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一顆明珠(一)玄沙の伝と問答#

『一顆明珠』の巻頭から、玄沙師備禅師の伝と師の雪峰禅師との問答を経て、「尽十方世界是一箇明珠」の一句をめぐる一人の僧との問答の終わりまでの、十五の段落を読む回です。

原文#

正法眼蔵 一顆明珠(いっかみょうじゅ)

玄沙師備の伝#

【1】娑婆(しゃば)世界大宋国(だいそうこく)、福州玄沙山院宗一(げんしゃざんいんしゅういつ)大師、法諱師備(ほうきしび)、俗姓者謝(しゃ)なり。在家のそのかみ釣魚(ちょうぎょ)を愛し、舟を南台江にうかべて、もろもろのつり人にならひけり。不釣自上(ふちょうじじょう)の金鱗を不待(ふたい)にもありけん。唐の咸通(かんつう)のはじめ、たちまちに出塵をねがふ。舟をすてて山にいる。そのとし三十歳になりけり。浮世のあやうきをさとり、仏道の高貴をしりぬ。つひに雪峰山(せっぽうざん)にのぼりて、真覚(しんかく)大師に参じて、昼夜に辨道(べんどう)す。

【2】あるとき、あまねく諸方を参徹せんため、嚢(のう)をたづさへて出嶺するちなみに、脚指を石に築著(ちくじゃく)して、流血し、痛楚(つうそ)するに、忽然(こつねん)として猛省していはく、「是身非有、痛自何来」。

【3】すなはち雪峰にかへる。

雪峰との問答#

【4】雪峰とふ、「那箇(なこ)是備頭陀(びずだ)」。

【5】玄沙いはく、「終不敢誑於人」。

【6】このことばを、雪峰ことに愛していはく、「たれかこのことばをもたざらむ、たれかこのことばを道得(どうとく)せん」。

【7】雪峰さらにとふ、「備頭陀なんぞ遍参せざる」。

【8】師いはく、「達磨(だるま)不来東土(とうど)、二祖不往西天(さいてん)」といふに、雪峰ことにほめき。

【9】ひごろはつりする人にてあれば、もろもろの経書(きょうしょ)、ゆめにもかつていまだみざりけれども、こころざしのあさからぬをさきとすれば、かたへにこゆる志気あらはれけり。雪峰も、衆(しゅ)のなかにすぐれたりとおもひて、門下の角立(かくりゅう)なりとほめき。衣は布をもちゐ、ひとつをかへざりければ、ももつづりにつづれりけり。はだへには紙衣をもちゐけり、艾草(がいそう)をもきけり。雪峰に参ずるほかは、自余の知識をとぶらはざりけり。しかあれども、まさに師の法を嗣(し)するちから弁取(べんしゅ)せりき。

「尽十方世界是一箇明珠」の示衆と僧との問答#

【10】つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、「尽十方世界(じんじっぽうせかい)是一箇明珠」

