英訳の注は、インドの仏祖が「保任」しながら口に出さなかったものを、中国の人がはじめて言葉にした、という主張のようだとする。また、「即心是仏」という句そのものは中国ではじめて現れるようだが、心と仏を等しいとする考えにはインドにも先例があるとする(→読みの分かれるところ)。
- 学者:仏道を学ぶ者、参学者。今日いう「学者」ではない。訳さずに残した。
- 将錯就錯:「錯を将って錯に就く」。誤りをもって誤りにつく、誤りを誤りとして(そのまま)取ること。宗務庁版英訳の注は、禅の文献に見える慣用句で、「自分の誤りを誤りとして認める」「誤りを逆に生かす」「誤りに誤りを重ねる」などの意があるとする。訳さずに残した(→読みの分かれるところ)。
- 学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず:「多くが誤るので、将錯就錯しない」と、原文の「よりて」のとおり原因・結果の形に訳した。「誤る」ことと「将錯就錯しない」ことの関係は原文に説明がない(→読みの分かれるところ)。
- 外道:仏道の外の道。仏教以外の教え(を奉じる者)。訳さずに残した(宗務庁版英訳は "other paths" と訳し、注で仏教以外の宗教〔の見解〕とする)。
- 零落:おちぶれ、落ちこむこと。訳さずに残した。
【2】いわゆる即心の話を聞いて、愚かな人が思うには、衆生の慮知念覚で、まだ菩提心をおこしていないもの、それをそのまま仏とする、と思っている。これは、かつて正師に会ったことがないからである。
語注
- 即心の話:「即心(是仏)」ということばをめぐる話・語。「話」は、禅でいう話頭・古則の意にも取れる。
- 癡人:愚かな人。
- 衆生の慮知念覚:衆生(生きとし生けるもの)の、思いはかり・知り・思い・感じ取るはたらき。宗務庁版英訳の注は、この四字は仏教文献で一組として出ることは多くないが『正法眼蔵』にはたびたび見え、意識のふだんのはたらき全体を指すようだとする。宗務庁版英訳は「慮知」「念覚」の二語に分けて訳し、一字ずつなら「考え・知り・思い・知覚する」とも訳せるとする。訳さずに残した。
- 未発菩提心なるを:まだ菩提心(仏のさとりを求める心)をおこしていない(慮知念覚)を。宗務庁版英訳の注は、菩薩の、仏となることへの志(菩提心)をもたないまま、の意とする。「衆生の慮知念覚の未発菩提心なる」の「の」を、「慮知念覚で、未発菩提心であるもの」と同格に取った。
- すなはち仏とすとおもへり:そのまま仏とする、と思っている。
- 正師:正しい師。訳さずに残した。
先尼外道の見#
【3】外道のたぐいとなるというのは、(こういうことである。)西天竺国に外道がいて、先尼と名づける。彼の見処の言うところでは、大道はわれらの今の身にある、そのありさまは、たやすく知ることができる。すなわち、苦と楽をわきまえ、冷たさ・暖かさを自ら知り、痛み・かゆみを了知する。万物にさえぎられず、諸境にかかわらない。物は去来し、境は生滅するけれども、霊知はつねにあって変わらない。この霊知は、ひろくあまねくゆきわたっている。凡聖含霊の隔てはない。その中に、しばらく妄法の空華があるといっても、一念相応の智慧があらわれれば、物も亡び、境も滅して、霊知の本性だけが、ひとりはっきりとして、とこしえに常である。たとえ身のすがたはやぶれても、霊知はやぶれずに出ていくのである。たとえば、人の家が失火で焼けるときに、家の主人が出て去るようなものである。明らかにはっきりと、霊妙にあるもの、これを覚者・知者の性という。これを仏ともいい、さとりとも称する。自分にも他人にも同じくそなわり、迷いにもさとりにも通じている。万法・諸境はどうであれ、霊知は境とともにならず、物と同じではなく、歴劫に常住である。いま現にある諸境も、霊知のあるところに依るならば、真実と言ってよい。本性から縁起したものであるから、実法である。たとえそうであっても、(諸境は)霊知のように常住ではない。存没するからである。(霊知は)明暗にかかわらない。霊知するからである。これを霊知という。また真我と称し、覚元といい、本性と称し、本体と称する。このような本性をさとることを、常住に帰ったといい、帰真の大士という。これより後は、もはや生死に流転せず、不生不滅の性海に証入するのである。このほかは真実ではない。この性をあらわさないあいだは、三界・六道が競い起こるのだ、と言うのである。これが、すなわち先尼外道の見である。
語注
- 外道のたぐひとなるといふは:【1】の「おほく外道に零落す」を受けて、「外道のたぐいとなる」とはどういうことかを説き起こす。
- 西天竺国:インド。訳さずに残した。
- 先尼:人名。宗務庁版英訳の注は、『大般涅槃経』に登場するバラモンの名で、身から身へと輪廻する超越的な自己(我)を説く者とし、梵名を "Śreṇika" と仮に復元する。訳さずに残した。
- 見処:見解、ものの見方。訳さずに残した。
- 先尼の説の範囲:「かれが見処のいはくは、」から「三界・六道は競起するといふなり。」までを先尼の見処の内容と取った。原文に引用の括弧はない。途中の句(たとえば「これをほとけともいひ」「真実といひぬべし」)に道元禅師の言葉がまじるかどうかは原文に示されない。
- 大道:大いなる道。訳さずに残した。宗務庁版英訳は "great way" と訳し、注で、「道」を梵語 bodhi(さとり)の訳語として「大いなる覚(さとり)」と取るほうが、ここではよいかもしれないとする。
- そのていたらく:そのありさま、そのようす。
- 冷暖:冷たさと暖かさ。
- 痛癢:痛みとかゆみ。
- 諸境にかかはれず:もろもろの境(認識の対象)にかかわらない、とらわれない。
- 霊知:霊妙な知、ものを知るはたらきそのもの。訳さずに残した。宗務庁版英訳の注は、この語は『涅槃経』の先尼の説には用いられていないが、禅を含む中国仏教の文献にはよく見え、ふつう、あらゆる意識の状態にある「気づき」(知覚のはたらき)を指すとする。
- 周遍:あまねくゆきわたること。
- 凡聖含霊の隔異なし:凡夫・聖者・すべていのちあるもの(含霊)のあいだに、隔て・違いがない。宗務庁版英訳の注は、「凡聖含霊」は凡夫も修行の進んだ者も含めて、すべての衆生を言う語で、張拙の句「光明寂照遍河沙、凡聖含霊共我家」で知られるとする。訳さずに残した。
- 妄法の空華:迷いのもの(妄法)が見せる、空中の花。「空華」は、目を病む者に見える空中の花のような斑点で、実体のない迷いのたとえ(宗務庁版英訳の注による)。訳さずに残した。宗務庁版英訳の注はまた、あとで先尼の説が、霊知から生じた諸境を「真実」とすることにも注意を促している。
- 一念相応の智慧:一念に(真理・本性と)相応する智慧。宗務庁版英訳の注は、真理を知っている状態、または自分の本性とまったく一致している状態を言う決まった言い方とする。訳さずに残した。
- あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば:「あらわれれば」「滅すれば」と条件が二つ続く。訳文は、智慧があらわれて物・境が滅し、その結果として霊知だけが残る、とつないだ。
- 霊知本性:霊知という本性。宗務庁版英訳の注は、道元禅師はここで「本性」を「霊知」と同じ意味に用いているようだとし、「本性」は中国でサーンキヤ哲学の用語 prakṛti(世界がそこから展開する根本物質)の訳語に使われることもあったとする。
- 了了として鎮常なり:はっきりとして、とこしえに常である。
- 身相:身のすがた、かたち。
- 人舎の、失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし:家が失火で焼けるとき、家の主人が出て去るようなもの。宗務庁版英訳の注は、このたとえは『大般涅槃経』の中で先尼が自説を述べるところから取られているとする。【10】で国師が引く先尼の言葉の「舎の焼かるれば、舎主出で去るが如し」と同じたとえ。
- 昭昭霊霊としてある:明らかにはっきりと、霊妙にあるもの。
- 覚者・知者の性:さとった者・知る者の本性。
- 自他おなじく具足し、迷悟ともに通達せり:自分にも他人にも同じくそなわり、迷いにもさとりにも通じている。
- 万法・諸境ともかくもあれ:あらゆるもの・もろもろの境がどうであろうとも。
- 霊知は境とともならず、物とおなじからず:霊知は境と連れ立って(生じたり滅したり)せず、物と同じではない。
- 歴劫:劫(はかりしれない長い時間)を経ること。訳さずに残した。
- 常住:つねにとどまって変わらないこと。訳さずに残した。
- 霊知の所在によらば:「霊知のあるところに依るならば」と訳した。宗務庁版英訳は「霊知の所在にもとづいて(based on the presence of the spiritual knowing)」と訳す。諸境が霊知に依って成り立つ、という意に取ったが、「霊知のありかから見れば」とも取れる(→読みの分かれるところ)。
- 縁起:因縁によって生じること。訳さずに残した。
- 本性より縁起せるゆえには実法なり:本性から縁起したものであるから、実法(実在するもの)である。
- 存没するがゆえに。明暗にかかはれず、霊知するがゆえに。これを霊知といふ。:本書の原文の句切りに従い、「存没するがゆえに」で前の文(諸境は霊知のように常住ではない)の理由を言い終え、「明暗にかかはれず、霊知するがゆえに」を霊知についての一文と取って、主語に(霊知は)を補った。宗務庁版英訳の本文も同じ句切りで訳すが、注で、この句切りは春秋社版全集の本文によるもので、「明暗にかかわらず霊知するがゆえに、これを霊知という」と区切るほうがよいかもしれない、とする(→読みの分かれるところ)。
- 存没:あらわれたり消えたりすること。
- 明暗:明と暗。何を指すか(明るさ・暗さ、さとり・迷い、など)は原文に示されない(→読みの分かれるところ)。
- 真我・覚元・本性・本体:いずれも先尼の見における霊知の呼び名。訳さずに残した。
- 常住にかへりぬる:常住(のもの)に帰った。
- 帰真の大士:真に帰った大士(すぐれた人、菩薩)。訳さずに残した。
- 生死に流転せず:生まれ死にをくり返す迷いの世界をめぐらない。
- 不生不滅の性海に証入する:生じも滅しもしない、本性の海に証入する(さとって入る)。訳さずに残した。
- 三界・六道は競起する:三界(欲界・色界・無色界)・六道(地獄から天までの六つの迷いの境涯)が、競い合うように起こる(宗務庁版英訳の注による)。訳さずに残した。
- 弁道話との関係:弁道話の問10(心性の常住を説く問い。『弁道話』第六回)に対して、道元禅師は「しめしていはく、いまいふところの見、またく仏法にあらず、」「先尼外道が見なり。」と答え、続けて「いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり、」とその見を述べ、「大唐国の慧忠国師、ふかくいましめたり。」と慧忠国師の名を挙げる。本巻【3】の先尼外道の見と、【4】〜【10】の慧忠国師の問答は、これと同じ事柄を扱う。弁道話のこの一句が国師のどの言葉を指すかは、弁道話の本文には示されていない。宗務庁版英訳の弁道話の注は、この戒めは『景徳伝灯録』に見え、道元禅師が「即心是仏」の巻で引いているとし、本巻の問答についての注も、同じ『景徳伝灯録』の箇所を挙げる。
