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現成公案(四)宝徹禅師の扇#

『現成公案』の巻の最後の部分、麻浴山宝徹禅師の扇の問答と、それを受けた道元禅師の言葉、そして巻末題と奥書を読む回です。

原文#

麻浴山宝徹禅師の扇#

【1】麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず、と。僧いはく、いかならんかこれ無処不周底の道理。ときに、師、あふぎをつかふのみなり。僧、礼拝す。

仏法の証験、正伝の活路#

【2】仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬおりも風をきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。

巻末題#

正法眼蔵現成公案第一

奥書#

これは、天福元年中秋のころ、かきて鎮西の俗弟子楊光秀にあたふ。

建長壬子拾勒。

現代語訳#

段落番号【1】【2】は原文の段落番号と対応します。【1】は麻浴山宝徹禅師と一人の僧との問答、【2】はそれを受けた道元禅師の言葉(拈提)です。【1】の問答は、話し手がわかるように、発言ごとに行を分けて「僧」「師」と示しました。原文にはこの区切りはありません。( )内は、原文にない語を補ったもの、または直前の語の言い換え・読みです。仏教語・禅語・漢語(風性・常住・無処不周・和尚・礼拝・証験・正伝・活路・仏家・現成・蘇酪・参熟など)と人名は訳さずに残し、段落の後に「語注」として短く説明しました。読みの分かれる句には、訳文には一つの訳を置き、主なものを末尾の「読みの分かれるところ」に挙げました。

【1】麻浴山宝徹禅師の扇#

麻浴山宝徹禅師が扇を使っていた(扇であおいでいた)とき、(ひとりの)僧がやって来て問うた。

僧「風性は常住であり、無処不周(行きわたらないところはない)です。(それなのに)何のために、そのうえ和尚は扇を使われるのですか」

師「おまえは、ただ風性が常住であることを知っているにしても、(風が)どこであれいたらないところはないという道理を、まだ知らないのだ」

僧「無処不周である(というその)道理とは、どのようなものですか」

そのとき、師はただ扇を使うばかりであった。僧は礼拝した。

語注

  • 麻浴山宝徹禅師:禅僧。生没年は不明で、馬祖道一(709–788)の門下とされる。麻浴山は今の中国山西省にある山とされる(宗務庁版英訳による)。
  • 問答の出典:禅師はこの問答を、ほぼ和文に移して述べている。宗務庁版英訳の注は、この問答が『宗門統要集』や、真字『正法眼蔵』(第123則)などに見える、とする。漢文の原形は、ここでは示さない。
  • あふぎをつかふちなみに:扇を使っている折に。「ちなみに」は、〜のついでに・〜の折に。
  • 風性:風の性(本性・本質)、風というもののありよう。訳さずに残した(→読みの分かれるところ)。
  • 常住:いつまでも変わらずにあること。仏教語。第二回の語注参照。訳さずに残した。
  • 無処不周:漢文の句。「処として周(あまね)からざる無し」、どこであれ行きわたらないところはない、の意。宗務庁版英訳は「めぐらないところはない(circulate)」と訳す。訳さずに残し、( )に意を添えた。
  • なにをもてかさらに:何をもってか、さらに。「なにをもてか」は理由を問う語(なぜ・何のために)。「さらに」は、そのうえ・わざわざ、の意に取った(→読みの分かれるところ)。
  • 和尚:師僧を敬って呼ぶ語。ここでは僧が宝徹禅師に呼びかけたもの。
  • しれりとも:知っているとしても・知っているにしても。「ただ」と合わせて、知っているのはそこまでで、の意に取った。宗務庁版英訳は「〜だけは分かっている(only understand)」と訳す(→読みの分かれるところ)。
  • ところとしていたらずといふことなき道理:どの場所としても(風が)いたらないということはない、という道理。僧の言う「無処不周」を、師が和語で言い直したものと取った。宗務庁版英訳は「いたらない(reach)ところはない」と訳す。「いたる」の主語は原文に示されておらず、(風が)と補った(→読みの分かれるところ)。
  • 無処不周底:「底」は、「〜である(ところの)」の意の語。「無処不周底の道理」で、無処不周という(その)道理。
  • あふぎをつかふのみなり:(言葉で答えず)ただ扇を使うばかりであった(→読みの分かれるところ)。
  • 礼拝:仏・師を敬って拝すること。訳さずに残した。ここで僧が礼拝したことの意味は原文に説明がない(→読みの分かれるところ)。

【2】仏法の証験、正伝の活路#

仏法の証験、正伝の活路は、まさにこのとおりである。(風性は)常住なのだから扇を使う必要はない、使わないときにも風を聞く(感じる)はずだ、というのは、常住も知らず、風性も知らないのである。風性は常住であるからこそ、仏家の風は、大地が黄金であることを現成させ、長河の蘇酪を参熟させたのである。

語注

  • 証験:あかし、しるし。仏法がたしかにそのとおりであることのあかし、の意に取った。宗務庁版英訳は「あかし(proof)」と訳す。「証」を修証の「証」(さとり)とつなげて読む余地もある。訳さずに残した(→読みの分かれるところ)。
  • 正伝:正しく伝わること。師から弟子へ、まさしく伝えられること。第一回【9】の語注参照。
  • 活路:生きる道、いのちの通う道。宗務庁版英訳は「いのちを救う道(life-saving path)」と訳し、「正伝の」を「まさしく(直接に)伝えられた」と取る。訳さずに残した(→読みの分かれるところ)。
  • それかくのごとし:それはこのとおりである。「かく」が指すのは、【1】の問答、とりわけ師が扇を使ったことと取った(→読みの分かれるところ)。
  • 常住なればあふぎをつかふべからず:常住なのだから扇を使うべきでない(使う必要はない)。【1】の僧の問いの考え方を、禅師が言い表したものと取った。
  • つかはぬおりも風をきくべき:使わないときにも風を聞くはずだ・聞けるはずだ。「おり」は、折・時。「きく」は、ここでは風を感じること(宗務庁版英訳は「感じる(feel)」と訳す)。「べき」は、当然〜のはずだ(推量)とも、〜すべきだ(当為)とも取れる(→読みの分かれるところ)。
  • 常住をもしらず、風性をもしらぬなり:「常住」の意味も「風性」の意味も知らないのである。僧の問いの前提にある「常住」「風性」の理解を退けるものと取った(→読みの分かれるところ)。
  • 風性は常住なるがゆゑに:風性は常住であるから。前の文で退けた「常住だから扇を使わなくてよい」とは逆に、常住であるからこそ扇を使う(風が現れる)、と続くものと取り、訳文に「からこそ」と添えた(→読みの分かれるところ)。
  • 仏家の風:仏の家(仏祖の家・仏法の家)の風。字面どおり「(扇から起こる)風」を言い、また禅でいう「家風」(その家の宗風・ありよう)にも通う語と取れる。訳さずに「仏家の風」と残した。宗務庁版英訳は「仏たちの家の風」と訳す(→読みの分かれるところ)。
  • 現成せしめ:現成させる。「現成」は、現れて成る、現にそのものとして成っていること。前回の語注参照。訳さずに残した。
  • 大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり:宗務庁版英訳の注は、この句が、すぐれた菩薩の力について言われる「長河を攪(か)きまぜて酥酪となし、大地を変じて黄金となす」という意の言い回し(攪長河爲酥酪、變大地爲黃金)をふまえる、とする(書き下しは訳者による)(→読みの分かれるところ)。
  • 長河:宗務庁版英訳の注は、天の川を指すとする。字面どおり「長い大河」と取る読みもありうるので、訳文は「長河」と原文の語を残した(→読みの分かれるところ)。
  • 蘇酪:乳を加工したもの。宗務庁版英訳の注は「蘇酪」を「酥酪」(乳を加工した食品の一種で、バター・ヨーグルト・チーズのようなものなどと説明される)の異表記と取る。訳さずに残した。
  • 参熟せり:熟させた・熟成させた。「参」は、この巻にも「参飽」「参学」(前回の【1】)、「同参」(前回の【3】)と見える字で、「熟」は熟すこと・ととのうこと。宗務庁版英訳は「用意した・こしらえた(prepared)」と訳す。訳さずに残した(→読みの分かれるところ)。「せり」は完了・存続(〜した・〜している)。