【11】ときに、僧問、「承和尚有言、盡十方世界是一顆明珠(じんじっぽうせかいぜいっかみょうじゅ)、学人如何會得」。

【12】師曰、「盡十方世界是一顆明珠、用會作麼(ようえそも)」。

【13】師、来日却問其僧、「尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会(にょそもさんえ)」。

【14】僧曰、「尽十方世界是一顆明珠、用会作麼」。

【15】師曰、「知汝向黒山鬼窟裏作活計(ちにょこうこくさんきくつりさかっけい)」。

現代語訳#

段落番号【1】〜【15】は原文の段落番号と対応します。原文と現代語訳の小見出しは、読みやすさのために付けたもので、原文にはありません。( )内は、原文にない語を訳者が補ったもの、または直前の語の言い換え・読みです。漢文の句(【2】【4】【5】【8】【10】〜【15】)は、まず「書き下し」を示し、続けて訳をつけました。書き下しは本書による一つの読みであり、底本(本山版)の訓点・訓読ではありません。原文の漢文は本山版の字のまま(「盡」「會」と「尽」「会」が混じっています)とし、書き下しは新字体でそろえました。【11】〜【15】の問答は、話し手がわかるように、発言ごとに分けて示しました。原文にはこの区切りはありません。仏教語・禅語(娑婆(しゃば)世界・法諱・出塵・仏道・辨道(べんどう)・参徹・頭陀・道得(どうとく)・遍参・知識・尽十方世界(じんじっぽうせかい)・明珠・学人・会得・作麼生(そもさん)・活計など)と人名・地名は訳さずに残し、段落の後に「語注」として短く説明しました。読みの分かれる句には、訳文に一つの訳を置き、主なものを末尾の「読みの分かれるところ」に挙げました。

巻頭題 正法眼蔵 一顆明珠(いっかみょうじゅ)

語注

  • 正法眼蔵:書名。訳さずに残した。
  • 一顆明珠(いっかみょうじゅ):巻名。「一顆」は一つ(「顆」は珠や果実など丸いものを数える語)、「明珠」は明るく輝く珠。「一つの明るい珠」の意。訳さずに残した。宗務庁版英訳の巻名の訳は "One Bright Pearl"。
  • 巻の番号:本書の底本の巻頭題には番号がない。本巻は七十五巻本・六十巻本では第七、本山版では第四の巻に置かれる(宗務庁版英訳の解題による)。宗務庁版英訳の解題では、本巻は1238年の初夏に興聖寺で書かれたとされる。奥書(本巻第三回)参照。

玄沙師備の伝#

【1】娑婆世界の大宋国(だいそうこく)、福州の玄沙(げんしゃ)山院の宗一大師は、法諱を師備といい、俗姓は謝(しゃ)である。在家であったころ、魚釣りを好み、舟を南台江に浮かべて、多くの釣り人に(まじって)ならっていた。(釣らなくても)自ずから上がってくる金鱗(の魚)を、待たなかったということでもあったろうか。唐の咸通(かんつう)のはじめ、にわかに出塵(出家)を願った。舟を捨てて山に入った。その年、三十歳になっていた。浮世の危うさをさとり、仏道の尊さを知ったのである。ついに雪峰山(せっぽうざん)に登って、真覚(しんかく)大師に参じ、昼も夜も辨道した。