大証国師慧忠と僧との問答#
書き下し 大唐国大証国師慧忠和尚、僧に問う、「何れの方よりか来たる」。
訳 大唐国の大証国師慧忠和尚が、僧に問うた。「どこから来たのか」。
語注
- 大唐国:唐の国、中国。
- 大証国師慧忠和尚:南陽慧忠(?–775)。六祖(慧能)の弟子で、名高い公案の多くに登場する(宗務庁版英訳の注による)。「大証国師」は国師としての呼び名。人名として訳さずに残した。
- 典拠:宗務庁版英訳の注は、この問答は『景徳伝灯録』に見えるとする。
- 何れの方よりか来たる:どちらの方面から来たのか。行脚僧に出身・来歴を問う、問答のはじめの決まった問い。
書き下し 僧曰く、「南方より来たる」。
訳 僧「南方から来ました」
語注
- 南方:南の地方。宗務庁版英訳の注は、大証国師は北方の都、長安に住んでいたとする。【10】の「南方の宗旨」とのつながりは、そこの語注を参照。
書き下し 師曰く、「南方に何の知識か有る」。
訳 師「南方には、どのような知識がいるか」
語注
- 師:大証国師を指す。
- 知識:善知識。仏道を教え導く師。宗務庁版英訳の注は、仏教の師を言う標準的な語とする。訳さずに残した。
書き下し 僧曰く、「知識、頗る多し」。
訳 僧「知識は、たいへん多くおります」
語注
- 頗る:たいそう、たいへん。
書き下し 師曰く、「如何が人に示すや」。
訳 師「(その知識たちは)どのように人に示しているのか」
語注
- 如何が:どのように。
- 人に示す:人々に教えを示す。主語(南方の知識たち)は原文に示されないので( )で補った。
書き下し 僧曰く、「彼の方の知識、直下に、学人に即心是仏と示す。仏は是れ覚の義。汝、今、悉く見聞覚知の性を具す。此の性、善能く揚眉瞬目し、去来運用し、身中に遍く、頭に挃るれば頭知り、脚に挃るれば脚知る、故に正遍知と名づく。此を離れての外、更に別の仏無し。此の身、即ち生滅有り。心性は無始より以来、未だ曾て生滅せず。身の生滅は、龍の、骨を換うるが如く、蛇の、皮を脱し、人の、故宅を出づるに似たり。即身は是れ無常にして、其の性は常なり。南方の所説、大約、是の如し」。
訳 僧「あちらの知識は、直下に(ずばりと)、学人に即心是仏と示します。仏とは覚の義である。あなたがたは今、ことごとく見聞覚知の性をそなえている。この性は、よく眉をあげ目をまたたかせ、行き来し、はたらき用いる。身中にあまねくゆきわたっていて、頭に触れれば頭が知り、脚に触れれば脚が知る。それゆえ正遍知と名づけるのである。これを離れて、ほかに別の仏はない。この身には生滅がある。(しかし)心性は、無始よりこのかた、いまだかつて生滅したことがない。身の生滅は、龍が骨を換えるようなもの、蛇が皮を脱ぎ、人が古い家を出ていくのに似ている。すなわち身は無常であって、その性は常である(と)。南方で説かれていることは、おおよそこのようなものです」
語注
- 彼の方:あちら(南方)。
- 直下に:ただちに、ずばりと、まわり道をせずに。
- 学人:修行者、学ぶ者。訳さずに残した。
- 南方の知識の説の範囲:「仏は是れ覚の義」から「其の性は常なり」までを、南方の知識が学人に示す言葉と取った。宗務庁版英訳も、ここに[They say,]と補い、この部分を南方の知識の言葉として引用の形で訳す。書き下しには内側の括弧がない。訳文では末尾に(と)を補った(→読みの分かれるところ)。
- 仏は是れ覚の義:「仏」とは「覚」という意味である。「仏(ブッダ)」は「目覚めた者」の意であることを言う。
- 見聞覚知の性:見る・聞く・感じ取る・知るはたらきの性(本性)。宗務庁版英訳の注は、「見聞覚知」は六識のはたらきを表す決まった一組の語であり、また英訳では、直前の「覚の義」の「覚」と「見聞覚知」の「覚」とが同じ字であることが見えなくなっている、とする。訳さずに残した(→読みの分かれるところ)。
- 善能く:よく、十分に。
- 揚眉瞬目:眉をあげ、目をまたたくこと。宗務庁版英訳の注は、禅の文献で人のふだんの動作を表す決まった言い方で、ここのように仏性のあらわれと見なされることが多く、『正法眼蔵』にもたびたび出るとする。訳さずに残し、訳文では語の意味を訳した。
- 去来運用:行き来し、(ものを)はたらかせ用いること。訳さずに残し、訳文では語の意味を訳した。
- 身中に遍く:身の中にあまねくゆきわたる。
- 頭に挃るれば頭知り、脚に挃るれば脚知る:頭に触れれば頭が知り、脚に触れれば脚が知る。宗務庁版英訳は「挃」を「つつく(poke)」と訳す。
- 正遍知:仏の十号の一つ(正しく、あまねく知る者)。宗務庁版英訳の注は、ここでは、意識が身体にあまねくゆきわたるという教えを「正遍知」の語源のように説く言葉の遊びになっており、「正遍知」は仏の称号 samyak-sambuddha(正しく完全にさとった者)の漢訳の一つとする。訳さずに残した。
- 此の身、即ち生滅有り:この身には、すなわち生滅がある。
- 心性:心の本性。訳さずに残した。
- 無始より以来:始まりのない昔から今まで。
- 龍の、骨を換うるが如く:宗務庁版英訳の注は、龍は成長するにつれて骨を「換える」という信仰にもとづくとする。
- 蛇の、皮を脱し、人の、故宅を出づるに似たり:書き下しに従い、「蛇が皮を脱ぐ」「人が古い家を出る」の二つを「似たり」にかけて訳した。
- 即身は是れ無常にして:書き下しは「即身は」と読む。訳文は「すなわち身は」と、「即」を前を受ける語として訳した(→読みの分かれるところ)。
- 大約、是の如し:おおよそこのようである。
書き下し 師曰く、「若し然らば、彼の先尼外道と差別有ることなし。彼れ云く、『我が此の身中に一の神性有り。此の性、能く痛癢を知る。身、壊するの時、神、則ち出で去る。舎の焼かるれば、舎主出で去るが如し。舎は即ち無常なり、舎主は常なり』。此の如き者を審するに、邪正、弁ずること莫し、孰れをか之と為んや。吾が遊方の比おい、多く此の色を見る。近ごろ尤も盛んなり。三、五百衆を聚却して、目に雲漢を視て云く、『是れ、南方の宗旨なり』と。他の壇経を把りて改換し、鄙譚を添糅して聖意を削除し、後徒を惑乱す。豈に言教と成さんや。苦なる哉、吾が宗、喪しぬ。若し見聞覚知を以て、是を仏性と為さば、浄名は、応に、『法は見聞覚知を離る、若し見聞覚知を行ぜば、是れ則ち見聞覚知にして、法を求むるには非ず』と云うべからざるなり」。
訳 師「もしそうであるなら、あの先尼外道と違いはない。彼は言う、『わが、この身の中に一つの神性がある。この性は、よく痛み・かゆみを知る。身がこわれるときには、神(神性)は出て去る。家が焼かれると、家の主人が出て去るようなものである。家は無常であり、家の主人は常である』と。このようなものをよく調べてみると、邪と正とが弁別されていない。どちらをそれ(正しいもの)としようというのか。わたしが遊方していたころ、多くこの類を見た。近ごろは、とりわけ盛んである。三百、五百の衆を集めて、目には雲漢(天の川)を見やりながら、『これが南方の宗旨である』と言う。あの壇経を取って書き換え、いやしい話をまぜ加えて、聖意を削り除き、後の世の修行者を惑わし乱している。どうして言教となろうか。なんと苦しいことか、わが宗はほろびてしまった。もし見聞覚知をもって、これを仏性とするのであれば、浄名は『法は見聞覚知を離れている。もし見聞覚知を行ずるならば、それはすなわち見聞覚知であって、法を求めることではない』と言うはずがないのである」
語注
- 若し然らば:もしそうであるなら。前段の僧の報告(南方の説)を受ける。
- 差別:違い、区別。仏教では「しゃべつ」と読む。
- 一の神性:一つの神性(霊妙なはたらきをもつ本性)。宗務庁版英訳の注は、ここの「神」は、【3】で道元禅師が用いた「霊知」とほぼ同じ意味に取ってよいだろうとする。訳さずに残した。
- 神、則ち出で去る:神(神性)は出て去る。
- 先尼の言葉の範囲:書き下しは『我が此の身中に…舎主は常なり』を先尼の言葉としてくくる。訳文もこれに従った。
- 舎の焼かるれば、舎主出で去るが如し:【3】の「人舎の、失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし」と同じたとえ。
- 此の如き者を審するに:このようなもの(このような説)をつまびらかに調べてみると。
- 邪正、弁ずること莫し:邪と正の区別がつけられていない。
- 孰れをか之と為んや:書き下しのとおり、「どれを之(それ)とするのか」と訳し、「之」を「正しいもの」の意に取って( )で補った。宗務庁版英訳は、その日本語本文が「孰爲是乎」となっていて、「だれがそれを正しいとするだろうか(Who would take it as right?)」と訳す。
- 遊方:諸方をめぐって修行すること、行脚。訳さずに残した。
- 比おい:ころ(ころおい)。
- 此の色:この類、このたぐい(の者)。
- 三、五百衆を聚却して:三百から五百ほどの衆(修行者の集まり)を集めて。
- 目に雲漢を視て:目に天の川を見て。宗務庁版英訳の注は、ぼんやりとした、うわの空の状態を言う決まった言い方とする。訳文は字面どおりに訳し、含みは補わなかった。
- 南方の宗旨:南方の教えの根本。宗務庁版英訳の注は、ここは単に中国の南部を言うのではなく、慧忠の師である六祖慧能の系統を名のった、いわゆる「南宗」を指すのだろうとする。訳さずに残した。
- 他の壇経:「他」は「かの」「あの」の意に取った。書き下しは「他の壇経」。宗務庁版英訳は "the Platform Sūtra" と訳す。
- 壇経:『六祖壇経』。六祖慧能の教えを記録したとされる書。宗務庁版英訳の注は、この書は八世紀後半に成り、何世紀にもわたって多くの改訂を経たとし、道元禅師は「四禅比丘」の巻でも、当時流布していた本を六祖の教えではないとして退けている、とする。書名として訳さずに残した。
- 改換:書き換えること。
- 鄙譚を添糅して:いやしい話・俗な話(鄙譚)を添え、まぜ合わせて。
- 聖意を削除し:聖人の意を削り除き。宗務庁版英訳の注は、六祖の教えを除き去ること、とする。訳さずに残した。
- 後徒を惑乱す:後の世の門徒(学ぶ者)を惑わし乱す。
- 豈に言教と成さんや:どうして(それが)言教となろうか。言教は、言葉による教え。宗務庁版英訳の注は、ここもまた六祖のほんとうの教えを指すのだろうとする。何が「言教とならない」のか(改換された壇経か、南方の説か)は原文に示されない。
- 苦なる哉、吾が宗、喪しぬ:なんと苦しいことか、わが宗はほろびてしまった。「吾が宗」は国師の属する宗(禅宗・仏法)と取った。
- 仏性:仏としての本性。訳さずに残した。
- 浄名:維摩居士。宗務庁版英訳の注は、引かれている言葉は鳩摩羅什訳『維摩経』によるもので、引用の最初の文は現存の経文とは字句の異なるものとする。人名として訳さずに残した。
- 浄名の言葉の範囲:書き下しは『法は見聞覚知を離る、若し見聞覚知を行ぜば、是れ則ち見聞覚知にして、法を求むるには非ず』までを浄名の言葉としてくくる。訳文もこれに従った。
- 応に…云うべからざるなり:(そうだとしたら)言うはずがない。反実の言い方で、「浄名はそう言っているのだから、見聞覚知を仏性とすることはできない」という論の運びになる(→読みの分かれるところ)。