巻末題#

訳文

正法眼蔵 現成公案 第一

語注

  • 巻末題:『正法眼蔵』の「現成公案」の巻、第一(巻の終わりを示す題)。
  • 「第一」:巻頭題「正法眼蔵第一」と一致する。本山版(九十五巻本)ではこの巻は第三巻に置かれるが、巻末題の番号は「第一」である。宗務庁版英訳の解題は、この巻が七十五巻本・六十巻本のどちらでも第一の巻であり、本山版では第三の巻であるとする。

奥書#

訳文

これは、天福元年(1233年)の中秋のころに書いて、鎮西の俗弟子、楊光秀に与えたものである。

建長壬子(建長四年、1252年)に拾勒した。

語注

  • 天福元年中秋:天福元年は1233年。「中秋」は、旧暦八月十五日(仲秋の名月の日)をいう。宗務庁版英訳はこの日付を西暦1233年9月20日にあてる。「中秋のころ」とあり、その日ごろ、の意。
  • 書かれた場所:奥書には記されていない。宗務庁版英訳の解題では、この巻は1233年の秋に、おそらく深草(京都の南)に開かれたばかりの興聖寺で著されたとされます。
  • 鎮西:宗務庁版英訳の注は、今の九州の筑前にあった大宰府の役所を指す、とする。
  • 俗弟子:出家していない在家の弟子。
  • 楊光秀:人名。「ようこうしゅう」と読まれ、「やなぎみつひで」とも読みうる名とされる。どういう人物かは分かっておらず、鎮西(大宰府)の役人であったと推測されている(宗務庁版英訳による)。訳文では読みを示さなかった。
  • あたふ:与える。この巻を楊光秀に書き与えた、の意。宗務庁版英訳の解題は、在家の弟子に与えたと記すこの奥書を、珍しいものとしている。
  • 建長壬子:建長四年(1252年)。「壬子」はその年の干支(みずのえね)(宗務庁版英訳による)。天福元年の撰述から約二十年後にあたる。
  • 拾勒:宗務庁版英訳の注に、この語の字義の説明はない。同書の奥書の英訳は「集めて整えた(compiled and ordered)」の意に訳している。訳文では語を訳さずに「拾勒した」と残した。
  • この奥書の筆者と意味:奥書に署名はない。宗務庁版英訳の注は、この1252年の奥書はおそらく道元禅師自身によるもので、七十五巻本『正法眼蔵』の編集を終えたことを示すものではないかと推測されている、とする。訳文では主語(だれが拾勒したか)を補わなかった。

解説#

はじめに――巻の結びに置かれた一つの問答#

前回は、「身心に、法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ」から「見成これ何必なり」までの四つの段落を読みました。大海を船から眺める人、果てのない水を行く魚と空を飛ぶ鳥、そして、水をきわめ空をきわめてから行こうとする鳥魚。その流れのなかで、「このところをうれば、この行李したがひて現成公案す」(前回の【3】)と、巻名の「現成公案」という言葉がはじめて本文に現れ、「遇一行修一行なり」(前回の【3】)と、いま遇った一つの行を修することが示されました。

今回は、この巻の最終回です。読むのは、次のところです。

段 内容
【1】宝徹禅師の扇 麻浴山宝徹禅師と一人の僧との問答
【2】仏法の証験、正伝の活路 問答を受けた道元禅師の言葉(拈提)
巻末題 正法眼蔵現成公案第一
奥書 天福元年中秋の記と、建長壬子の一行

これまでの段では、禅師はおもに、ご自身の言葉で、たとえを重ねながら語ってこられました。舟と岸、薪と灰、月と水、大海、魚と鳥。それに対して、この最後の段では、一つの古い問答が、ほぼそのままのかたちで示されます。扇を使っている禅師のところに、一人の僧がやってきて問う。それに禅師が答え、最後には、言葉ではなく扇を使ってみせる。そのあとに、道元禅師が、この問答をどう受けとめるべきかを、短く、しかしきっぱりと示されます。

巻の最後に置かれた問答ですから、それまでの段で語られてきたことが、ここに集められている、と受けとめることもできるでしょう。前回の終わりに申し上げたように、「このところ」「このみち」の話が、扇を使うという一つの行いの上で、どのように示されるのか。前回読んだ「遇一行修一行」という言葉もあわせて、そこに心をとめながら読んでいきたいと思います。

読み方の手順は、これまでと同じです。まず、何が言われているかを字面のうえで確かめ、そのうえで、それが何を指して言われているのかを考えます。現代語訳は訳者の一つの読みであり、読みの決めにくい箇所のうち主なものは、末尾の「読みの分かれるところ」に挙げました。解説でも、それらの箇所では読みの幅を残したまま要点を述べるにとどめます。そのうえで、坐禅や日々の修行、暮らしとのつながりを、一つの受けとめ方として申し添えてまいります。

麻浴山宝徹禅師の扇〔【1】〕#

宝徹禅師と、この問答#

まず、問答に登場する禅師について、確かめられることを見ておきましょう。

宗務庁版英訳の注によれば、麻浴山宝徹禅師は、生没年のわからない禅僧で、馬祖道一禅師(709–788)の門下とされます。麻浴山は、いまの中国山西省にある山とされています。また同じ注は、道元禅師はここで、この問答をおおむね和文に移して語っており、この問答は『宗門統要集』や、真字『正法眼蔵』(第123則)などに見えるものである、としています。

つまり、この問答は、禅師がこの巻のために新しく作られた話ではなく、禅の伝統のなかで伝えられてきた古い問答です。それを禅師は、漢文のままではなく、和らげた言葉で語り直し、巻の最後に置かれました。第一回で見たように、この巻は、奥書によれば、鎮西の在家の弟子に書き与えられたものでした。けれども、禅師がこの問答を和文で示された理由について、本文は何も語っていません。ここでは、事実として、禅師がこの問答を和文で示しておられる、ということだけを確かめておきます。

僧の問い――「風性常住、無処不周なり」#

「麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」(【1】)。

宝徹禅師が扇を使っていたとき、一人の僧がやってきて問いました。風の性は常住であり、行きわたらないところはない。それなのに、どうして和尚は、わざわざ扇を使われるのですか、と。