語注

  • 娑婆世界:私たちの住むこの世界。「堪え忍ぶべき世界」の意で、釈尊が教えを説く世界をいう(宗務庁版英訳の注による)。訳さずに残した。
  • 大宋国:宋の国、すなわち中国。玄沙は、本文のあとに「唐の咸通」とあるとおり唐代の人である。ここでは中国を、道元禅師の当時の国名で呼んだものと取った。
  • 福州:今の中国福建省にある地(宗務庁版英訳の注による)。
  • 玄沙山院宗一(げんしゃざんいんしゅういつ)大師:玄沙山の寺院の宗一大師。玄沙師備(835–908)のこと(宗務庁版英訳の注・解題による)。「宗一大師」は呼び名(大師号)として、訳さずに残した。
  • 法諱:出家者としての名。訳さずに残した。
  • 俗姓者謝なり:「俗姓は謝なり」。漢文の「者」を「は」にあたる語として読んだ。俗姓は、出家する前の家の姓。
  • 在家のそのかみ:在家(出家していない身)であった、その昔。
  • 釣魚(ちょうぎょ)を愛し:魚釣りを好み。宗務庁版英訳の注は、この段の伝記の記述は『景徳伝灯録』の玄沙の伝から取られたものらしいとし、玄沙自身が自分の釣りに触れた言葉を、道元禅師が「遍参」の巻で論じていることを挙げる。
  • 南台江:福建の釣台山の下を流れるところでの閩江(びんこう)の名(宗務庁版英訳の注による)。
  • もろもろのつり人にならひけり:多くの釣り人にならって(同じように)釣りをしていた。宗務庁版英訳は「釣り人たちと(いっしょに)舟で出た」と訳す。
  • 不釣自上(ふちょうじじょう)の金鱗:「釣らざるに自ら上る金鱗」。釣らなくても自分から上がってくる、金色の鱗の魚。宗務庁版英訳の注は、不思議な金鱗の魚は禅問答によく出る話題であるとし、「不釣自上」の語は、道元禅師の師、天童如浄(1162–1227)の語「尽大地人不釣自上」(尽大地の人、釣らざるに自ら上る)をふまえるかもしれないとする。また道元禅師は「遍参」の巻で玄沙を論じるとき「未釣先上」(未だ釣らざるに先ず上る)という同じ像を用いている、とする(書き下しは訳者による)(→読みの分かれるところ)。
  • 不待(ふたい)にもありけん:「待たずにもありけむ」の意に読んだ。「けん(けむ)」は過去の推量(〜したのであったろうか)。宗務庁版英訳は「待たなかったようである(It seems he did not wait for ...)」と訳す。何を「待たなかった」のか、なぜそう言うのかは、原文に説明がない(→読みの分かれるところ)。
  • 唐の咸通:唐の年号で、860–875年にあたる(宗務庁版英訳の注による)。
  • 出塵:塵(俗世)を出ること。出家すること。訳さずに残し、( )に意を添えた。
  • 山にいる:山に入る。宗務庁版英訳の注は、漢語の「入山」にあたる和語で、修行僧の集団(寺)に加わることを言う常套の表現とする。
  • そのとし三十歳になりけり:その年、三十歳であった。玄沙の生年を835年とする宗務庁版英訳の記載と、咸通のはじめを咸通の元年(860年)と取った場合とを数の上で合わせると、年齢がそのままは合わない。訳では原文のまま「三十歳」とした。
  • 浮世:はかなく定めない世。
  • 高貴:尊く、すぐれていること。宗務庁版英訳は「大きな価値(great worth)」と訳す。
  • 雪峰山:今の福建省の福州の近くにある山(宗務庁版英訳の注による)。
  • 真覚大師:雪峰(せっぽう)義存(822–908)のこと(宗務庁版英訳の注による)。玄沙の師。
  • 参じて:(師のもとで)参学して、教えを受けて。
  • 辨道:仏道を修行すること。訳さずに残した。

【2】あるとき、あまねく諸方(の師)に参徹しようとして、嚢(のう)を携えて嶺を出ようとした折に、足の指を石にぶつけて、血が流れ、痛み苦しんだ。(そのとき)忽然(こつねん)として、はっと深く省みて言った。

書き下し 是(こ)の身(しん)、有(う)に非ず、痛(つう)、何(いず)れよりか来(き)たる。

訳 「この身は有ではない。(それなのに)痛みはどこから来るのか」

語注

  • あまねく諸方を参徹せんため:広くほうぼう(の師のもと)を参じ尽くそうとして。「参徹」は、参学してきわめ尽くすこと。訳さずに残した。宗務庁版英訳は「広くあらゆる方面で〔師たちのもとで〕学ぶため」と、[ ]で「師たち」を補って訳す。
  • 嚢:袋。行脚のための荷を入れる袋。
  • 出嶺:嶺(雪峰山)を出ること。宗務庁版英訳は「嶺を去る(leaving the ridge)」と訳す。
  • ちなみに:〜の折に、〜したところ。
  • 築著(ちくじゃく)して:ぶつけて。
  • 痛楚(つうそ):痛み苦しむこと。
  • 猛省:激しく、強く省みること。宗務庁版英訳は「真剣に省みた(reflected earnestly)」と訳す。
  • この話の出どころ:宗務庁版英訳の注は、この逸話は『聯灯会要』などに見える一節を和文で語り直したものとする。
  • 是身非有:「この身は、有(実体として有るもの)ではない」。「有」は仏教語で、存在すること・実体として有ること。訳さずに残した。宗務庁版英訳はこの句を条件の形に取り、「もしこの身が本当には存在しないのなら(If this body doesn't really exist)」と訳す。訳文は書き下しのとおり言い切りの形に訳し、後の句へのつながりを(それなのに)と補った(→読みの分かれるところ)。
  • 痛自何来:「痛みは、どこから来るのか」。