国師をあきらめて亀鑑とすべし#
【11】大証国師は、曹渓古仏の上足であり、天上・人間の大善知識である。国師の示す宗旨を明らかにして、参学の亀鑑とすべきである。(南方の説を)先尼外道の見処であると知って、(それに)従ってはならない。
語注
- 曹渓古仏:曹渓の古仏。六祖慧能のこと(宗務庁版英訳の注による)。訳さずに残した。
- 上足:すぐれた弟子、高弟。訳さずに残した。
- 天上・人間の大善知識:天上(天界)と人間(人の世)の大善知識。宗務庁版英訳の注は、慧忠が地上では中国の皇帝たちの師であり、天上では天帝釈(帝釈天)の師であったという、『正法眼蔵』のほかの箇所でも触れられる伝えをふまえるとする。訳さずに残した。
- 宗旨:教えの根本の趣旨。訳さずに残した。
- 参学の亀鑑:参学(仏道を学ぶこと)の手本。宗務庁版英訳の注は、「亀鑑」は行いの「型」を示すもので、古代中国で占い師が熱した亀の甲の割れ目を用いたことによる、とする。訳さずに残した。
- 先尼外道が見処としりて、したがふことなかれ:先尼外道の見処であると知って、従ってはならない。何に「従うな」と言うのか(南方の説か、【2】の癡人の考えか)は原文に示されないので、(南方の説を)と補った。宗務庁版英訳の日本語本文は「先尼外道が見處、しりてしたがふことなかれ」と「と」がない(→読みの分かれるところ)。
【12】近代、大宋国で諸山の主人となっている者たちに、国師のような人はいるはずがない。昔から、国師に等しいほどの知識は、いまだかつて出世していない。それなのに、世の人は誤って思っている、臨済・徳山も国師に等しいはずだ、と。このような者たちばかりが多い。あわれむべきことだ、明眼の師がいないことを。
語注
- 近代:近ごろ、このごろ。
- 大宋国:宋の国、中国。道元禅師が入宋した当時の国名。
- 諸山の主人とあるやから:諸山(主な大寺院)の住持となっている者たち。宗務庁版英訳の注は、「諸山」は主要な仏教寺院を言う語とする。「やから」は「者ども」「連中」の意で、ここでは「者たち」と訳した。
- 国師のごとくなるはあるべからず:「国師のような人はいるはずがない」と、「べからず」を打ち消しの推量に取った。宗務庁版英訳も "there could be none like the National Teacher" と訳す(→読みの分かれるところ)。
- 出世:世に出て師として法を説くこと、住持となること。訳さずに残した。
- 臨済・徳山:臨済義玄(?–866)、臨済の系統の祖。徳山宣鑑(780–865)、臨済と同時代の人。宗務庁版英訳の注は、この二人は『正法眼蔵』のほかの箇所でも批判の対象として取り上げられるとする。人名として訳さずに残した。
- ひとしかるべし:等しいはずだ、等しいであろう。
- あはれむべし、明眼の師なきことを:あわれむべきことだ、明眼の師がいないことを。「明眼」は、仏法を見る目の明らかなこと。訳さずに残した。だれにとって明眼の師が「ない」のか(世の人に正しく導く師がいないのか、近代の諸山に明眼の師がいないのか)は原文に示されない(→読みの分かれるところ)。
解説#
はじめに――『即心是仏』という巻#
巻頭題と、巻の置かれる位置#
本書では、ここから「即心是仏」の巻を読んでいきます。巻のはじめには、
「正法眼藏 即心是仏」
とあり、巻の終わりにも、本文のあとに「正法眼藏即心是仏」と記されています。
宗務庁版英訳の解題では、この巻は、六十巻本と七十五巻本ではともに第五の巻に置かれ、本山版では第六の巻である、とされています。本山版の巻の順では、弁道話・摩訶般若波羅蜜・現成公案・一顆明珠・重雲堂式に続いて、この「即心是仏」が置かれていることになります。
撰述――延応元年、興聖寺#
巻末題のあとには、次の奥書があります。
「爾時延応元年五月二十五日、在雍州宇治郡観音導利興聖宝林寺示衆。」
延応元年(1239)五月二十五日に、雍州宇治郡の観音導利興聖宝林寺において大衆に示された、という記録です。この巻は、宇治の興聖寺で修行僧たちに示衆されたとされます。奥書については、巻の終わりを読む第二回で、あらためて見ることにします。
宗務庁版英訳の解題によれば、この巻は1239年の夏に興聖寺で書かれたもので、寺がひらかれてからおよそ三年ののち、仮名の『正法眼蔵』の諸巻に本格的に取り組まれるはじめのころにあたる、とされています。また解題は、同じ1239年の日付をもつ「重雲堂式」「洗浄」「洗面」が、いずれも僧院での修行のありようを主としているのに対して、この巻は教えの主題が際立っている、と述べています。
巻名「即心是仏」#
巻名の「即心是仏」は、現代語訳の語注で見たように、字の上では「この心が、そのまま仏である」という意味の言葉です。宗務庁版英訳の注と解題によれば、禅の文献によく見える言葉で、とくに馬祖道一(709–788)と結びつけて知られています。
この言葉には、本書でもすでに出会っています。弁道話には、問う人の言葉として、
「あるがいはく、仏法には、即心是仏のむねを了達しぬるがごときは、くちに経典を誦せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし、」(『弁道話』第八回)
という問いがありました。即心是仏の旨をさとってしまえば、経を読まず、仏道を行じなくても、仏法に欠けるところはない、という説です。道元禅師はこれを「このことば、もともはかなし。」(『弁道話』第八回)と退け、則公監院の話を引いて、
「あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらず、といふことを。」(『弁道話』第八回)
と結ばれました。また別の問答では、「即心即仏のことば、なほこれ水中の月なり、」(『弁道話』第四回)とも言われていました。
こうしてみると、「即心是仏」は、道元禅師にとって、尊い言葉であると同時に、取りちがえられやすい言葉でもあった、と受けとめることができるでしょう。この巻は、その言葉を巻の名として正面に掲げます。巻の冒頭で、まず、この言葉がどのように取りちがえられるかが示され、そのうえで第二回の範囲で、仏祖の保任してきた即心是仏とは何かが説かれていきます。
今回読むところ#
今回は、巻の冒頭から、大証国師についての道元禅師の言葉の終わりまで(巻頭題と【1】〜【12】)を読みます。内容のまとまりによって、次のように見ていきます。
- 【1】 即心是仏のみなり――そして、学者のあやまり
- 【2】 癡人おもはくは――慮知念覚を仏とする
- 【3】 先尼外道の見――霊知はつねにありて不変なり
- 弁道話の問10と読みあわせる
- 【4】〜【10】 大証国師慧忠と、南方から来た僧との問答
- 【11】 国師の宗旨を参学の亀鑑とすべし
- 【12】 明眼の師なきこと
この回の範囲は、大きく見れば、「即心是仏」という言葉を、見聞覚知する心の性(霊知)のことだと受けとる見を取り上げ、それが先尼外道の見と同じであることを、大証国師の問答によって示す、という組み立てになっています。仏祖の即心是仏そのものが説かれるのは第二回です。今回の範囲は、そこへ進むために、まず道を誤らせるものを見きわめておく部分、と受けとめることができるでしょう。
読みの分かれる箇所では、訳文の読みに沿って説きながら、一つの読みに決めず、受けとめ方の幅を示します。そのうえで、曹洞宗の宗門で大切にされてきた坐禅と日々の修行のなかで、これらの言葉をどう受けとめることができるかを考えていきたいと思います。
即心是仏のみなり〔【1】〕#
仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれる#
巻は、次の言葉で始まります。
「仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり。」(【1】)
仏から仏へ、祖師から祖師へと、仏祖たちが、ひとりとしてまぬかれることなく保任してきたのは、ただ即心是仏だけである、と。
「保任」は、たもち、まもり、身にになうことです。即心是仏は、仏祖たちが頭で理解したり、言葉として唱えたりしてきたものというより、身にたもち、になってきたものとして語られています。この巻の第一声が「保任」という語であることは、心にとめておいてよいでしょう。第二回の範囲のはじめにも、「いはゆる仏祖の保任する即心是仏は」(第二回の【1】)と、同じ語がくり返されます。
「いまだまぬかれず」の受けとめ方には幅があります。訳文は、だれひとりまぬかれることなく、例外なく、という意味に取りました。宗務庁版英訳も「必ず(without fail)」と訳しています。一方で、即心是仏からのがれることができず、それを保任せずにはいられなかった、と受けとめることもできますし、保任することが仏祖にとって避けることのできない務めであった、と受けとめることもできるでしょう。いずれの読みでも、即心是仏が、仏祖の一人ひとりにとって、例外のない、ゆるがせにできないものであったことは変わりません。
西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり#
続いて、意外に思われる言葉が置かれます。
「しかあるを、西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり。」(【1】)
ところが、西天(インド)には即心是仏はなく、震旦(中国)ではじめて聞かれた、と。
仏祖がみな保任してきた、と言ったすぐあとに、インドにはなかった、と言うのです。この二つをどう結びつけるかは、読みの分かれるところです。
宗務庁版英訳の注は、インドの仏祖が保任しながら言葉にしなかったものを、中国の人がはじめて言葉にした、という主張のようだ、としています。また、「即心是仏」という句そのものは中国ではじめて現れるようだが、心と仏を等しいとする考えにはインドにも先例がある、とも述べています。この読みに立てば、「なし」とは、その句がなかった、ということになります。
一方で、この「なし」に、もう一つの含みを読む受けとめ方もありえます。即心是仏は、どこかに「ある」とか「ない」とか言えるような、一つの教えの品目ではない、という含みです。ただ、本文はそこまで説明していませんので、これは一つの受けとめ方として挙げるにとどめます。
訳文は「(ということば)」を補って、字のとおりに訳しました。どの読みを取るにしても、保任されてきたことと、言葉として聞かれたこととが、ここで区別して語られていることには目をとめておきたいと思います。言葉として「きけり」、聞かれたからこそ、次に見るように、その言葉を聞いて取りちがえる者も出てくるのです。
学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず#
「学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず。将錯就錯せざるゆえに、おほく外道に零落す。」(【1】)
学ぶ者の多くが(これを)誤るので、将錯就錯しない。将錯就錯しないので、多くは外道に零落する、と。
この一文は、今回の範囲のなかでもとくに読みの分かれるところです。
