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『礼拝得髄』を読む――はじめに#

『正法眼蔵』の八つめの巻、「礼拝得髄(らいはいとくずい)」を、原文・現代語訳・解説をそろえて、五回に分けて読んでいきます。巻名の「礼拝得髄」は、礼拝して髄を得る、という意味です。宗務庁版英訳の解題によれば、この巻名は、初祖菩提達磨が、何も答えずにただ礼拝した弟子の慧可に「わが髄を得たり」と言った、というよく知られた話から取られています。

『礼拝得髄』という巻#

巻の終わりには「延応庚子清明日記、観音導利興聖宝林寺。」という奥書があり、延応庚子の年の清明の日に、観音導利興聖宝林寺において記した、という記録が残されています。宗務庁版英訳の解題は、この巻を1240年の春、興聖寺での撰述とし、『正法眼蔵』のなかでも早い時期の巻の一つに数えています。本書でこれまでに読んだ重雲堂式・洗浄の巻は、その前の年、同じ興聖寺の日付をもつ巻でした。

宗務庁版英訳の解題によれば、この巻は七十五巻本では第二十八の巻にあたり、六十巻本には収められていません。一方、『秘密正法眼蔵』には、七十五巻本の約二倍の長さの形で収められていて、本山版(九十五巻本)は、その増えた部分を含む形で、この巻を第八に置いています。同じ解題は、増えた部分について、あとから書き加えられたものと考えるよりも、『秘密正法眼蔵』のほうが草稿で、七十五巻本の形に整えるときにその部分が除かれたと見るほうがよいだろう、としています。本山版では、その部分は本文と切れ目なく続いていて、本書の第三回の途中(第三回の【6】)から後がそれにあたります。巻の後半は、七十五巻本にはない部分ということになります。本書では、本山版のとおり、一つの巻として通して読んでいきます。

なお、宗務庁版英訳は、巻末の奥書を七十五巻本の本文の終わり、すなわち本書の第三回の途中(第三回の【5】のあと)に置いていて、解題のいう「1240年の春」も、その七十五巻本の形についての日付です。本山版では、この奥書は後半を含む本文全体のあとに置かれていますが、その日付が後半にまでかかるとは言えません。奥書については、巻の終わりを読む第五回で、あらためて見ることにします。

宗務庁版英訳の解題は、この巻で道元禅師が問題にしているのは、達磨と慧可の話そのものよりも、師に礼拝するということ、巻頭の句のことばでいえば「導師をうること」である、としています。そして、学ぶ側にとって要となるのは、その志のまことであり、師の側について問われるのは、ただその人が道を得ているかどうかだけである、ということが巻のはじめに示され、そのあとの大半は、女性は師となる資格がないという当時の通念への批判にあてられている、と述べています。巻は、「修行阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の時節には、導師をうること、もともかたし。」という言葉で始まります。

全体の構成と目次#

内容の切れ目にしたがって、次の五回に分けました。はじめに導師と礼拝の意味が説かれ、続いて中国の祖師たちの話によってそれが具体的に示され、そのうえで、女性を礼拝しない、女性を嫌う、女性を寄せつけない、という当時の風潮が、しだいに強い言葉で取り上げられていく、という組み立てになっています。

回 題 内容
第一回 導師にあう 導師をうること、法をおもくし身をかろくすること、釈迦牟尼仏のことば、不聞仏法(ふもんぶっぽう)の愚痴(ぐち)のたぐひ
第二回 趙州と志閑・妙信 趙州の誓い、志閑(しかん)禅師と末山(まっさん)了然尼、妙信尼(みょうしんに)と十七人の僧、比丘尼(びくに)の得法せらんを請ずべきこと
第三回 男女を論ずることなかれ 宋の国の比丘尼の住持、得法を敬重(きょうじゅう)すること、居士と七歳の女流(にょりゅう)、帝位の女人と阿羅漢(あらかん)となれる比丘尼、わが国の后宮(こうぐう)・院号と僧侶
第四回 女人をきらう愚 法をおもくするこころざし、女流を貪婬所対(とんいんしょたい)の境とみること、「ながく女人をみることなからん」の願、大宋国の女人と、境をあきらむること
第五回 結界のわらひごと 日本国の結界というわらひごと、如来在世の仏会(ぶつえ)の四衆(ししゅ)、結界にすめるやから、諸仏所結の大界、巻末題と奥書

各回の読み方#

各回の構成は、これまでの巻と同じです。

  • 原文 底本の本文を、段落ごとに【1】【2】…と番号を付けて載せています。仮名づかいは底本のままです。
  • 現代語訳 原文の段落番号と対応させて訳しています。漢文の句には、書き下しを示しています。書き下しは、本山版に拠る活字本に付けられた読み下しに従いました。仏教語や人名は訳さずに残し、「語注」で説明しています。
  • 解説 その段で道元禅師が示されていることを、坐禅や日々の暮らしとのつながりとともに、順にたどります。
  • 読みの分かれるところ 言葉の取り方によって意味が変わる主な箇所を取り上げ、考えられる読み方を並べました。一つの読みを唯一の正解とはしていません。
  • 参考 底本と、参照した資料です。

この巻は、女性の得法と礼拝、そして女性を嫌う風潮への批判を、大きな主題としています。現代語訳は本文の語に即して平明にし、訳の段階で言いかえたり和らげたりはしていません。難しく感じられるときは、まず現代語訳と解説を読み、そのあとで原文に戻っていただくのもよいと思います。

底本と参照資料#

  • 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第八「礼拝得髄」
  • 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. II(Sōtō Zen Text Project、2023)
    • 人名や年代、語句の出典の確かめ、読みの分かれる箇所の参考として用いました。本文中で「宗務庁版英訳」と呼んでいるのは、この書物のことです。この書物の日本語本文は本山版とは系統の異なる本文に拠っているため、字句が本山版と違う箇所があります。本書は本山版の本文に従っています。また、この書物は、七十五巻本にない後半を、七十五巻本の奥書のあとに付録として収めています。

解説は、曹洞宗の宗門の立場から書いています。

前の巻は『洗浄』です。はじめから読みたい方は『弁道話』を読む――はじめにをご覧ください。