【3】そこで、雪峰(山)に帰った。

語注

  • すなはち:そこで、すぐに。
  • 雪峰にかへる:雪峰(山・雪峰義存のもと)に戻った。諸方への行脚に出ようとしていたのを、やめて戻ったことになる。戻った理由は原文に書かれていない(→読みの分かれるところ)。

雪峰との問答#

【4】雪峰が問うた。

書き下し 那箇(なこ)か是れ備頭陀(びずだ)。

訳 「どれが備頭陀(びずだ)か(備頭陀とは、何者か)」

語注

  • 那箇(なこ):どれ、どの、何(どういう)もの。
  • 備頭陀:師備の「備」に「頭陀」をつけた呼び名。「頭陀」は、梵語ドゥータ(dhūta)の音写で、衣食住への執着をはらう厳しい修行(頭陀行)をいう。宗務庁版英訳の注は、伝記によれば玄沙は厳しい修行によってこの呼び名を得た、とする。訳さずに残した。
  • 問いの意味:宗務庁版英訳は「この備頭陀とは何か(What is this Bei Dhūta?)」と訳し、注で、雪峰は玄沙の行き来(出て行って、また戻ってきたこと)に驚いているのだとする。訳文は語の形に沿って訳し、問いの含みは決めなかった(→読みの分かれるところ)。

【5】玄沙は言った。

書き下し 終(つい)に敢(あえ)て人を誑(たぶら)かさず。

訳 「決して、人をあざむくようなことはいたしません」

語注

  • 終(つい)に:最後まで、決して(打ち消しを強める)。
  • 敢(あえ)て:しいて、すすんで。打ち消しと合わせて「あえて〜しない」。
  • 誑:あざむく、たぶらかす。
  • 能動か受け身か:訳文は書き下しのとおり「(私は)人をあざむかない」と取った。宗務庁版英訳も「私は決して誰もあざむかない(I would never fool anyone)」と訳すが、注で、この答えを受け身に取り「決して誰にもあざむかれない」と読む人もいる、とする(→読みの分かれるところ)。
  • 主語:原文に示されていない。訳文では(私は)の意に取って、言葉づかいで示した。

【6】この言葉を、雪峰はことに愛して言った。「だれがこの言葉を持っていないだろうか。(しかし)だれがこの言葉を言い得ようか」。

語注

  • ことに:格別に、とりわけ。
  • 愛して:好んで、深く心にかなって。
  • たれかこのことばをもたざらむ:だれがこの言葉を持たないだろうか(だれもが持っている)。反語に取った。
  • たれかこのことばを道得せん:だれがこの言葉を道得するだろうか(言い得る者はいない)。これも反語に取った。「道得」は、言い得ること、真実を言葉にして言い当てること。訳さずに残してもよい語だが、ここでは「言い得る」と訳した。
  • 二句のつながり:原文に接続の語はない。訳文は(しかし)を補い、「だれもが持っているが、だれも言い得ない」と対比の意に取った。宗務庁版英訳も「Yet」を補う。二句の関係は読みが分かれうる(→読みの分かれるところ)。
  • 典拠:宗務庁版英訳の注は、和文で示されたこの雪峰の言葉は、この話の標準的な記録には見えず、道元禅師が何に拠ったかは分からない、とする。

【7】雪峰はさらに問うた。「備頭陀よ、どうして遍参しないのか」。

語注

  • 遍参:ひろく諸方の師を訪ねて参学すること。訳さずに残した。【2】の「あまねく諸方を参徹せんため」と対応する。
  • 典拠:宗務庁版英訳の注は、この問い以下を、【2】以下と同じ『聯灯会要』の一節の続きとする。