「将錯就錯」は、「錯を将って錯に就く」、誤りをもって誤りにつく、という言葉です。宗務庁版英訳の注は、禅の文献に見える慣用句で、「自分の誤りを誤りとして認める」「誤りを逆に生かす」「誤りに誤りを重ねる」などの意味がある、としています。訳文では、この語を訳さずに残しました。
本文は、学ぶ者が「あやまる」ことと、「将錯就錯せず」ということとを、「よりて」で、原因と結果の形につないでいます。けれども、その関係が何を言うのかは、本文に説明がありません。
一つには、即心是仏を取りちがえるために、誤りを誤りとして正しく引き受けることができない、と受けとめることができます。誤りを誤りと知るならば、そこから正しい道へと向きなおることもできるでしょう。けれども、誤りを誤りと知らず、それを真実だと思いこんでしまえば、向きなおるきっかけを失い、外道の見に落ちてゆく、という読みです。
もう一つには、「即心是仏」という言葉そのものを、一つの「錯」として見る受けとめ方もありえます。言葉は、どのような言葉であっても、真実そのものではありません。その言葉に、言葉と知ったうえでまっすぐに就き、その言葉のままに参究していく。それをしないで、言葉の意味を自分の考えで埋めてしまうから、外道に落ちる、という読みです。第二回の範囲で、道元禅師は「即心是仏」の四字を、順を入れかえながら参究することを示されます(第二回の【2】)。言葉に就いて参究する、ということが、そこで具体的に示されていると見ることもできるでしょう。ただし、それはこの【1】の文が直接に言っていることではありません。
ここでは、どちらの読みにも決めないでおきます。ただ、【1】の結びの言葉が「外道に零落す」であり、次の【2】【3】で、その「外道」がどういうものかが詳しく示されていく、という流れは、本文のとおりです。
癡人おもはくは〔【2】〕#
慮知念覚の未発菩提心なるを#
「いはゆる即心の話をききて、癡人おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるを、すなはち仏とすとおもへり。」(【2】)
いわゆる即心の話を聞いて、愚かな人が思うには、衆生の慮知念覚で、まだ菩提心をおこしていないもの、それをそのまま仏とする、と思っている、と。
ここで、【1】の「あやまる」の中身が示されます。
「慮知念覚」は、思いはかり、知り、思い、感じとる、という心のはたらきを言う語です。宗務庁版英訳の注は、この四字は仏教の文献で一組として出ることは多くないが、『正法眼蔵』にはたびたび見え、意識のふだんのはたらき全体を指すようだ、としています。英訳は「慮知」と「念覚」の二語に分けて訳し、一字ずつなら「考え・知り・思い・知覚する」とも訳せる、としています。いずれにしても、私たちがふだん、ものを考え、感じ、知っている、その心のはたらきのことです。
「未発菩提心なるを」の受けとめ方にも幅があります。訳文は、慮知念覚で、まだ菩提心をおこしていないもの、と同格に取りました。菩提心をおこしていない衆生の慮知念覚、と取ることもできますし、菩提心がおこる以前の、ありのままの心のはたらき、と取ることもできるでしょう。
どの読みでも、ここで退けられていることの要は変わらないように思われます。「即心是仏」、この心がそのまま仏である、と聞いて、いま思ったり感じたりしているこの心の動きを、そのまま仏だと考える。それも、仏道を求める心、菩提心をおこすことなしに、です。宗務庁版英訳の注は、「未発菩提心」を、仏となることへの菩薩の志をもたないまま、の意としています。
「即心是仏」という言葉が、修行もせず、道を求める心もおこさないままの私を、そのまま肯定する言葉として聞かれてしまう。【2】が指摘しているのは、そうした聞き方だと受けとめることができるでしょう。これは、さきに見た弁道話の問う人の説――即心是仏の旨をさとれば、経も読まず仏道も行じなくてよい――と、よく通じ合っています。
第二回の範囲では、道元禅師ご自身が、
「しかあればすなはち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは、即心是仏にあらず。」(第二回の【6】)
と述べておられます。【2】の「未発菩提心」と、この「発心」とは、巻のはじめと終わり近くで向かいあっているように見えます。その意味は、第二回で丁寧に読むことにします。
かつて正師にあはざるによりて#
「これはかつて正師にあはざるによりてなり。」(【2】)
これは、かつて正師に会ったことがないからである、と。
ここで道元禅師は、誤りの原因を、その人の頭のよしあしや、学んだ量に求めてはおられません。正しい師に出会わなかったこと、に求めておられます。
弁道話でも、道元禅師は、「正師のをしへにより、坐禅辦道して諸仏の自受用三昧を証得すべし。」(『弁道話』第三回)と示されていました。仏道は、書物を読んで自分ひとりで組み立てるものではなく、正師に出会い、その教えによって坐禅し修行するなかで伝わっていくものだ、と受けとめることができるでしょう。この「正師」の一語は、あとの【11】【12】で、大証国師を「参学の亀鑑」とせよと言い、「明眼の師なきこと」を嘆くところへと、まっすぐにつながっていきます。
先尼外道の見〔【3】〕#
外道のたぐひとなるといふは#
【3】は、【1】の「おほく外道に零落す」を受けて、「外道のたぐいとなる」とはどういうことかを、ひとまとまりの長い文で説きます。
「外道のたぐひとなるといふは、西天竺国に外道あり、先尼となづく。」(【3】)
インドに先尼という外道がいた、と。宗務庁版英訳の注によれば、先尼は『大般涅槃経』に登場するバラモンの名で、身から身へと移りゆく超越的な自己を説く者です。
この段の大部分は、先尼の見処、つまりその見解の内容です。訳文では、「かれが見処のいはくは、」から「三界・六道は競起するといふなり。」(【3】)までを先尼の見処と取りました。ただし、原文には引用の括弧がなく、途中に道元禅師ご自身の要約や説明の言葉がまじっているかどうかは、本文からは決められません。また、宗務庁版英訳の注は、この段のかなめの語である「霊知」は、『涅槃経』の先尼の説には用いられておらず、禅を含む中国仏教の文献によく見える語である、としています。道元禅師は、インドの先尼の説を、当時の禅を学ぶ人々になじみのある言葉で言い表しておられる、と受けとめることもできるでしょう。そうであれば、この段は、遠い昔の異国の説の紹介というより、禅を学ぶ人々のすぐそばにある見を、先尼の名のもとに描き出したもの、と読むこともできそうです。
以下、先尼の見を、いくつかのまとまりに分けて見ていきます。
大道はわれらがいまの身にあり#
「かれが見処のいはくは、大道はわれらがいまの身にあり、そのていたらくは、たやすくしりぬべし。」(【3】)
彼の見解では、大道はわれらの今の身にある、そのありさまは、たやすく知ることができる、と。
「大道」について、宗務庁版英訳は本文では「大いなる道」と訳しつつ、注で、ここでは「大いなる覚(さとり)」と取るほうがよいかもしれない、としています。
この最初の一文は、それだけ取り出すと、仏道の言葉としても聞こえそうです。大道は、遠くにあるのではなく、いまのこの身にある。けれども、先尼の見は、すぐに「たやすくしりぬべし」と続けます。たやすく知ることができる、と。
「いはゆる、苦楽をわきまへ、冷暖を自知し、痛癢を了知す。」(【3】)
苦と楽をわきまえ、冷たさ・暖かさを自ら知り、痛み・かゆみを知る。それが大道のありさまだ、と言うのです。私たちが、熱い、冷たい、痛い、かゆい、と感じている、その感じ知るはたらき。それが大道である、というわけです。たしかに、これほど「たやすく」知ることのできるものはありません。
霊知はつねにありて不変なり#
「物は去来し、境は生滅すれども、霊知はつねにありて不変なり。」(【3】)
物は去ったり来たりし、境(認識の対象)は生じたり滅したりするけれども、霊知はつねにあって変わらない、と。
ここで、「霊知」という語が出てきます。宗務庁版英訳の注は、この語は、ふつう、あらゆる意識の状態にある「気づき」、知るはたらきを指す、としています。見えるもの、聞こえるもの、感じるものは移り変わっていくけれども、それを知っている「知るはたらき」そのものは、いつもあって変わらない。先尼の見は、そう説きます。
「この霊知、ひろく周遍せり。凡聖含霊の隔異なし。」(【3】)
この霊知は、広くあまねく行きわたっている。凡夫にも聖者にも、すべていのちあるものにも、隔てはない、と。
一念相応の智慧と、霊知本性#
「そのなかに、しばらく妄法の空華ありといへども、一念相応の智慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、霊知本性ひとり了了として鎮常なり。」(【3】)
その中に、しばらく迷いの空華(実体のない幻)があっても、一念に相応する智慧があらわれれば、物も亡び、境も滅して、霊知の本性だけが、ひとりはっきりとして、とこしえに常である、と。
この文には、条件が二つ重なっています。訳文は、智慧があらわれる、物・境が滅する、霊知だけが残る、と一続きにつないで訳しましたが、智慧があらわれ、また物・境が滅したときに、と二つを並べて受けとめることもできます。また、「物も亡じ、境も滅し」を、物や境そのものがなくなることと取るか、物や境が霊知にとって妨げでなくなることと取るかにも幅があります。宗務庁版英訳の注は、このあと先尼の見が、霊知から縁起した諸境を「真実」「実法」とも言っていることに注意をうながしています。「霊知本性」も、霊知という本性、と取るか、霊知の本性、と取るか、幅があります。
いずれの読みでも、ここで描かれているのは、ある一念の智慧があらわれたとき、移り変わるものがすべて退いて、変わらない霊知だけがひとりはっきりと残る、という構図です。いわば、一度その「変わらないもの」に気づけば、それで事が済む、という見方です。この点は、あとで坐禅とのかかわりを考えるときに、もう一度ふり返ります。
家と主人のたとえ#
「たとひ身相はやぶれぬれども、霊知はやぶれずしていづるなり。たとへば人舎の、失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし。」(【3】)
たとえ身のすがたは破れても、霊知は破れずに出ていく。たとえば、人の家が失火で焼けるときに、家の主人が出て去るようなものである、と。
宗務庁版英訳の注によれば、このたとえは『大般涅槃経』のなかで先尼が自説を述べるところから取られたものです。そして、このたとえは、のちに【10】で、大証国師が先尼の言葉として引くものと同じたとえです。
身は家であり、霊知は家の主人である。家が焼けても、主人は出ていって、なくなりはしない。わかりやすいたとえです。わかりやすいからこそ、多くの人の心に入りやすいたとえでもあるでしょう。
昭昭霊霊としてある――仏とも、さとりとも#
「昭昭霊霊としてある、これを覚者・知者の性といふ。これをほとけともいひ、さとりとも称す。」(【3】)
明らかに、霊妙にあるもの、これを覚者・知者の性という。これを仏ともいい、さとりとも称する、と。