場面は、ごく身近なものです。扇であおぐ。それは、だれもがすることです。ところが僧は、そこに一つの理屈をもちこみます。「風性」、風というものの本性は、「常住」、いつも変わらずにある。そして「無処不周」、どこであれ行きわたらないところはない。そうであるなら、風はもともと、いつでもどこにでもあるはずだ。それなのに、なぜあらためて扇を使って風を起こす必要があるのか、と。

この問いのなかの言葉には、それぞれ読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。「風性」を、風の本性・本質と取るのか、個々の風を離れて、どこにでもある「風というもの」そのものを僧が思い描いている、と取るのか。「常住」と「無処不周」とを、時間の上でいつもあることと、場所の上でどこにでもあることとの二つと見るのか、一つのことの言いかえと見るのか。「なにをもてか」を、なぜ・何のためにと理由を問う語と取るのか、何によってと手段を問う語と取るのか。そして、この問いが、素朴な疑問として発せられたのか、それとも「常住・無処不周なら扇は無用のはずだ」という理屈で師に迫る、試しの問いなのか。訳文は、そのどちらにも寄せずに訳しました。

どの読みに立つとしても、問いの骨組みははっきりしています。「もともとあるのだから、あらためて何かをする必要はないのではないか」。僧の問いは、この形をしています。そして、この形の問いは、これからみるように、仏道の修行に重ねて読むこともできる問いです。

師の答え――「いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」#

「師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず、と」(【1】)。

師は答えました。おまえは、ただ風性が常住であることを知っているにしても、どこであれいたらないところはない、という道理を、まだ知らないのだ、と。

ここで師は、僧の言った二つの言葉、「風性常住」と「無処不周」とを分けています。僧は「風性常住」のほうは知っている。けれども、「無処不周」の道理のほうは、まだ知らない、と。僧は、問いのなかで、この二つを続けて口にしていました。けれども師は、一方は知っていても、もう一方は知らない、と言われるのです。

この答えにも、読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。「ただ…しれりとも」を、知っているにしても、と譲歩に取るのか、宗務庁版英訳のように、ただ(〜だけ)を知っている、と取るのか。また、師の言う「ところとしていたらずといふことなき」は、僧の「無処不周」を和語で言い直したものと取ることができますが、宗務庁版英訳が、僧の語を「めぐる(circulate)」、師の語を「いたる(reach)」と訳し分けているように、言い直しのなかで「周(あまねし)」が「いたる」に変わっていることに意味を見る読み方もありえます。さらに、「いたる」の主語は原文に示されておらず、訳文では(風が)と補いましたが、風性と取ることも、修行する人と取ることもできるでしょう。

読みの幅を残したうえで、一つの受けとめ方を申し上げてみます。「どこであれ、いたらないところはない」。その「ところ」という言葉に、心をとめてみたいのです。前回、私たちは、「このところをうれば」「このみち、このところ」(前回の【3】)という言葉を読みました。魚にとっての「ところ」は、水の果てにある特別な場所ではなく、いま泳いでいるこの水である、と受けとめました。宝徹禅師の言う「ところとして」の「ところ」も、どこか遠い場所ではなく、いま扇を使っている、この手もと、この身のまわり、と受けとめることができるのではないでしょうか。風が「いたらないところはない」というのは、頭のなかで「どこにでもある」と考えることではなく、いま、このところに、風がいたっている、ということである。そのように読むならば、師の答えは、僧の知っている「常住」が、まだ「このところ」に届いていない、ということを言っているように思われます。もとより、宝徹禅師の答えの「ところ」と、前回の段の「このところ」とを結びつけることは、本文がそう言っているのではなく、巻の流れのなかで読む者の一つの受けとめ方です。

「ときに、師、あふぎをつかふのみなり。僧、礼拝す」#

「僧いはく、いかならんかこれ無処不周底の道理。ときに、師、あふぎをつかふのみなり。僧、礼拝す」(【1】)。

僧はかさねて問います。では、無処不周という、その道理とはどのようなものですか、と。そのとき、師はただ扇を使うばかりでした。僧は礼拝しました。

問答は、ここで言葉を離れます。「無処不周底の道理」を問われて、師は、それを言葉で説明することはされませんでした。ただ、扇を使われた。あおげば、風が起こる。その風が、顔にあたり、衣にふれる。

ここも、読みの分かれるところです(→読みの分かれるところ)。師が扇を使ったことを、扇を使うこと自体を「無処不周底の道理」の答えとして示したものと取るのか、問いにはとりあわず、ただ扇を使い続けたと取るのか。訳文は「(言葉で答えず)」と補い、前者の方向で訳しました。また、「のみなり」を、言葉の答えがなかったことの強調と見るかどうか。そして、僧の礼拝を、師の示したところを了解しての礼拝と取るのか、謝意や作法としての礼拝と取るのか。原文は僧の礼拝の理由を何も語っておらず、訳文でも理由を補いませんでした。

それでも、この問答の運びそのものには、目をとめておいてよいでしょう。僧は二度、言葉で問いました。師は一度目は言葉で答え、二度目は、ただ扇を使われました。僧が問うたのは「道理」でした。けれども師が示されたのは、道理の説明ではなく、扇を使うという、一つの行いでした。「無処不周」の道理は、扇を使う、その行いのところに、ありありと現れている。そのように受けとめるならば、この問答は、前回の「このところをうれば、この行李したがひて現成公案す」(前回の【3】)という言葉を、一つの場面として見せてくれているようにも思われます。

僧の礼拝の意味を、ここで決めることはいたしません。ただ、本文が、師の扇と僧の礼拝とを、一つの文のなかに、何の説明も加えずに並べていることは、心にとめておきたいと思います。そのすぐあとに、道元禅師の「仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし」という言葉が続くのです。

仏法の証験、正伝の活路〔【2】〕#

「それかくのごとし」#

「仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし」(【2】)。

ここから、道元禅師ご自身の言葉になります。仏法の証験、正伝の活路は、まさにこのとおりである、と。

「証験」は、あかし、しるし。仏法がたしかにそのとおりであることのあかし、と語注では取りました。「正伝」は、師から弟子へ、まさしく伝えられること。「活路」は、いのちの通う道、生きる道です。宗務庁版英訳は、これを「まさしく伝えられた、いのちを救う道」の意に訳しています。

この一句にも、読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。「証験」を、あかし・証拠の意に取るのか、修証の「証」、さとりのあらわれの意を含めて読むのか。「正伝の活路」を、まさしく伝えられてきた、いのちの通う道と取るのか、窮地を脱する道の意を生かして読むのか。そして、「かく」が何を指すのか。【1】の問答全体なのか、師が扇を使ったことなのか、扇を使うことと僧の礼拝との両方なのか。また、「仏法の証験」と「正伝の活路」とを、並んだ二つのことと見るのか、同じことの言いかえと見るのか。

どの読みに立つとしても、禅師がここで、この扇の問答を、ただの気のきいた話としてではなく、「仏法の証験、正伝の活路」そのものとして示しておられることは、本文の言葉として確かです。