【8】師(玄沙)は言った。

書き下し 達磨(だるま)、東土(とうど)に来たらず、二祖、西天(さいてん)に往かず。

訳 「達磨(だるま)は東土(とうど)に来なかった。二祖は西天(さいてん)に行かなかった」

(師が)こう言うと、雪峰はことにほめた。

語注

  • 師:玄沙を指す。本巻の地の文は、玄沙を「師」とも呼ぶ。
  • 達磨:菩提達磨。インド(西天)から中国(東土)へ禅の系譜を伝え、そこで二祖慧可に伝えたとされる人(宗務庁版英訳の注による)。
  • 東土:東の国、中国。
  • 二祖:達磨の法を嗣いだ慧可(宗務庁版英訳の注による)。
  • 西天:西の天竺、インド。宗務庁版英訳は "Sindh in the West" と訳す。
  • 句の意味:伝えでは達磨は西天から東土に来た人であり、二祖は東土で達磨に法を受けた人である。それを「来なかった」「行かなかった」と言う。雪峰の「どうして遍参しないのか」に対する答えとして、何を言うものかは原文に説明がない。訳文は字面どおりに訳した(→読みの分かれるところ)。
  • ことにほめき:格別に(とりわけ)ほめた。【6】の「ことに愛して」に続けて、ここでも「ことに」と言う。宗務庁版英訳は「いっそう(even more)ほめた」と訳す(→読みの分かれるところ)。

【9】(玄沙は)ふだんは釣りをする人であったので、もろもろの経典や書物は、夢にも一度も見たことがなかったけれども、志の浅くないことを第一としていたので、傍らの人々(同輩)を越える志気があらわれていた。雪峰も、(玄沙が)大衆の中ですぐれていると思って、門下で抜きん出た者(角立(かくりゅう))であるとほめた。衣は布を用い、ひとつ(の衣)を替えなかったので、何度も継ぎはぎを重ねていた。肌には紙衣を用い、艾草(がいそう)をも着た。雪峰に参ずるほかは、それ以外の知識を訪ねなかった。そうではあったが、まさしく師の法を嗣ぐ力を身につけたのである。

語注

  • ひごろは:日ごろは、もとは。出家する前、と取った。
  • 経書(きょうしょ):経典と書物。
  • ゆめにもかつていまだみざりけれども:夢にさえ、これまで一度も見たことがなかったけれども。
  • こころざしのあさからぬをさきとすれば:志の浅くないこと(深い志)を第一とし、先に立てていたので。志の深いことが(学識より)先立っていたので、と取る読みもある。
  • かたへにこゆる志気:傍らの者(同輩)を越える志・意気。宗務庁版英訳は「仲間たちを越える決意」と訳す。
  • 衆(しゅ):大衆、雪峰のもとで修行する僧たち。
  • 門下の角立:門下の中で、角を立てたように抜きん出た者。
  • 衣は布をもちゐ:衣は布を用い。宗務庁版英訳は「布」を「植物の繊維(plant fibers)」と訳す。絹などに対する粗末な布の意に取れる。
  • ひとつをかへざりければ:一つ(の衣)を替えなかったので。
  • ももつづりにつづれりけり:百綴り(何度も重ねて)に綴り合わせていた。継ぎはぎを重ねていた。
  • 紙衣:紙で作った衣。
  • 艾草をもきけり:艾草(よもぎの類の草)をも着た。宗務庁版英訳は「よもぎの繊維(mugwort fiber)を着た」と訳し、紙衣と艾草をどちらか一方(or)として訳す。訳文は両方を用いた意に取った。
  • 知識:善知識。仏道を導く師。訳さずに残した。
  • とぶらはざりけり:訪ねなかった。
  • しかあれども:そうではあったが。【7】で雪峰が「なんぞ遍参せざる」と問うたように、他の師を訪ねなかったことを受けて「それでも」と続けるものと取った。経書を読まず、ほかの知識も訪ねなかったという【9】全体を受けると取ることもできる。
  • 師の法を嗣(し)するちから:師(雪峰)の法を嗣ぐ力。「嗣する」は法を嗣ぐ(嗣法する)こと。
  • 弁取(べんしゅ)せりき:身につけ、成し遂げたのであった。「弁取」は、ととのえて我がものとすること、と取った。宗務庁版英訳は「(師の法を嗣ぐ)資格を得た(acquired the authority)」と訳す。