ここで、先尼の見は、この霊知を「ほとけ」とも「さとり」とも呼びます。【2】で、慮知念覚をそのまま仏とする癡人の考えが示されていました。【3】のこの言葉によって、その考えと先尼の見とが一つにつながります。知り、感じるはたらきを、仏と呼ぶ。これが、即心是仏を聞いて「外道のたぐひとなる」ことの中身だと受けとめることができるでしょう。
先尼の見は続けて、霊知は自他に同じくそなわり、迷いにもさとりにも通じ、境とともに生じ滅することがなく、劫を経ても常住である、と説きます(【3】)。
諸境もまた真実――存没と明暗#
「いま現在せる諸境も、霊知の所在によらば、真実といひぬべし。本性より縁起せるゆえには実法なり。」(【3】)
いま現にある諸境も、霊知のあるところに依るならば、真実と言ってよい。本性から縁起したものであるから、実法である、と。
先尼の見は、移り変わる諸境を、まったく虚しいものとして捨てるのではありません。霊知に依って、本性から縁起したものとして、真実であり実法である、とも言います。「霊知の所在によらば」を、霊知に依って成り立つならば、と取るか、霊知のありかから見れば、と取るかには幅があります。
そのうえで、次の一文が置かれます。
「たとひしかありとも、霊知のごとくに常住ならず、存没するがゆえに。明暗にかかはれず、霊知するがゆえに。これを霊知といふ。」(【3】)
たとえそうであっても、(諸境は)霊知のように常住ではない。存没する(あらわれたり消えたりする)からである。(霊知は)明暗にかかわらない。霊知するからである。これを霊知という、と。
この箇所は、句の切り方によって意味が変わるところで、今回の範囲のなかでもとくに読みの分かれるところです。訳文は本書の原文の句切りに従い、「存没するがゆえに」で諸境についての文を言い終え、「明暗にかかはれず、霊知するがゆえに」を霊知についての一文と取りました。宗務庁版英訳の本文も同じ句切りで訳していますが、注では、「明暗にかかわらずに霊知するから、これを霊知という」と区切るほうがよいかもしれない、としています。さらに、句を読点で一続きにつなげて読む読み方もありえます。また、「明暗」が何を指すのか――明るさ・暗さか、さとりと迷いか、あらわれることと消えることか――も、本文には示されていません。
どの句切りを取るにしても、この一文で先尼の見が言おうとしていることの大筋は、諸境は真実ではあっても存没するもので、霊知のように常住ではない、霊知はどんな状態にもかかわらず知りつづけるからこそ霊知と呼ばれる、ということだと受けとめておいてよいでしょう。移り変わるものと、移り変わらないものとを、二つに分けて立てる。先尼の見の骨組みは、ここにはっきりと表れています。
真我・覚元・本性・本体――帰真の大士#
「また真我と称し、覚元といひ、本性と称し、本体と称す。」(【3】)
霊知を、また真我(真の我)とも、覚元(覚のみなもと)とも、本性とも、本体とも呼ぶ、と。
そして、先尼の見は、その結びとして、次のように言います。
「かくのごとくの本性をさとるを、常住にかへりぬるといひ、帰真の大士といふ。これよりのちは、さらに生死に流転せず、不生不滅の性海に証入するなり。」(【3】)
このような本性をさとることを、常住に帰ったといい、帰真の大士という。これより後は、もはや生死に流転せず、生じも滅しもしない本性の海に証入するのである、と。
「このほかは真実にあらず。この性あらはさざるほど、三界・六道は競起するといふなり。これすなはち先尼外道が見なり。」(【3】)
このほかは真実ではない。この性をあらわさないあいだは、三界・六道が競い起こるのだ、と言うのである。これが、すなわち先尼外道の見である、と。
こうして、【3】の長い一文は、「これすなはち先尼外道が見なり」の一言で閉じられます。
この見の、わかりやすさ#
ここまで見てきた先尼の見は、読んでみると、決して突飛なものではありません。むしろ、筋道が通っていて、わかりやすく、心にすっと入ってくるところがあります。身は移り変わるが、それを知っている心は変わらない。身が滅びても、その心は家を出る主人のように去っていく。その変わらない心に気づけば、生死の迷いを離れる。こう説かれると、なるほど、とうなずきたくなる方も多いのではないでしょうか。
道元禅師は、この見を、わざわざ言葉を尽くして描き出しておられます。そのことの意味を、本文はとくに説明していません。けれども、これほどわかりやすく、これほど心に入りやすい見であるからこそ、即心是仏という言葉を聞いた者が、知らず知らずのうちにそこへ「零落」してしまう。【3】の詳しい描写は、そのことを読む者に見せるためのもの、と受けとめることもできるでしょう。
弁道話の問10と読みあわせる#
問う人の説と、先尼外道の見#
宗門の立場からこの段を読むとき、どうしても読みあわせておきたいのが、弁道話の問10です。本書では、『弁道話』第六回で、この問答を読みました。
そこでは、問う人が、次のような説を持ち出していました。
「あるがいはく、生死をなげくことなかれ、生死を出離するに、いとすみやかなるみちあり。」(『弁道話』第六回)
生死を嘆くことはない、生死を離れるには、たいへん速やかな道がある、と。その道とは、心性が常住であるという道理を知ることであり、
「この身体は、すでに生あればかならず滅にうつされゆくことありとも、この心性は、あへて滅することなし、」(『弁道話』第六回)
と言います。この身体は、生があるからには必ず滅へと移されていくけれども、この心性は決して滅することがない、と。さらに、「身はこれかりのすがたなり、」「心はこれ常住なり、」(『弁道話』第六回)と言い、このことを知る者は「この身、をはるとき、性海にいる、」(『弁道話』第六回)とも言っていました。
これを、即心是仏の巻の【3】と並べてみると、驚くほどよく重なっています。身は移り変わるが心性(霊知)は滅しない。身は仮のすがたで心は常住である。そのことを知る者は、身の終わるとき性海に入る(「不生不滅の性海に証入するなり」【3】)。
そして、道元禅師は、弁道話でこの説に答えて、
「しめしていはく、いまいふところの見、またく仏法にあらず、先尼外道が見なり。」(『弁道話』第六回)
と、ひとことで退けておられました。続けて、
「いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり、」(『弁道話』第六回)
と、その見を描き出しておられます。ここにも「霊知」の語が見えます。
さらに、弁道話は、
「大唐国の慧忠国師、ふかくいましめたり。」(『弁道話』第六回)
と、慧忠国師の名を挙げていました。慧忠国師がどのような言葉で戒めたのかは、弁道話の本文には記されていません。宗務庁版英訳の弁道話の注は、先尼外道の見を仏法と取り違えることへの慧忠国師の戒めは『景徳伝灯録』に見え、道元禅師は「即心是仏」の巻でこれを引いている、としています。そうであれば、本巻【4】〜【10】の問答は、弁道話で名だけが挙げられていた「慧忠国師のいましめ」の、その中身にあたるものと受けとめることができるでしょう。弁道話で短く触れられたことが、この巻で、問答の全体を引いて示されている、と見ることもできそうです。
身心一如にして、性相不二#
弁道話の問10の答えで、道元禅師は、先尼外道の見を退けたうえで、仏法の立場を次のように示しておられました。
「しるべし、仏法には、もとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる、」(『弁道話』第六回)
仏法では、もとより身と心は一つであり、本性とすがたは二つではない、と説く、と。そして、
「いはんや、常住を談ずる門には、万法みな常住なり、身と心とをわくことなし。寂滅を談ずる門には、諸法みな寂滅なり、性と相とをわくことなし。」(『弁道話』第六回)
と続けられます。常住を説くなら、すべてが常住であって身と心を分けない。寂滅を説くなら、すべてが寂滅であって性と相を分けない、と。
即心是仏の巻の【3】で、先尼の見は、移り変わる身や諸境と、変わらない霊知とを二つに分けて立てていました。弁道話の「身心一如」「性相不二」は、まさにその分け方そのものを問うています。弁道話はさらに、
「嘗観すべし、身心一如のむねは、仏法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞこの身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて生滅せざらん。」(『弁道話』第六回)
と言われていました。身心一如が仏法のつねに説くところであるのに、どうして、この身が生滅するときに、心だけが身を離れて生滅しない、ということがあろうか、と。
また、弁道話には、次のような言葉もありました。
「いはんや、心は身をはなれて常住なりと領解するをもて、生死をはなれたる仏智に妄計すといふとも、この領解・知覚の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず、これ、はかなきにあらずや。」(『弁道話』第六回)
心は身を離れて常住だと理解して、それを生死を離れた仏の智慧だと思いこんだとしても、その理解し知覚している心そのものが、なお生滅していて、まったく常住ではない。これは、はかないことではないか、と。
この言葉は、即心是仏の巻の【3】を読むうえでも、大切な手がかりになるように思われます。先尼の見は、「一念相応の智慧あらはれぬれば」、霊知本性だけが残る、と言いました。けれども、その「さとった」という理解そのもの、「変わらないものに気づいた」という知覚そのものが、じつは移り変わる心のはたらきにすぎないのではないか。弁道話のこの言葉は、そう問いかけている、と受けとめることができるでしょう。
葬儀や供養について、一言#
ここで、一つお断りしておきたいことがあります。
この段で退けられているのは、あくまでも、身を離れて変わらずに残りつづける霊知(心性)を立て、その本性をさとることが、そのまま生死を離れることである、とする見です。弁道話の問10と同じく、この段も、死後に何があるのか、ないのかを、それとして全面的に論じた箇所ではありません。また、この段は、亡き人を弔う葬儀や供養のいとなみを否定する箇所でもありません。
「家が焼けても主人は出ていく」というたとえは、私たちが身近な人を見送るときに心に抱く思いと、近いところにあるかもしれません。けれども、この段が問うているのは、そうした思いを抱くことそのものではなく、その見を「仏」「さとり」と呼び、それを知ることで仏道が成ると考える取りちがえのほうだ、と受けとめることができるでしょう。死後のことをどう受けとめるかという問いは、この段の本文が語る範囲を越えますので、本解説では断定することを控え、本文が何を退け、何を示しているかを読むことに努めます。
大証国師慧忠と南方の僧〔【4】〜【10】〕#
ここから本文は漢文に切り替わり、大証国師慧忠と一人の僧との問答が引かれます。宗務庁版英訳の注によれば、大証国師は南陽慧忠(?–775)、六祖慧能の弟子で、名高い公案の多くに登場する人です。この問答は『景徳伝灯録』に見える、とされています。
従何方来――問答のはじまり#
「大唐国大証国師慧忠和尚問僧、「従何方来」。」(【4】)
国師は僧に問います。「何れの方よりか来たる」。どこから来たのか、と。行脚の僧に来歴を問う、問答のはじめのよく知られた問いです。