ここで「正伝」という言葉が出てくることに、心をとめておきたいと思います。第一回で読んだ【9】の段には、「法、すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり」とありました。法を外に求めるときには、法からはるかに離れている。法がすでに自分に正しく伝わるとき、ただちに本分人である、と。その「正伝」が、巻の最後に、扇を使う師の姿をめぐって、ふたたび言われています。師が扇を使い、僧が礼拝する。そのような師と僧とのあいだのやりとりのなかに、仏法の正伝がある、と受けとめることもできるでしょう。宗門では、仏法は、書物や理屈としてではなく、師から弟子へ、身をもって伝えられてきたものと受けとめてきました。弁道話の序にも、「大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖祖正伝して菩提達磨尊者にいたる」(『弁道話』第一回)とありました。扇の問答を「正伝の活路」と言われる禅師の言葉は、そうした正伝の受けとめ方と、深くつながっているように思われます。

常住なればあふぎをつかふべからず#

「常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬおりも風をきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり」(【2】)。

(風性は)常住なのだから扇を使う必要はない、使わないときにも風を聞く(感じる)はずだ、というのは、常住も知らず、風性も知らないのである、と。

語注の取り方で言えば、ここで禅師は、【1】の僧の問いの前提にある考え方を、はっきりと言葉にしたうえで、それを退けておられます。風はいつもあるのだから、扇を使わなくてもよい。扇を使わないときにも、風は感じられるはずだ。そう言う者は、「常住」ということも、「風性」ということも、わかっていないのだ、と。

この一文にも、いくつかの読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。「つかふべからず」を、使う必要がない、と取るのか、使ってはならない、と取るのか。「きくべき」を、聞けるはずだ(推量)と取るのか、聞くべきだ(当為)と取るのか。この考え方を、【1】の僧の問いの前提を言い表したものと取るのか、僧に限らず、世の一般の考え方を挙げたものと取るのか。そして、「常住をもしらず、風性をもしらぬ」を、語の意味を取り違えている、ということと取るのか、常住である風性を、扇を使うことにおいて身に知っていない、ということと取るのか。

ここで目をとめたいのは、【1】の宝徹禅師と、【2】の道元禅師との言い方の違いです。宝徹禅師は、僧に向かって、「風性常住」は知っていても、「無処不周」の道理は知らない、と言われました。ところが道元禅師は、扇を使わなくてよいと言う者は、「常住をもしらず、風性をもしらぬ」と言われます。僧が知っているはずだった「常住」も、「風性」も、じつは知られていない、と。

これを、宝徹禅師の言葉をさらに一歩深めたものと受けとめることもできるでしょう。扇を使わなくてよい、と考えるような「常住」の理解は、そもそも「常住」の理解として成りたっていない。扇を使うことと切り離して、どこかにいつも変わらずある風性を思い描くことは、風性を知ることではない。そう受けとめるならば、「常住」と「扇を使うこと」とは、互いに打ち消しあうものではなく、扇を使うそのところで、はじめて「常住」がほんとうに知られる、ということになります。ただし、二つの言い方の違いにどこまで意味を見るかは、読む者によって分かれるところであり、ここでも一つの受けとめ方として申し上げておきます。

「常住」をめぐって――第二回の「自心自性は常住なるか」#

「常住」という言葉は、この巻のなかで、すでに一度出てきていました。第二回で読んだ舟と岸の段です。

「身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる」(第二回の【1】)。

身心を乱れた思いでとらえたまま万法を見定めるとき、自分の心、自分の本性は常住なのではないか、と思いちがえる、と。そこで私たちは、『弁道話』(第六回)の問10を思い起こしました。問う人が、「心性の常住なることはりをしるなり」、心の本性が常住であるという道理を知ることこそ生死を離れるすみやかな道だ、という説を持ち出し、禅師が「いまいふところの見、またく仏法にあらず、先尼外道が見なり」と退けられた問答です。そして禅師は、「いはんや常住を談ずる門には、万法みな常住なり、身と心とをわくことなし」と示しておられました。

弁道話の問10で、問う人は、心性の常住を知ればよいのだから、「いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつところかあらん」(『弁道話』第六回)、むなしく坐って一生を過ごして何になろうか、とまで言っていました。心性が常住だとわかれば、坐禅はいらない、という考え方です。この言い方は、扇の問答の僧の問い、「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」と、よく似た形をしています。何かが常住であることを知っていれば、あらためて行う必要はない、と。

現成公案の「常住をもしらず」と、弁道話の問10とを、そのまま同じことを言うものとして重ねてよいかどうかは、慎重であるべきでしょう。風性の常住と心性の常住とは、言葉としても別のものです。けれども、どこかに変わらずにある何かを立てて、それを知っていることを理由に、いまここでの行いを省いてしまう考え方を、禅師が退けておられることは、二つの箇所に共通して読みとれるように思われます。

修行をやめてよい、ということではない#

ここは、この段を受けとめるうえで、もっとも大切なところだと思います。

「風性は常住なのだから、扇を使わなくてよい」。これを仏道の上に置きかえてみると、こうなるでしょう。「仏性は、もともと一人ひとりにそなわっているのだから、修行しなくてよい」。「さとりはもともとあるのだから、坐禅をする必要はない」。

弁道話には、これとよく似た形の問いがありました。

「とふていはく、この坐禅の行は、いまだ仏法を証会せざらんものは、坐禅辦道してその証をとるべし。すでに仏正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらん」(『弁道話』第五回)。

まだ仏法を証していない者は、坐禅をしてその証を得るのがよい。けれども、すでに仏の正法を明らめた人にとっては、坐禅は何を待つところがあろうか、と。

これに対して禅師は、修証一等の教えを示されました。

「それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辦道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれとをしふ。直指の本証なるがゆゑなるべし。すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし」(『弁道話』第五回)。

そして、さらにこう続けておられます。

「しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる」(『弁道話』第五回)。

修行を離れない証を汚さないようにするために、仏祖はしきりに、修行をゆるがせにしてはならない、と教える、と。

扇の問答の僧の問いと、弁道話の「坐禅なにのまつところかあらん」という問いとは、言葉は違っても、よく似た形をしています。そして、扇の問答で宝徹禅師がただ扇を使われたことと、弁道話で禅師が「修行のゆるくすべからざる」と示されたこととも、同じ方向を向いているように思われます。

さとりは、修行の向こうにあって、修行によって手に入れるものではない。その意味では、もともとそなわっている、と言うこともできます。けれども、もともとそなわっているのだから修行はいらない、ということにはならない。弁道話の冒頭の言葉を借りれば、「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」(『弁道話』第一回)。風性は常住であっても、扇を使わなければ、この手もとに風は起こりません。

そしてまた、扇を使うことは、常住でない風を、扇の力でつくり出すことでもない、と受けとめられます。それでは、扇を使うことが、もともと無い風を手に入れるための手段になってしまいます。修行を、もともと無いさとりを手に入れるための手段と見ることを、修証一等の教えは退けていました。扇を使うことは、常住の風性を否定することでも、常住の風性を手に入れることでもなく、常住の風性が、いま、このところに現れる、そのことそのものである。そのように受けとめるならば、宝徹禅師の扇は、修証一等の教えを、一つの身ぶりで示しているように思われます。宗門で、坐禅を、さとりを得るための手段ではなく、さとりの上での行として大切にしてきたこと、そしてそれでも、坐禅をやめてよいとは決して言わず、日々たゆまずに坐りつづけてきたこと。その両方が、この扇の一振りのなかにある、と受けとめることができるでしょう。