「尽十方世界是一箇明珠」の示衆と僧との問答#

【10】ついに道を得て後、人に示して言った。

書き下し 尽十方世界(じんじっぽうせかい)は、是れ一箇の明珠なり。

訳 「尽十方世界は、一箇の明珠である」

語注

  • みちをえて:道を得て。仏道をさとって。
  • 人にしめす:人々に(教えを)示す。宗務庁版英訳は「人々を導くときに、(いつも)言ったものだった(would say)」と訳す。一度の示衆を言うのか、くり返し示していたことを言うのかは決めなかった。
  • 尽十方世界:十方(東西南北・四維・上下)の世界のすべて。あらゆる世界、全世界。訳さずに残した。
  • 一箇の明珠:一つの、明るく輝く珠。「箇」は物を数える語。本巻で「一箇」はここだけで、ほかの箇所はすべて「一顆」。訳文は「一箇」と原文の語を残し、「一顆」と区別した。意味の違いを見るかどうかは決めていない。
  • 是:書き下しは「是れ」と読み、「〜である」の意に取った。宗務庁版英訳の注は、本巻第二回の範囲で、道元禅師がこの「是」を「この」の意で読んでいるとする。

【11】そのとき、(ある)僧が問うた。

書き下し 僧問う、「承るに、和尚言えること有り、『尽十方世界、是れ一顆の明珠』と。学人、如何んが会得せん」。

僧「うかがうところでは、和尚は『尽十方世界は一顆の明珠である』とおっしゃったとのこと。学人(の私)は、(それを)どのように会得したらよいのでしょうか」

語注

  • ときに:そのとき、あるとき。宗務庁版英訳は「あるとき(Once)」と訳す。
  • 漢文への切り替え:宗務庁版英訳の注は、道元禅師はここから漢文に切り替えて以下の問答を引用しているとし、この問答は『景徳伝灯録』などに見え、道元禅師の真字『正法眼蔵』(第15則)にも収められているとする。
  • 承:うけたまわる。人から聞いた、の意。
  • 和尚:師僧を敬って呼ぶ語。ここでは玄沙を指す。
  • 学人:修行者。ここでは問う僧が自分をへりくだって言う語。訳さずに残した。
  • 会得:理解すること、わがものとして心得ること。訳さずに残した。

【12】師(玄沙)が言った。

書き下し 師曰く、「尽十方世界、是れ一顆の明珠、会(え)を用いて麼(なに)にか作(な)さん」。

師「尽十方世界は一顆の明珠である。会(理解)して、どうしようというのか」

語注

  • 用会作麼(ようえそも):書き下しは「会(え)を用いて麼(なに)にか作(な)さん」とした。会(理解)を用いて何をしようというのか、すなわち、理解してどうするのか、の意に取った。宗務庁版英訳は「それを理解して何になる(What's the use of understanding it?)」と訳す。「会」を不要と退ける語と取るか、問い返しとして取るかなど、読みが分かれる(→読みの分かれるところ)。
  • 「作麼」:「どうする、何をする」の意の口語。
  • 尽十方世界、是れ一顆の明珠:師はまず、僧が引いた自分の言葉をそのまま繰り返している。

【13】師は、翌日、今度は逆にその僧に問うた。

書き下し 師、来日、却って其の僧に問う、「尽十方世界、是れ一顆の明珠、汝、作麼生(そもさん)か会す」。

師「尽十方世界は一顆の明珠である。おまえは、どう会するか」

語注

  • 来日:翌日。宗務庁版英訳も「その翌日(The next day)」と訳す。
  • 却って:逆に、今度は(立場を入れ替えて)。前日は僧が問い師が答えたのを、今度は師が僧に問う。宗務庁版英訳は「今度は(in his turn)」と訳す。
  • 作麼生:どのように。禅の語録に多い口語。訳さずに書き下しに残した。
  • 会す:会得する、理解する。