僧は「南方来」(【5】)、南方より来たる、と答えます。宗務庁版英訳の注によれば、国師は北方の都、長安に住んでいました。国師は「南方有何知識」(【6】)、南方にはどのような知識がいるか、と問い、僧は「知識頗多」(【7】)、知識はたいへん多くおります、と答えます。国師はさらに「如何示人」(【8】)、その知識たちはどのように人に教えを示しているのか、と問います(現代語訳の【5】〜【8】を参照)。
ここまでのやりとりで、国師は、僧の来たところ、そこにいる知識、その知識の示す教え、と順にたずねています。
南方の知識の示すところ#
僧は、南方の知識たちの教えを、次のように報告します。
「彼方知識、直下示学人即心是仏。仏是覚義、汝今悉具見聞覚知之性。」(【9】)
書き下しでは、「彼の方の知識、直下に、学人に即心是仏と示す。仏は是れ覚の義。汝、今、悉く見聞覚知の性を具す。」となります。あちらの知識は、ずばりと、学人に即心是仏と示します。仏とは覚の義である。あなたがたは今、ことごとく見聞覚知の性をそなえている、と。
ここに「即心是仏」の語が出てきます。南方の知識たちは、即心是仏を示している。その即心是仏の中身として説かれているのが、以下の言葉です。
「仏是覚義」――仏とは覚という意味である、という説明は、それ自体としては、仏(ブッダ)が「目覚めた者」であることを言う、ふつうの説明です。けれども、それがすぐに「見聞覚知の性」へとつながれていきます。宗務庁版英訳の注は、「見聞覚知」は六識のはたらきを表す決まった一組の語であると説明し、また、英訳では「覚の義」の「覚」と「見聞覚知」の「覚」とが同じ字であることが見えなくなっている、と指摘しています。さとりの意味の「覚」が、いつのまにか、見たり聞いたり感じたりする意味の「覚」へとすべっていく。そう受けとめることもできるかもしれません。
「此性善能揚眉瞬目、去来運用、遍於身中、挃頭頭知、挃脚脚知、故名正遍知。」(【9】)
この性は、よく眉をあげ目をまたたき、行き来し、はたらき用いる。身中にあまねく行きわたり、頭に触れれば頭が知り、脚に触れれば脚が知る。それゆえ正遍知と名づける、と。
「揚眉瞬目」は、宗務庁版英訳の注によれば、禅の文献で人のふだんの動作を表す決まった言い方で、ここのように仏性のあらわれと見なされることが多く、『正法眼蔵』にもたびたび出る言葉です。また「正遍知」は仏の十号の一つで、英訳の注は、ここでは、意識が身体にあまねく行きわたるという教えを、「正遍知」の語源のように説く言葉の遊びになっている、としています。
「離此之外、更無別仏。此身即有生滅、心性無始以来未曾生滅。」(【9】)
これを離れて、ほかに別の仏はない。この身には生滅がある。(しかし)心性は、始まりのない昔からこのかた、いまだかつて生滅したことがない、と。
そして、身の生滅は、龍が骨を換えるようなもの、蛇が皮を脱ぎ、人が古い家を出ていくのに似ている、とたとえ(【9】)、
「即身是無常、其性常也。南方所説、大約如是」(【9】)
すなわち身は無常であって、その性は常である、と。南方で説かれていることは、おおよそこのようなものです、と僧は報告を結びます。
この報告のどこまでが南方の知識の言葉で、どこからが僧の要約なのかは、本文からは決められません。訳文は、宗務庁版英訳と同じく、「仏は是れ覚の義」から「其の性は常なり」までを南方の知識の言葉と取りました。また、「即身是無常」の「即」を、訳文は「すなわち」と前を受ける語に取りましたが、書き下しは「即身は」と読んでおり、幅があります。
南方の説と、先尼の見#
こうして南方の説を聞いてみると、【3】の先尼の見と、ほとんど同じ形をしていることに気づかされます。
見聞覚知の性は、身中にあまねく行きわたり、頭に触れれば頭が知り、脚に触れれば脚が知る。これは、先尼の見の「苦楽をわきまへ、冷暖を自知し、痛癢を了知す」「この霊知、ひろく周遍せり」と重なります。身は生滅するが、心性は生滅しない。これは「物は去来し、境は生滅すれども、霊知はつねにありて不変なり」と重なります。そして、人が古い家を出ていく、というたとえは、先尼の「舎主いでてさるがごとし」と重なります。
違いがあるとすれば、南方の説が、それを「即心是仏」の名のもとに説いていることでしょう(【3】の先尼の見も、霊知を「ほとけ」とも呼んではいました)。【2】で道元禅師が「即心の話をききて、癡人おもはくは」と言われたことが、この南方の説において、具体的なすがたで示されている、と受けとめることができるでしょう。
与彼先尼外道、無有差別#
僧の報告を聞いて、国師は言います。
「若然者、与彼先尼外道、無有差別。」(【10】)
書き下しでは、「若し然らば、彼の先尼外道と差別有ることなし。」もしそうであるなら、あの先尼外道と違いはない、と。
そして国師は、先尼の言葉を引きます。
「我此身中有一神性、此性能知痛癢。身壊之時、神則出去。如舎被焼舎主出去。舎即無常、舎主常矣。」(【10】)
わが、この身の中に一つの神性がある。この性は、よく痛み・かゆみを知る。身がこわれるときには、神は出て去る。家が焼かれると、家の主人が出て去るようなものである。家は無常であり、家の主人は常である、と。
宗務庁版英訳の注は、この「神」は、【3】で道元禅師が用いた「霊知」とほぼ同じ意味に取ってよいだろう、としています。国師が引く先尼の言葉と、【3】で道元禅師が描いた先尼の見とは、痛み・かゆみを知ること、家と主人のたとえ、家は無常で主人は常であること、と、要のところがそのまま一致しています。【3】の和文の長い描写は、この国師の問答を読むための備えとして置かれている、と受けとめることもできるでしょう。
南方の僧の報告と、国師の引く先尼の言葉とを並べてみると、「身は無常、性は常」と「舎は無常、舎主は常」とは、ほとんど同じ形の言葉です。国師は、言葉を尽くして南方の説を論破するというより、それと先尼の言葉とを並べて見せることで、両者に「差別」がないことを示しておられるようにも見えます。
邪正莫辨、孰為之乎#
「審如此者、邪正莫辨、孰為之乎。」(【10】)
書き下しでは、「此の如き者を審するに、邪正、弁ずること莫し、孰れをか之と為んや。」このようなものをよく調べてみると、邪と正とが弁別されていない。どちらをそれ(正しいもの)としようというのか、と。
この句の受けとめ方には幅があります。訳文は書き下しのとおりに取りました。宗務庁版英訳は、その日本語本文が「孰爲是乎」となっていることもあって、「だれがそれを正しいとするだろうか」と訳しています。また、どれを先尼の説とし、どれを南方の説とするのか、両者の区別がつかない、という意味に受けとめることもできるでしょう。「此の如き者」を、このような説と取るか、このような説を説く人と取るかにも幅があります。いずれにしても、国師がここで問題にしているのは、邪と正とを見分けることができなくなっている、ということです。
目視雲漢、是南方宗旨#
「吾比遊方、多見此色。近尤盛矣。聚却三五百衆、目視雲漢云、是南方宗旨。」(【10】)
わたしが遊方していたころ、多くこの類を見た。近ごろは、とりわけ盛んである。三百、五百の衆を集めて、目には雲漢(天の川)を見やりながら、「これが南方の宗旨である」と言う、と。
「目視雲漢」について、宗務庁版英訳の注は、ぼんやりとした、うわの空の状態を言う決まった言い方である、としています。訳文は字のとおりに訳し、含みは補いませんでした。
「南方の宗旨」について、宗務庁版英訳の注は、ここは単に中国の南部を言うのではなく、慧忠の師である六祖慧能の系統を名のった、いわゆる「南宗」を指すのだろう、としています。そうであれば、この問答は、国師が自分の師の名のもとで説かれている教えを、師の教えではない、と言っている場面だということになります。【11】で道元禅師は、国師を「曹渓古仏の上足」と呼んでおられます。国師こそが六祖の正しい弟子である、という含みを、そこに重ねて読むこともできるでしょう。ただ、これは「南方」の受けとめ方によることですので、一つの読みとして挙げておきます。
把他壇経改換――豈成言教#
「把他壇経改換、添糅鄙譚、削除聖意、惑乱後徒、豈成言教。苦哉、吾宗喪矣。」(【10】)
あの壇経を取って書き換え、いやしい話をまぜ加えて、聖意を削り除き、後の世の修行者を惑わし乱している。どうして言教となろうか。なんと苦しいことか、わが宗はほろびてしまった、と。
宗務庁版英訳の注によれば、『壇経』は六祖慧能の教えを記録したとされる書で、八世紀後半に成り、何世紀にもわたって多くの改訂を経た、とされています。また英訳の注は、道元禅師も「四禅比丘」の巻で、当時流布していた本を六祖の教えではないとして退けている、としています。この巻のことは、本書がその巻を読むときに見ることにします。
この一文にも、読みの幅があります。「他の」を、かの・あの、と取るか、他人の(六祖の)、と取るか、彼ら(南方の者たち)の、と取るか。「豈に言教と成さんや」が、書き換えられた壇経について言うのか、南方の説について言うのか。英訳の注は、「言教」はここでも六祖のほんとうの教えを指すのだろう、としています。いずれにしても、国師がここで問題にしているのは、祖師の言葉が書き換えられ、聖意が削られて、後の世の修行者が惑わされている、ということです。
「苦哉、吾宗喪矣」――なんと苦しいことか、わが宗はほろびてしまった。本文のこの言葉は、正しい教えが見失われることへの嘆きとして、短く、強く置かれています。
法離見聞覚知――浄名の言葉#
国師は、最後に、浄名(維摩居士)の言葉を引いて答えを結びます。
「若以見聞覚知、是為仏性者、浄名不応云法離見聞覚知、若行見聞覚知、是則見聞覚知、非求法也」(【10】)
書き下しでは、「若し見聞覚知を以て、是を仏性と為さば、浄名は、応に、『法は見聞覚知を離る、若し見聞覚知を行ぜば、是れ則ち見聞覚知にして、法を求むるには非ず』と云うべからざるなり。」もし見聞覚知をもって、これを仏性とするのであれば、浄名は「法は見聞覚知を離れている。もし見聞覚知を行ずるならば、それはすなわち見聞覚知であって、法を求めることではない」と言うはずがない、と。
宗務庁版英訳の注によれば、この言葉は鳩摩羅什訳『維摩経』によるもので、引用の最初の文は現存の経文とは字句が異なるものです。
国師の論の運びは、反実の形をとっています。浄名は「法は見聞覚知を離れる」と言っている。だから、見聞覚知を仏性とすることはできない、というのです。南方の知識たちは「汝今悉具見聞覚知之性」と説き、その見聞覚知の性を仏としていました。国師は、それに対して、経の言葉をもって答えておられます。
ここで、一つ注意しておきたいことがあります。国師の言葉は、見聞覚知を仏性と「する」ことを退けるものです。けれども、それを、見たり聞いたりすることそのものが仏道から外れている、見聞覚知を捨て去らなければならない、という意味にまで言い切ってよいかどうかは、慎重であるべきでしょう。「法は見聞覚知を離る」を、見聞覚知によっては法をとらえられない、という意味に取るか、法は見聞覚知を離れたところにある、と二つに分ける含みに取るかによっても、受けとめ方は変わってきます。
道元禅師は、現成公案で、