もとより、この段は弁道話の問答を引いているわけではなく、二つを結びつけるのは、両方を読んできた者の一つの受けとめ方です。けれども、「常住なればあふぎをつかふべからず」という考えを、禅師が「常住をもしらず、風性をもしらぬなり」と退けておられることは、この段の言葉そのものとして確かです。この段を修行の上に置きかえて受けとめるならば、それは、修行はいらない、という教えを示しているのではありません。むしろ、とくに次の「風性は常住なるがゆゑに」を「常住であるからこそ」と取る訳文の読み(→読みの分かれるところ)に立つならば、その反対に、もともとそなわっているからこそ、修行がある、ということを示している、と読むことができるでしょう。

風性は常住なるがゆゑに#

「風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり」(【2】)。

風性は常住であるからこそ、仏家の風は、大地が黄金であることを現成させ、長河の蘇酪を参熟させたのである、と。

前の文で、禅師は、「常住だから扇を使わなくてよい」という考えを退けられました。そのすぐあとで、禅師は、ふたたび「風性は常住なるがゆゑに」と言われます。同じ「常住」という言葉が、今度は、扇を使わない理由としてではなく、仏家の風がはたらく理由として言われているのです。

この「ゆゑに」のつながりをどう受けとめるかには、幅があります(→読みの分かれるところ)。訳文では、前の文とは逆に、常住である「からこそ」仏家の風がはたらく、と取り、「からこそ」と補いました。一方、単に理由を述べる「〜であるので」と取ることもできます。なお、この句の前には句点があり、この句は前の文の「しらぬなり」とは切れて、後の文にかかります。

訳文の読みに立つならば、ここには、はっきりした対比があります。「常住だから、扇を使わない」と言う者は、常住を知らない。「常住だから、仏家の風がはたらく」というのが、常住を知ることである。常住は、行いを省く理由ではなく、行いが行われる、そのよりどころである。

第一回で読んだ巻頭の言葉を、ここで思い起こしたいと思います。「仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり」(第一回の【3】)。仏道はもともと豊倹を超え出ているので、生滅があり、迷悟があり、衆生と仏がある。そこで私たちは、超え出ているから何もない、というのではなく、超え出ているからこそ、生滅も迷悟もある、という「ゆゑに」のつながりに目をとめました。巻の最初と最後とに、同じような「ゆゑに」が置かれている、と言ってよいかもしれません。もとより、この二つの「ゆゑに」の対応を本文が示しているわけではなく、巻を通して読む者の一つの受けとめ方です。

仏家の風〔【2】後半〕#

「仏家の風」#

「仏家の風」とは、仏の家の風、仏祖の家、仏法の家の風です。

この語の受けとめ方にも幅があります(→読みの分かれるところ)。字面どおりには、宝徹禅師の扇から起こる風のことであり、それを禅師は「仏家の風」と言われた、と取ることができます。また、禅でいう「家風」、その家の宗風・ありようにかけた語と取ることもできるでしょう。宗務庁版英訳は、これを「仏たちの家の風」と訳しています。訳文では、「仏家の風」と原文の語を残しました。

この巻のなかでは、前回、「万法の家風をきかんには」(前回の【1】)という言葉を読みました。万法の家風を聞こうとするなら、方円と見えるほかに、尽くしがたい海徳・山徳がある、と。この「家風」を、ものごとのありようと取るのか、諸宗の教えまで含めて取るのかにも、幅がありました(前回の「読みの分かれるところ」)。また、第一回で見たように、巻頭近くの「華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」(第一回の【3】)は、宗務庁版英訳の注によれば、牛頭精禅師が自らの家風を問われて答えた言葉を和文に言い換えたものとされていました。ただし、本文に「家風」の語が出るのは前回の【1】だけで、巻頭の句についての「家風」は、注が示す典拠の側の言葉です。そのうえ、「仏家の風」を「家風」にかけた語と見るかどうかも、上に見たとおり読みの分かれるところです。これらを互いに響き合うものとして読むかどうかは、読む者に委ねられています。ここでは、そのように並べて読むこともできる、ということだけを申し上げておきます。

「仏家の風」を、字面どおり宝徹禅師の扇から起こる風を言うものと取るならば、その一陣の風は、ただの涼風としてではなく、仏家の風、仏法のはたらきとして語られていることになります。扇を使うという、ごくありふれた一つの行いが、仏家の風を起こしている。そこに、この巻が「現成公案」と名づけられていることの意味の一端があるように思われます。

大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり#

その仏家の風が何をしたか。「大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり」。大地が黄金であることを現成させ、長河の蘇酪を参熟させた、と。

宗務庁版英訳の注によれば、この句は、すぐれた菩薩の力について言われる「長河を攪きまぜて酥酪となし、大地を変じて黄金となす」という意の言い回しをふまえたもので、「長河」は天の川を指し、「蘇酪」は乳を加工した食品「酥酪」の異表記とされています。

ここも、読みの大きく分かれるところです(→読みの分かれるところ)。

一つは、典拠の言い回しとの違いです。典拠とされる言い回しでは、大地を黄金に「変える」、長河を攪きまぜて酥酪と「なす」と言われます。それに対して本文は、「大地の黄金なるを現成せしめ」と言います。大地を黄金に変えるのではなく、大地が黄金であることを現成させる、と。この違いに意味を見て、もともとそうであるものを現す、という方向で受けとめる読み方があります。一方、典拠の言い回しを和らげて述べたものと見て、違いに大きな意味を見ない読み方もあります。また、「大地の黄金なる」を、大地が黄金であることと取るか、大地を黄金とすることと取るか。「長河」を、注のように天の川と取るか、字面どおり長い大河と取るか。「参熟」を、熟させる・熟成させると取るか、宗務庁版英訳のように、こしらえた・ととのえた、と取るか、あるいは「参」の字に参学の「参」の意を読み込むか。そして、「せり」を完了と取るか、存続と取るか。

読みの幅を残したうえで、訳文の読みに沿って、一つの受けとめ方を申し上げてみます。

扇を使うことは、常住でない風を新しくつくり出すことではない、と先に申し上げました。それと同じように、仏家の風は、黄金でない大地を黄金に変えるのではなく、大地が黄金であることを現成させる。そう読むならば、ここには、前の文から続く一つの筋が見えてきます。もともとそうであるもの――常住の風性、黄金である大地――は、何もしなくてもそのままで現れている、というのではない。扇を使うこと、仏家の風がはたらくことによって、それが現成する。けれども、その現成は、もともと無いものを新しく生み出すことではない。

ここで、弁道話の言葉がふたたび思い起こされます。「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず」(『弁道話』第一回)。ゆたかにそなわっている。けれども、修行しなければ現れない。「大地の黄金なるを現成せしめ」という言葉は、この弁道話の言葉を、大地いっぱいの、(注の読みに従えば)天の川いっぱいの広がりのなかで言い表したもの、と受けとめることもできるかもしれません。ただ、これは訳文の読み、とくに典拠との違いに意味を見る読み方に立った場合の受けとめ方であり、読みを一つに決めるものではありません。