【14】僧が言った。

書き下し 僧曰く、「尽十方世界、是れ一顆の明珠、会を用いて麼にか作さん」。

僧「尽十方世界は一顆の明珠である。会(理解)して、どうしようというのか」

語注

  • 前日の師の答え(【12】)と同じ句を、僧がそのまま答えとして返している(原文では【12】が「盡」「會」、【14】が「尽」「会」と字体が違うが、句としては同じ)。その意味は原文に説明がない(→読みの分かれるところ)。

【15】師が言った。

書き下し 師曰く、「知る、汝が黒山鬼窟裏(こくさんきくつり)に向かって活計を作すことを」。

師「(それで)わかった。おまえが黒山の鬼窟の中で活計を立てている(暮らしをいとなんでいる)ということが」

語注

  • 知る:知った、わかった。宗務庁版英訳は「今わかった(Now I know)」と訳す。
  • 黒山鬼窟:黒山の鬼窟(鬼の住む洞窟)。宗務庁版英訳の注は、禅の文献で、固定した知的・精神的な立場(の狭いところ)にとらわれていることを言う、よく見られる像とする。訳さずに残した。
  • 裏に向かって:〜の中で、〜の中に身を置いて。
  • 活計を作す:生計を立てる、暮らしをいとなむ。訳さずに「活計」を残した。
  • 句の意味:僧の答えをどう評した言葉かは、この段には説明がない。本巻の後段(本巻第二回)で道元禅師はこの句を取り上げて論じている。訳文は字面どおりに訳し、評価を補わなかった(→読みの分かれるところ)。

解説#

はじめに――『一顆明珠』という巻#

巻頭題と、巻の置かれる位置#

本書では、ここから「一顆明珠」の巻を読んでいきます。巻のはじめには、

「正法眼蔵 一顆明珠」

とあり、巻の終わりにも、本文のあとに同じく「正法眼蔵 一顆明珠」(本巻第三回)と記されています。

宗務庁版英訳の解題では、この巻は、六十巻本と七十五巻本ではともに第七の巻に置かれ、本山版では第四の巻である、とされています。本山版の巻の順では、弁道話・摩訶般若波羅蜜・現成公案に続いて、この「一顆明珠」が置かれていることになります。

奥書――興聖寺での示衆#

巻末題のあとには、次の奥書があります。

「爾時嘉禎四年四月十八日、在雍州宇治県観音(かんのん)導利興聖宝林寺示衆。」(本巻第三回)

嘉禎四年四月十八日に、雍州宇治県の観音導利興聖宝林寺において大衆に示された、という記録です。宗務庁版英訳の解題では、この巻は1238年の初夏に興聖寺で書かれたもの、とされています。宇治の興聖寺で、修行僧たちに示された巻であるとされます。

前の巻「現成公案」は、鎮西の俗弟子に書き与えられたものでした。それに対して、この巻は、奥書の言葉どおりに受けとめれば「示衆」、すなわち寺に集う修行者たちに向けて示されたものです。また解題は、この巻が、道元禅師が『正法眼蔵』の諸巻に本格的に取り組まれるはじまりを示す巻である、と位置づけています。

奥書には、さらに一行、「寛元元年癸卯閏七月二十三日、書写于越州吉田郡志比荘吉峰寺院主房。侍者比丘懐弉。」と、のちに懐弉禅師がこの巻を書き写したことが記されています。奥書のことは、巻の終わりを読む本巻第三回で、あらためて見ることにします。