「身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。」(『現成公案』第一回)
と述べておられました。身心をあげて色を見、身心をあげて声を聞く、と。そこでは、見ること、聞くことが、退けられてはいません。ただ、それは、鏡に影を映すようなものではない、と言われています。見る心と見られるものとを二つに分けておいて、その間で映したり映されたりする、というのではない、と受けとめることもできるでしょう。
そして、この巻の第二回の範囲では、道元禅師は古徳の言葉を引いて、
「古徳云、「作麼生是妙浄明心、山河大地・日月星辰」。」(第二回の【4】)
と示し、「あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」(第二回の【5】)と言われます。心とは山河大地であり、日月星辰である、と。見聞覚知する心の奥に変わらない霊知を探す見とは、向きの違う言葉のように見えます。国師の「法離見聞覚知」が何を退け、道元禅師がそれを受けてどのような心を示されるのかは、第二回で、その言葉に即して読むことにします。今回は、国師の言葉を、見聞覚知を「仏性とする」ことへの戒めとして受けとめておくにとどめます。
国師の宗旨を参学の亀鑑とすべし〔【11】〕#
問答を引き終えて、本文はふたたび和文にもどり、道元禅師ご自身の言葉になります。
「大証国師は、曹渓古仏の上足なり、天上・人間の大善知識なり。」(【11】)
大証国師は、曹渓の古仏(六祖慧能)のすぐれた弟子であり、天上と人間の大善知識である、と。宗務庁版英訳の注は、「天上・人間の大善知識」という言い方は、慧忠が地上では中国の皇帝たちの師であり、天上では帝釈天の師であったという、『正法眼蔵』のほかの箇所でも触れられる伝えをふまえる、としています。
「国師のしめす宗旨をあきらめて、参学の亀鑑とすべし。先尼外道が見処としりて、したがふことなかれ。」(【11】)
国師の示す宗旨を明らかにして、参学の手本とすべきである。(南方の説を)先尼外道の見処であると知って、(それに)従ってはならない、と。
「亀鑑」は、宗務庁版英訳の注によれば、行いの「型」を示すもので、古代中国で占い師が熱した亀の甲の割れ目を用いたことによる語です。
後半の一文には、読みの幅があります。訳文は、「(南方の説を)」を補って、南方の説を先尼外道の見処であると知って、従ってはならない、と取りました。宗務庁版英訳も同じ向きに訳しています。ただし、何に「従うな」と言っているのかは、本文に示されていません。【2】の癡人の考えとも、先尼の見そのものとも取ることができます。また、宗務庁版英訳の日本語本文には「と」がなく、「先尼外道が見處、しりてしたがふことなかれ」となっていて、先尼外道の見処を、それと知ったうえで従ってはならない、と読む余地もあります。
どの読みを取るにしても、ここで道元禅師が示しておられることの要は、二つに受けとめることができるでしょう。一つは、国師の示す宗旨を「あきらめて」、つまり明らかに見きわめて、手本とせよ、ということ。もう一つは、それと先尼外道の見とを、はっきりと見分けよ、ということです。国師の問答の中で問われていたのは、「邪正莫辨」、邪と正とが見分けられなくなっていることでした。道元禅師は、それを受けて、読む者に、見分けることを求めておられる、と受けとめることができるでしょう。
明眼の師なきこと〔【12】〕#
「近代大宋国に諸山の主人とあるやから、国師のごとくなるはあるべからず。」(【12】)
近ごろ、大宋国で諸山の住持となっている者たちに、国師のような人はいるはずがない、と。
「あるべからず」を、訳文は「いるはずがない」と、打ち消しの推量に取りました。宗務庁版英訳も同じ向きに訳しています。ただ、国師のようにふるまう者はいてはならない、という含みを見る読みもありえます。
「むかしより国師にひとしかるべき知識、いまだかつて出世せず。しかあるに、世人あやまりておもはく、臨済・徳山も国師にひとしかるべし、と。」(【12】)
昔から、国師に等しいほどの知識は、いまだかつて世に出ていない。それなのに、世の人は誤って、臨済・徳山も国師に等しいはずだ、と思っている、と。
宗務庁版英訳の注によれば、臨済義玄(?–866)は臨済の系統の祖、徳山宣鑑(780–865)は臨済と同時代の人で、この二人は『正法眼蔵』のほかの箇所でも批判の対象として取り上げられる、とされています。ただし、ここで本文が述べているのは、世の人が臨済・徳山を国師と等しいと思うのは誤りである、ということです。本解説では、本文に書かれていることを越えて二人を評することはしません。
「かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。」(【12】)
このような者たちばかりが多い。あわれむべきことだ、明眼の師がいないことを、と。
「明眼の師なき」が、だれにとって明眼の師がいないことを言うのかは、本文に示されていません。臨済・徳山を国師と等しいと思う世の人々に、正しく導く師がいない、と受けとめることもできますし、近ごろの諸山に明眼の師がいない、と受けとめることもできます。二つを重ねて受けとめることもできるでしょう。
ここで、【2】の言葉を思い起こしてみましょう。即心の話を聞いて、慮知念覚をそのまま仏とする癡人について、道元禅師は「これはかつて正師にあはざるによりてなり。」(【2】)と言われていました。【12】の「明眼の師なきこと」は、この「正師にあはざる」と、巻の冒頭と今回の範囲の終わりとで、向かいあっているように見えます。正しい師に会わないから、誤る。そして、正しい師が少ない。即心是仏の取りちがえは、一人ひとりの理解の誤りであるとともに、それを正す明眼の師がいるかどうかの問題でもある、と受けとめることができるでしょう。
本書でこのあと読む礼拝得髄の巻には、
「為衆の主人、かならず明眼によるべし。」
という言葉があります。大衆の主人となる者は、必ず明眼であることによるべきである、と。礼拝得髄のこの言葉は、まったく別の文脈で言われたものですので、二つを重ねて解釈を決めることはできません。けれども、「諸山の主人」に国師のような人がいない、と言い、「明眼の師なきこと」を嘆く【12】の言葉を読むとき、師となる者に何よりも明眼が求められる、という点で、二つの言葉は響き合っているように思われます。
坐禅と日々の暮らしのなかで#
今回の範囲を、坐禅と日々の修行のなかで受けとめるとすれば、どのようなことが言えるでしょうか。以下は、本文が直接に坐禅について語っていることではなく、宗門の立場からの一つの受けとめ方として申し添えるものです。
「たやすくしりぬべし」と、「いまだ修せざるにはあらはれず」#
先尼の見は、大道のありさまは「たやすくしりぬべし」(【3】)と言いました。苦楽をわきまえ、冷暖を知り、痛みかゆみを知る、その霊知に気づけばよい。そして、一念相応の智慧があらわれれば、霊知本性だけがはっきりと残り、以後は生死に流転しない、と。
弁道話の問10の問う人も、心性の常住なることを知るのが生死を離れる「いとすみやかなるみち」であると言い、
「しかあればすなはち、ただいそぎて心性の常住なるむねを了知すべし、いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつところかあらん。」(『弁道話』第六回)
と言っていました。急いで心性が常住であるという旨を知ればよい、むなしく静かに坐って一生を過ごして、何を待つことがあろうか、と。
ここには、はっきりとした一つの筋が見えます。変わらない心の本体を「知る」ことで事が済むのであれば、坐禅をして修行を続けることは、まわり道であり、むなしいことになってしまいます。先尼外道の見は、坐禅の修行を不要とする見と、根のところでつながっている、と受けとめることができるでしょう。
これに対して、弁道話の冒頭には、
「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。」(『弁道話』第一回)
とありました。この法は、一人ひとりの身の上に豊かにそなわっているけれども、修さなければあらわれず、証さなければ得ることはない、と。
「人人の分上にゆたかにそなはれり」という言葉だけを取り出せば、先尼の見の「自他おなじく具足し」(【3】)や、南方の説の「汝今悉具見聞覚知之性」(【9】)と、よく似て聞こえるかもしれません。けれども、弁道話は、そこで言葉を止めず、「いまだ修せざるにはあらはれず」と続けていました。そなわっていることを「知る」ことで終わるのではなく、修することによってあらわれる。先尼の見と、宗門の教えとの分かれ目の一つは、ここにある、と受けとめることができるでしょう。
修証一等と、「一念相応の智慧」#
弁道話には、また、
「修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辦道すなはち本証の全体なり。」(『弁道話』第五回)
とありました。修行とさとりは一つである。いまの修行も証の上の修行であるから、初心の修行が、そのまま本来の証のすべてである、と。
先尼の見では、「一念相応の智慧」があらわれるまでの時と、あらわれたあとの時とが、はっきりと二つに分かれていました。智慧があらわれるまでは妄法の空華があり、あらわれたあとは霊知本性だけが常住で、「これよりのちは、さらに生死に流転せず」(【3】)、と。一度さとれば、あとは何もすることがない、という構図です。
宗門で大切にされてきた修証一等の教えは、これとは向きが違う、と受けとめることができるでしょう。坐禅は、何かに気づくための手段として、気づいたら終わるものではありません。初心の一坐が、そのまま本証の全体であり、その修行に終わりはない。弁道話の「すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。」(『弁道話』第五回)という言葉は、そのことを示していると受けとめることができます。
坐禅のなかの「見ている私」#
坐禅をしていると、さまざまな思いが浮かんでは消えていきます。音が聞こえ、足が痛み、記憶がよみがえり、また消えていく。そうしたとき、浮かんでは消える思いとは別に、それを「見ている私」がいるように感じられることがあるかもしれません。思いは移り変わるけれども、それを見ている私は変わらない。そう感じて、その「見ている私」こそが本当の自分であり、仏なのだ、と考えたくなることもあるでしょう。
今回読んだ先尼外道の見は、そうした「見ている私」を、霊知と呼び、真我と呼び、本性・本体と呼んで、変わらないものとして立てる見と、よく似た形をしている、と受けとめることができるでしょう。坐禅をする私たちにとって、この見は、決して遠いものではないのかもしれません。
道元禅師は、現成公案で、
「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。」(『現成公案』第一回)
と示しておられました。仏道を習うとは、自己を習うことである。自己を習うとは、自己を忘れることである、と。また、
「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず。」(『現成公案』第一回)