また、「長河の蘇酪を参熟せり」の「参熟」という語にも、心をとめておきたいと思います。乳から酥酪ができるまでには、時間がかかり、手間がかかります。かきまぜ、ねかせ、熟させる。「参熟」を「熟させる」と取るならば、そこには、一度で仕上がるのではなく、くり返し手をかけ、熟してゆく、という含みを感じとることもできるでしょう。前回の段の「修証あり」(前回の【2】)や、第一回の「仏を証しもてゆく」(第一回の【6】)と同じように、ここでも、仏家の風のはたらきは、ある時に完成して終わるものとしてではなく、熟してゆくものとして語られている、と受けとめることもできるかもしれません。ただし、「参熟」の語義には幅があり、ここに時間をかけて熟する含みを読みとるかどうかも、一つの受けとめ方にとどまります。

訳文の読みに沿って、「仏家の風」を扇から起こる風とも重ねて取り、「長河」を注のように天の川と取るならば、扇の一振りから起こった小さな風が、ここでは、大地全体を黄金として現し、天の川を酥酪として熟させる、と、大地と天とにわたる広がりのなかで語られていることになります。手もとの小さな行いと、果てのない世界の広がりとが、一つの文のなかで結ばれている。第二回の段で、月が「尺寸の水にやどり」、「くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる」(第二回の【3】)と言われ、前回の大海の段で「直下も一滴もしかあるとしるべし」(前回の【1】)と言われていたことも、思い合わされます。小さな一つのところに、全体がそのまま現れる。この巻にくり返し現れてきたまなざしが、最後の一句にも生きている、と受けとめてよいように思われます。

坐禅と暮らしの中の扇#

ここまで読んできた扇の問答と禅師の言葉を、坐禅と日々の暮らしのなかで受けとめてみたいと思います。

坐禅の一坐と、扇の一振り#

宗門では、坐禅を只管打坐、ただひたすらに坐ることとして大切にしてきました。坐禅は、さとりを得るための手段ではない。坐る、そのことが、すでに仏の行である、と。

このように聞くと、ときに、こういう思いが浮かぶかもしれません。もし坐禅がさとりを得るための手段でないのなら、そして仏性がもともとそなわっているのなら、なぜ坐らなければならないのか。坐らなくても、同じではないのか。それは、扇の問答の僧の問いと、まったく同じ形の問いです。

訳文の読みに沿って言えば、宝徹禅師は、その問いに、言葉で答えるかわりに、扇を使われました。坐禅についての問いに対して、宗門の受けとめ方に沿って答えるとするなら、それは、ただ坐ること、ではないでしょうか。坐禅の意味を頭で納得してから坐るのではなく、坐る。その坐るところに、仏法が現れている。宝徹禅師が扇を使われたように、私たちは坐る。そう受けとめるとき、扇の一振りと、坐禅の一坐とは、同じ一つのことを示しているように感じられます。もとより、この段は坐禅について直接に語っているわけではなく、これは坐禅を行ずる者としての一つの受けとめ方です。

「わかっているから、しなくてよい」#

暮らしのなかでも、私たちはよく、僧の問いと同じ形の考え方をします。「大切なことは、もうわかっている。だから、いまさらしなくてよい」。

たとえば、感謝の心はもう持っているのだから、わざわざ口に出して礼を言わなくてもよい。家族を大切に思っているのだから、あらためて言葉や行いで示さなくてもよい。食べものの命をいただいていることはわかっているのだから、食事の前に手を合わせなくてもよい。

けれども、手を合わせないとき、その感謝は、どこに現れているでしょうか。礼を言わないとき、その思いは、相手にとどいているでしょうか。扇を使わなければ、この手もとに風が起こらないように、心にあるはずのものも、行いとして現れないかぎり、いま、このところには、いたっていないのかもしれません。宝徹禅師の言葉を借りれば、私たちは、「常住」は知っていても、「ところとしていたらずといふことなき道理」は、まだ知らないのかもしれません。

寺の暮らしでは、毎日、同じことがくり返されます。朝起きて坐り、お経を読み、掃除をし、食事をいただく。昨日もしたことを、今日もする。毎日しているのだから、もうわかっている。それでも、今日もまた、ていねいにする。それは、扇を使うことと同じではないでしょうか。風性は常住であっても、今日の風は、今日扇を使うことによって、今日の手もとに起こる。前回の「遇一行修一行」という言葉を、ここでもう一度、思い起こしたいと思います。いま遇った一つの行を、この一つの行として修する。扇の一振り、一坐、一つの礼拝、一回の食事。その一つ一つが、仏家の風を起こしている、と受けとめることもできるでしょう。

礼拝する、ということ#

最後に、僧の礼拝についても、一言申し添えておきます。

先に申し上げたとおり、本文は、僧がなぜ礼拝したのかを語っていません。ここで、その理由を決めることはいたしません。

ただ、宗門の暮らしのなかでは、礼拝もまた、一つの行です。仏前で三拝し、師に礼拝し、互いに合掌して頭を下げる。それは、何かがわかったことのしるしとしてだけでなく、それ自体が、身をもってする一つの行いです。扇の問答が、師の扇と僧の礼拝という、二つの身の行いで閉じられていることは、この巻が、言葉の理解だけでなく、身の行いのところで終わっている、ということでもあるように思われます。そのように受けとめることは、本文の言葉を越えて読み込むことにならないよう慎むべきですが、坐禅と礼拝とを日々行ずる者にとっては、心に残る結びの姿であるように思います。

巻末題と奥書#

「正法眼蔵現成公案第一」#

本文の最後に続けて、「正法眼蔵現成公案第一」と巻末題が記されます。第一回で見たように、本書の底本とする本山版では、この巻は第三巻に置かれていますが、巻頭題も巻末題も「第一」となっています。宗務庁版英訳の解題では、この巻は七十五巻本と六十巻本のいずれでも第一の巻であり、本山版では第三の巻である、とされています。題に残る「第一」は、この巻が七十五巻本・六十巻本で第一の巻とされていることと一致しています。

天福元年中秋――鎮西の俗弟子に#

「これは、天福元年中秋のころ、かきて鎮西の俗弟子楊光秀にあたふ」。

この奥書については、第一回の「はじめに」でくわしく見ましたので、ここでは要点だけを確かめておきます。

天福元年は1233年、「中秋」は旧暦八月十五日で、宗務庁版英訳はこの日付を西暦1233年9月20日にあてています。「鎮西」は、宗務庁版英訳の注によれば、今の九州、筑前にあった大宰府の役所を指し、楊光秀は、その役所にいた役人であったと推測されているものの、どういう人物かはわかっていません。どこで書かれたかは奥書に記されていませんが、宗務庁版英訳の解題では、深草(京都の南)に開かれてまもない興聖寺で書かれたのであろう、とされています。

第一回でも申し上げたように、楊光秀がどのような事情でこの巻を与えられたのかは、奥書の一行のほかには何もわかりません。けれども、この巻が、出家した修行者の大衆に向けてではなく、鎮西の一人の在家の弟子に書き与えられたものであった、ということは、奥書が記すとおりです。

この奥書を、巻の最後の扇の問答と並べてみると、一つのことが心に残ります。扇を使うことは、僧堂のなかだけの行いではありません。暑い日に、だれもがすることです。巻の最後に置かれた問答が、坐禅や読経のような修行の場面ではなく、扇を使うという、暮らしのなかのありふれた一つの行いをめぐるものであったこと。そしてその巻が、在家の弟子に与えられたものであったこと。この二つを結びつけることを、本文が求めているわけではありません。けれども、弁道話で禅師が、在家の人の修行について「ただこれ、こころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかはらじ」(『弁道話』第七回)と示しておられたことを思い合わせると、この巻の言葉は、僧堂の内にも外にも、等しく差し出されたものとして受けとめてよいように思われます。

建長壬子拾勒#

「建長壬子拾勒」。

建長壬子は、建長四年(1252年)にあたります。天福元年の撰述から、およそ二十年後のことです。

「拾勒」という語は、字義のうえで確かなところを示すことができません。宗務庁版英訳の注には字義の説明はなく、奥書の英訳は、「集めて整えた」という意に訳しています。また、この一行には署名がなく、だれが拾勒したのかも記されていません。宗務庁版英訳の注は、この1252年の奥書は、おそらく道元禅師ご自身によるもので、七十五巻本『正法眼蔵』の編集を終えたことを示すものではないかと推測されている、としています。本書の現代語訳では、主語を補わず、語も「拾勒した」と残しました。ここでも、それ以上のことは申し上げずにおきます。

ただ、天福元年に一人の在家の弟子に書き与えられた巻に、およそ二十年ののち、建長四年の年記をもつこの一行が添えられている、ということは、確かめておいてよいでしょう。そして、この巻が七十五巻本・六十巻本で第一の巻とされていることは、先に見たとおり、題に残る「第一」とも一致しています。

本山版の募刻識語について#

なお、本書の底本である本山版の刊本には、奥書のあとに、この巻の刊刻を助けた人々と、その願いを記した識語があります。これは道元禅師の本文ではありませんので、ここでは立ち入りません。ただ、その識語のなかに「公案現成、尽未来際」という言葉があることだけを申し添えておきます。後の時代の人々が、この巻を刻んで伝えるにあたって、この巻の名にちなむ言葉に願いを託していたことが、そこからうかがわれます。

巻をふりかえって――第一回から第四回へ#

四回にわたって、「現成公案」の巻を読んできました。ここで、巻全体をふりかえってみたいと思います。もとより、これは四つの回を並べて読む者の一つの受けとめ方であり、本文がそう要約しているわけではありません。

第一回――修行あり、自己をならふ#

巻は、「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり衆生あり」(第一回の【1】)と始まりました。あらゆるものが仏法である時節に、修行がある。第一回では、仏法であるのだから修行はいらない、というのではなく、仏法であるところに、まさに修行がある、と言われていることに目をとめました。

いま、巻の最後まで読んできて、この冒頭の「修行あり」が、最後の扇の問答と呼びかわしているように感じられます。風性は常住である。それでも、扇を使う。あらゆるものが仏法である。それでも、いや、それだからこそ、修行がある。巻のはじめに一言で置かれた「修行あり」が、巻の終わりに、扇を使う師の姿として示されている、と受けとめることもできるでしょう。

第一回では、また、「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」(第一回の【4】)、そして「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」(第一回の【8】)という言葉を読みました。自己を先に立てて何かをつかみにいく向きと、万法の方から自己が証せられる向きとの対比です。扇の問答の僧の問いは、「風性常住、無処不周」という道理を先に立てて、扇を使う師に向けられたものでした。その問いのかたちは、知っている道理を先に立てて目の前の行いを測ろうとする向きと重ねて読むこともできるかもしれません。それに対して師は、扇を使われた。そこには、道理を先に立てるのではなく、行いのところで道理が現れる、という向きがあります。

そして、「しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく」(第一回の【6】)。仏であることは、ある時に到達して終わる到達点ではなく、仏を証しつづけてゆくはたらきである、と受けとめました。風性が常住であっても、扇はまた使われる。証しつづけてゆくことと、扇を使いつづけることとは、同じ方向を向いているように思われます。

第二回――常住とあやまる、行李をしたしくして#

第二回では、舟と岸のたとえのなかで、「身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし」(第二回の【1】)という言葉を読みました。

巻の最後で、「常住」という言葉がふたたび取りあげられたことは、偶然ではないのかもしれません。第二回では、自分の心、自分の本性を、動かない常住のものとして立てることを、禅師は「あやまる」と言われました。今回は、風性の常住を理由に扇を使わなくてよいとすることを、禅師は「常住をもしらず」と言われました。どちらも、行いから離れたところに常住の何かを立てる見方を退けている、と受けとめることができるでしょう。そして第二回では、そのあやまりがほどけるのは、「行李をしたしくして箇裏に帰す」るとき、訳文の読みで言えば、自分の行いに親しく寄りそい、いま・ここに帰るときだ、と言われていました。宝徹禅師が扇を使われたことは、まさに、行李に親しく、このところで行うことの姿として受けとめることもできるように思われます。

第三回――以水為命、このところ、遇一行修一行#

前回の第三回では、魚と鳥のたとえを読みました。魚は水を離れず、鳥は空を離れない。「以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし」(前回の【2】)。そして、水をきわめ空をきわめてから行こうとする鳥魚は、みちもところも得られない、と言われ、「このところをうれば、この行李したがひて現成公案す」(前回の【3】)と、巻名の言葉が本文に現れました。

扇の問答の僧の問いのかたちは、見方によっては、水をきわめてから泳ごうとする鳥魚のあり方に重ねて読むこともできるかもしれません。風性の常住と無処不周という道理を先に立て、そこから扇を使うことの要不要を問う、というかたちだからです。それに対して師は、ただ扇を使われました。魚がいまの水のなかで泳ぎ、鳥がいまの空のなかを飛ぶように。そして、扇の風が「いたらないところはない」というのは、果てまで究めたうえでのことではなく、このところに風がいたる、ということだと、先に受けとめました。前回の段と最後の問答とは、このように、たとえと場面とで、同じことを語りかわしている、と受けとめることができるでしょう。

巻名「現成公案」を、あらためて#

第一回で、巻名の意味は、巻全体を読み終えたところで、あらためて味わいなおすことにしたい、と申し上げました。

宗務庁版英訳の解題では、「現成公案」はもともと、決着がすでについている、明白である案件、という法律上の意味あいをもつ語で、曹洞宗の伝統では、究極の真理が現象の世界にそのまま現れ出ていることを言う語として用いられてきた、とされていました。そして同じ解題は、この巻の修行についての教えを、扇を使うときにも、いつも吹いている風のようなものだ、と述べていました。

扇の問答を読み終えたいま、巻名を、たとえば次のように受けとめることもできるかもしれません。仏法は、どこか遠いところで決着を待っている案件ではない。すでに、ここに、ありありと現れ、成っている。けれども、その「現れ、成っている」ことは、何もしなくてもそうだ、ということではない。扇を使う手もとに風が起こるように、坐る身に、食事をいただく手に、礼拝する頭に、一つ一つの行いのところで、現成公案する。巻の最後に置かれた扇の問答は、巻名そのものを、一つの場面として見せてくれているように思われます。もとより、巻名の受けとめ方には幅があり(第一回の「読みの分かれるところ」)、ここに申し上げたことも、その一つにすぎません。

むすびに#

今回読んだところを、あらためてふりかえってみましょう。

麻浴山宝徹禅師が扇を使っているとき、一人の僧が、風性は常住で、行きわたらないところはないのに、なぜ扇を使うのか、と問いました。師は、おまえは風性の常住を知っていても、どこであれいたらないところはないという道理を、まだ知らない、と答え、その道理を問われると、ただ扇を使われました。僧は礼拝しました(【1】)。