とも言われていました。諸仏がまさしく諸仏であるときは、自己は諸仏であると覚知することを用いない、と。
先尼の見は、変わらない「真我」をつかもうとします。これに対して、現成公案の言葉は、その自己を習い、忘れることを示しています。また、「自分は仏だ」と覚知することを用いない、とも言われています。坐禅のなかで「見ている私」を変わらない本体としてつかもうとする心が起こったとき、それをつかまえにいくのでもなく、追い払おうとするのでもなく、ただ姿勢をととのえ、息をととのえて坐りつづける、という受けとめ方もあるでしょう。弁道話に「宗門の正伝」として示される「ただし打坐して身心脱落することをえよ。」(『弁道話』第二回)という言葉を、そうした坐り方に向けられた言葉として受けとめることもできるでしょう。
さきに見た弁道話の言葉、「この領解・知覚の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず」(『弁道話』第六回)も、ここで思い起こされます。「変わらないものに気づいた」という知覚そのものが、移り変わる心のはたらきである。そうであるなら、坐禅のなかで何かに気づいたと思っても、それを握りしめる必要はない、と受けとめることができるのではないでしょうか。弁道話の「一知半解を心にとどむることなかれ。」(『弁道話』第八回)という戒めは、ここでも大切な言葉でしょう。
正師について学ぶこと#
今回の範囲は、「正師にあはざるによりてなり」(【2】)に始まり、国師を「参学の亀鑑とすべし」(【11】)と言い、「明眼の師なきことを」(【12】)と嘆く言葉で終わっていました。即心是仏の取りちがえは、正しい師に出会わず、自分ひとりの考えで言葉の意味を埋めてしまうところから生まれる、と受けとめることができるでしょう。
弁道話は、「ただまさに、はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとどむることなかれ。」(『弁道話』第八回)と示していました。善知識に会ったはじめから、修行の作法を問い尋ねて、ひたすらに坐禅し修行せよ、と。
坐禅を始めてみたいと思われる方は、書物だけでなく、近くの寺院の坐禅会などで指導を受けながら坐ってみられるのがよいでしょう。
むすびに――先尼外道の見から、仏祖の即心是仏へ#
今回読んだ範囲を、あらためてふり返ってみましょう。
巻は、「仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり。」(【1】)という言葉で始まりました。仏祖がみな保任してきたのは、即心是仏だけである、と。けれども、その言葉は、多くの学ぶ者によって取りちがえられ、取りちがえた者は外道に落ちていく、と続きます(【1】)。その取りちがえとは、即心の話を聞いて、菩提心をおこさない衆生の慮知念覚を、そのまま仏とすることであり、それは正師に会わなかったからである、と示されました(【2】)。
そして、その外道の見として、先尼外道の見が詳しく描かれました。苦楽を知り、冷暖を知り、痛みかゆみを知る霊知は、つねにあって変わらず、身が破れても、焼ける家から主人が出ていくように、出ていく。その霊知を仏とも、さとりとも、真我とも呼び、それをさとれば生死に流転しない、と(【3】)。この見は、弁道話の問10で退けられた心常相滅の見と、よく重なるものでした。
続いて、大証国師慧忠と南方の僧との問答が引かれました。南方の知識たちは、即心是仏を示して、見聞覚知の性を仏とし、身は無常で性は常である、と説いている。国師は、それはあの先尼外道と違いがない、と答え、先尼の言葉を引き、邪正が弁別されていないこと、壇経が書き換えられていることを嘆き、浄名の「法は見聞覚知を離る」の言葉をもって答えを結びました(【4】〜【10】)。弁道話で名だけが挙げられていた「慧忠国師のいましめ」の中身にあたるものと受けとめることのできる問答です。
道元禅師は、国師の示す宗旨を明らかにして参学の手本とせよ、と言われ(【11】)、近ごろの諸山に国師のような人はいない、明眼の師がいないことはあわれむべきである、と結ばれました(【12】)。
今回の範囲で退けられたのは、「即心是仏」という言葉そのものではありません。退けられたのは、その言葉を、見聞覚知する心の性、移り変わるものの奥にある変わらない霊知のことだと受けとる見でした。それでは、仏祖が保任してきた即心是仏とは、何なのでしょうか。
次の回では、
「いはゆる仏祖の保任する即心是仏は、外道・二乗のゆめにもみるところにあらず。」(第二回の【1】)
という言葉から始まる、道元禅師ご自身の説き示しを読みます。そこでは、「即心是仏」の四字を、「心即仏是」「仏即是心」「即心仏是」「是仏心即」と順を入れかえて参究することが示され(第二回の【2】)、「心とは山河大地なり、日月星辰なり。」(第二回の【5】)と言われ、さらに「即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。」(第二回の【6】)と示されます。そして巻は、
「いはゆる諸仏とは、釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏、これ即心是仏なり。」(第二回の【7】)
という言葉へと進んでいきます。今回見てきた先尼外道の見――身と心とを二つに分け、変わらない霊知を立てる見――と、これらの言葉がどのように向かいあっているのかを、今回「読みの分かれるところ」に挙げた読みの幅とあわせて、見ていくことにします。
読みの分かれるところ#
この回の範囲では、和文の一文にも、漢文の問答の一句にも、読み方の分かれるところがあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。
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「西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり」【1】
仏祖がみな即心是仏を保任してきた、と言ったすぐあとに、インド(西天)にはなかった、と言われます。宗務庁版英訳の注では、インドの仏祖が言葉にせずに保任していたものを、中国(震旦)の人がはじめて言葉にした、という主張のようだとされ、句そのものは中国ではじめて現れるが、心と仏を等しいとする考えにはインドにも先例がある、とも述べられています。この読みでは「なし」は、その句がなかった、ということになります。一方で、即心是仏は「ある・ない」で言えるような教えの品目ではない、という含みを読む受けとめ方もありえます。「いまだまぬかれず」も、例外なく、と取るほか、即心是仏からのがれられずに保任してきた、保任が避けられない務めであった、と取ることができます。 -
「学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず」【1】
「将錯就錯」は禅の文献に見える慣用句で、宗務庁版英訳の注では、誤りを誤りとして認める、誤りを逆に生かす、誤りに誤りを重ねる、などの意があるとされます。「あやまるによりて、将錯就錯せず」のつながりも、即心是仏を取りちがえるために誤りを誤りとして引き受けられない、と取ることも、「即心是仏」という言葉そのものを一つの「錯」と見て、言葉と知ったうえでその言葉にまっすぐ就いて参究することをしない、と取ることもできます。 -
「存没するがゆえに。明暗にかかはれず、霊知するがゆえに。これを霊知といふ」【3】
本書の原文の句切りでは、「存没するがゆえに」で諸境についての文が終わり、「明暗にかかはれず、霊知するがゆえに」は霊知についての文になります。宗務庁版英訳の注では、「明暗にかかわらずに霊知するから、これを霊知という」と区切るほうがよいかもしれない、とされています。句を読点で一続きにつなげて読む読み方もありえます。「明暗」が、明るさ・暗さか、さとりと迷いか、あらわれることと消えることか、も本文には示されていません。 -
南方の知識の説はどこまでか【9】
僧の報告のうち、「仏は是れ覚の義」から「其の性は常なり」までを南方の知識の言葉と取るのが本書の訳で、宗務庁版英訳も同じ形で訳しています。一方、最後に「南方の所説、大約、是の如し」とあることから、僧が自分の言葉で要約して報告している、と見ることもできます。また、「仏は是れ覚の義」の「覚」(さとり)と、「見聞覚知」の「覚」(感じとること)が同じ字であることに、意味のすべりを読むかどうかも、受けとめ方の分かれるところです。「即身は是れ無常にして」も、「すなわち身は」と取るか、書き下しのとおり「即身は」と一語に取るかで幅があります。 -
浄名の「法は見聞覚知を離る」【10】
国師は、浄名(維摩居士)がこう言っているのだから、見聞覚知を仏性とすることはできない、と論じます。この言葉を、見聞覚知によっては法をとらえられない、という意味に取るか、法は見聞覚知を離れたところにある、と二つに分ける含みに取るかで、受けとめ方が変わります。国師が退けているのは見聞覚知を仏性と「する」ことで、見たり聞いたりすることそのものを捨てよ、とまで言っているかどうかは、慎重に読むべきところです。浄名の言葉を、後半の「若し見聞覚知を行ぜば……」までと取るか、前半だけと取るかにも幅があります。 -
「先尼外道が見処としりて、したがふことなかれ」【11】
何に「従うな」と言っているのかは、本文に示されていません。本書の訳は(南方の説を)と補い、宗務庁版英訳も同じ向きに訳しています。【2】の癡人の考えとも、先尼の見そのものとも取ることができます。宗務庁版英訳の日本語本文には「と」がなく、その形なら、先尼外道の見処を、それと知ったうえで従ってはならない、とも読めます。 -
「国師のごとくなるはあるべからず」「あはれむべし、明眼の師なきことを」【12】
「あるべからず」は、いるはずがない、と取るのがまず自然ですが、国師のようにふるまう者はいてはならない、という含みを見る読みもありえます。「明眼の師なき」も、臨済・徳山を国師と等しいと思う世の人々に正しく導く師がいない、と取ることも、近ごろの諸山に明眼の師がいない、と取ることも、その二つを重ねて取ることもできます。
参考#
- 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第六「即心是仏」
- 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. I(Sōtō Zen Text Project、2023)
- 本巻の撰述の時と場所、諸本での位置、巻名と馬祖道一の結びつき、南陽慧忠・臨済義玄・徳山宣鑑・馬祖道一の生没年、先尼・霊知・凡聖含霊・空華・一念相応・本性・見聞覚知・揚眉瞬目・正遍知・神・目視雲漢・南方の宗旨・壇経・言教・浄名の言葉・亀鑑・諸山・天上人間の大善知識についての説明、問答と先尼のたとえの出典(『大般涅槃経』『景徳伝灯録』『維摩経』)、弁道話の注(同書 Vol. VII)に見える慧忠国師の戒めの出典と、語注・解説・「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注・解題によります。