道元禅師は、この問答を、仏法の証験、正伝の活路はこのとおりである、と受けとめられ、常住だから扇を使わなくてよい、使わなくても風を感じるはずだ、と言うのは、常住も知らず、風性も知らないのだ、と示されました。そして、風性は常住であるからこそ、仏家の風は、大地が黄金であることを現成させ、長河の蘇酪を参熟させた、と結ばれました(【2】)。

この段は、常住なのだから扇を使わなくてよい、という考え方を退けています。それを修行の上に置きかえて受けとめるならば、もともとそなわっているのだから修行はいらない、という考え方を退けるものとなるでしょう。それは、修行によってもともと無いものを手に入れよ、ということでもありません。もともとそなわっているからこそ、扇を使い、坐り、行ずる。その行いのところに、常住の風性が、このところとして現れる。宗門で修証一等として受けとめてきたことが、ここでは、扇の一振りとして示されている、と受けとめることができるでしょう。もとより、一つ一つの句には、読みの幅が少なからず残っています(→読みの分かれるところ)。本書では、それらのどれか一つを唯一の正解とはせず、読みの幅を残しておきました。

「現成公案」の巻は、こうして、一つの扇の風で閉じられます。

暑い日に扇を使う。それは、だれもが、何の気なしにしていることです。けれども、この巻を読み終えたあとでは、その何の気ないしぐさのなかにも、仏家の風が吹いている、と思い起こすことができるかもしれません。そしてまた、坐禅をしながら、「もうわかっているのだから」と思いそうになるとき、ただ扇を使われた宝徹禅師の姿を、思い出してみることもできるでしょう。今日の一坐、今日の一行を、また、ていねいに行じてゆきたいと思います。

読みの分かれるところ#

この回の範囲は短いものですが、問答の一句一句にも、それを受けた禅師の言葉にも、読み方の分かれるところがあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。

  1. 「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」【1】
    「風性」を、風の本性・本質と取ることも、個々の風を離れて、どこにでもある「風というもの」そのもの(僧が思い描いているもの)と取ることもできます。僧の言う「風性」と、【2】で禅師が「風性をもしらぬ」と言う「風性」とを同じものと見るか、違うものと見るかにも幅があります。「常住」と「無処不周」は、時間の上でいつもあることと、場所の上でどこにでもあることの二つとも、一つのことの言いかえとも取れます。「なにをもてか」は、なぜ・何のためにと理由を問うとも、何によってと手段を問うとも読め、「さらに」も、そのうえ・わざわざ、とも、あらためて・今さら、とも取れます。問い全体を、素朴な疑問と見るか、「それなら扇は無用のはずだ」と師に迫る試しの問いと見るかも、本文からは決まりません。宗務庁版英訳は、理由を問う「なぜ」の形で訳し、「常住」と「無処不周」とは並べるだけで、どちらとも決めない形にしています。

  2. 「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」【1】
    「ただ…しれりとも」を、知っているにしても、と譲歩に取ることも、宗務庁版英訳のように、ただ(〜だけ)を知っている、と取ることもできます。「ところとしていたらずといふことなき」は、僧の「無処不周」を和語で言い直したものと見ることも、言い直しのなかで「周(あまねし)」が「いたる」に変わっていることに意味を見ることもできます(宗務庁版英訳は、僧の語を「めぐる」、師の語を「いたる」と訳し分けています)。「いたる」の主語は示されておらず、風とも、風性とも、修行する人とも取れます。

  3. 「ときに、師、あふぎをつかふのみなり。僧、礼拝す」【1】と「仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし」【2】
    師が扇を使ったことを、扇を使うことそのものを「無処不周底の道理」の答えとして示したと見ることも、問いにとりあわず、ただ扇を使い続けたと見ることもできます。僧の礼拝も、師の示したところを了解しての礼拝とも、謝意や作法としての礼拝とも取れ、本文はその理由を語っていません。続く禅師の言葉の「かく」が、問答全体を指すのか、師が扇を使ったことを指すのか、扇と礼拝の両方を指すのかにも幅があります。「証験」を、あかし・証拠と取るか、修証の「証」(さとり)のあらわれの意を含めて読むか、「正伝の活路」を、まさしく伝えられてきた、いのちの通う道と取るか、宗務庁版英訳のように「いのちを救う道」と、窮地を脱する道の意を生かして取るかでも、響きが変わります。

  4. 「常住なればあふぎをつかふべからず……常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに」【2】
    「つかふべからず」は、使う必要がない、とも、使ってはならない、とも取れ、「きくべき」も、聞けるはずだ(推量)とも、聞くべきだ(当為)とも取れます。この考え方を、【1】の僧の問いの前提を言い表したものと見るか、世の一般の考え方を挙げたものと見るか。「常住をもしらず、風性をもしらぬ」を、語の意味を取り違えている、と取るか、常住である風性を、扇を使うことにおいて身に知っていない、と取るか。宝徹禅師が「常住は知っていても無処不周は知らない」と分けたのに対して、禅師が「常住も風性も知らない」と言うことに、どこまで意味を見るかも分かれます。続く「風性は常住なるがゆゑに」は、現代語訳のように、前の文とは逆に、常住である「からこそ」と強めて読むことも、単に理由を述べる「〜であるので」と読むこともできます。宗務庁版英訳は「〜であるので」の形で訳し、強めは加えていません。

  5. 「仏家の風」【2】
    字面どおり、宝徹禅師の扇から起こる風を、仏の家(仏祖・仏法)の風と言ったものと取ることも、禅でいう「家風」(仏家のありよう・宗風)にかけた語と取ることも、その両方を重ねた言い方と取ることもできます。宗務庁版英訳は「仏たちの家の風」と語のとおりに訳しています。前回の【1】の「万法の家風」と並べて読むかどうかも、読む人にゆだねられています。

  6. 「大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり」【2】
    宗務庁版英訳の注は、この句が、菩薩の力をいう「長河を攪きまぜて酥酪となし、大地を変じて黄金となす」という言い回しをふまえるとしています。その言い回しが大地を黄金に「変える」と言うのに対し、本文は「大地の黄金なるを現成せしめ」と言います。この違いに意味を見て、もともとそうであるものを現す、と受けとめることも、典拠を和らげて述べたもので違いに大きな意味はない、と見ることもできます。「大地の黄金なる」を、大地が黄金であること、と取るか、大地を黄金とすること、と取るか。「長河」を、注のように天の川と取るか、字面どおり長い大河と取るか。「参熟」を、熟させる、と取るか、宗務庁版英訳のように、こしらえた・ととのえた、と取るか、「参」の字に参学の意を読み込むか。「せり」を、完了(〜した)と取るか、存続(〜している)と取るか。いずれも読みが分かれます。

参考#

  • 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第三「現成公案」
  • 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. I(Sōtō Zen Text Project、2023)
    • 麻浴山宝徹禅師の師承と麻浴山の所在、問答の出典、「大地の黄金なる……参熟せり」の句がふまえる言い回しと「長河」「蘇酪」の説明、奥書の年代と鎮西・楊光秀・「拾勒」についての説明、本巻の撰述の時と場所、諸本での位置、巻名の意味と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注・解題によります。