巻名「一顆明珠」#

巻名の「一顆明珠」は、現代語訳の語注で見たように、「一つの明るく輝く珠」という意味です。「顆」は、珠や果実など、丸いものを数える言葉です。

宗務庁版英訳の解題は、この巻が、唐代の玄沙師備(835–908)の「尽十方世界は一顆の明珠である」という一句に、全体をあげて捧げられている、と述べています。また解題は、珠は仏教の文献のなかで豊かなたとえとして用いられてきたこと、そしてこの巻では、あらゆるところのあらゆるものがその珠である、と説かれていることを紹介しています。

巻の名は一つの語ですが、この巻は、ただ一つの句――「尽十方世界是一顆明珠(じんじっぽうせかいぜいっかみょうじゅ)」――をめぐって書かれている、と言ってよいでしょう。今回読むのは、その句がどのような人によって、どのような場面で言われたのかを語る部分です。

今回読むところ#

今回は、巻の冒頭から、玄沙と僧との問答の終わりまで(巻頭題と【1】〜【15】)を読みます。内容のまとまりによって、次のように見ていきます。

段 内容
【1】 玄沙師備の伝――釣りをする人から出家へ
【2】【3】 是身非有、痛自何来――出嶺と、雪峰への帰還
【4】〜【6】 那箇是備頭陀――終不敢誑於人
【7】【8】 なんぞ遍参せざる――達磨不来東土、二祖不往西天
【9】 雪峰のもとでの行持
【10】 尽十方世界是一箇明珠
【11】〜【15】 用会作麼――僧との問答

この範囲で、道元禅師はまだご自身の言葉で論じることをしておられません。和文で玄沙の伝を語り、漢文で問答を引く、という形です。道元禅師がこの一句をどう受けとめておられるかが詳しく語られるのは、そのあとに続く部分で、本巻第二回・第三回で読みます。

ただし、伝を語る和文のなかにも、道元禅師の語り口があらわれています。「不待にもありけん」という推量の言い方や、「しかあれども」というつなぎの言葉などです。この解説では、語られている事柄そのものに加えて、その語り方にも目をとめながら進みます。読みの分かれる箇所では一つの読みに決めず、受けとめ方の幅を示します(主なものは末尾の「読みの分かれるところ」に挙げました)。そのうえで、曹洞宗の宗門で大切にされてきた坐禅と日々の修行のなかで、これらの言葉をどう受けとめることができるかを考えていきたいと思います。

玄沙師備の伝〔【1】〕#

「娑婆世界大宋国」から始まる#

巻は、次の言葉で始まります。

「娑婆世界大宋国、福州玄沙山院宗一大師、法諱師備(ほうきしび)、俗姓者謝なり。」

娑婆世界の大宋国、福州の玄沙山院の宗一大師、法諱は師備、俗姓は謝である、と。

「娑婆世界」は、宗務庁版英訳の注によれば、私たちの住むこの世界、「堪え忍ぶべき世界」のことで、釈尊が教えを説かれる世界をいいます。巻は、この広大な「娑婆世界」から始まり、国、地方、山、寺へと絞りこまれて、一人の人、師備にたどりつきます。この巻が、のちに「尽十方世界」という、およそこれ以上広いものはない言葉をめぐって進むことを思うと、一人の人を、まずこの世界全体のなかに置いて示す書き出しには、心をとめておいてよいかもしれません。ただ、本文はそのことについて何も述べていませんので、これは一つの受けとめ方にとどめます。

「大宋国」という呼び方については、語注で触れたとおり、唐代の人である玄沙を、道元禅師の当時の国名で、中国の人として言ったものと受けとめておきます。宗務庁版英訳もこの呼び方には注をつけておらず、ほかの受けとめ方の余地も残ります。

宗務庁版英訳によれば、玄沙師備は835年から908年の人で、福州は今の福建省にあたります。また宗務庁版英訳の注は、この段の伝記の記述が『景徳伝灯録』の玄沙の伝から取られたものらしい、としています。

釣りをする人――「不釣自上の金鱗」#

続いて本文は、出家する前の玄沙の暮らしを語ります。

「在家のそのかみ釣魚を愛し、舟を南台江にうかべて、もろもろのつり人にならひけり。」

在家であったころ、魚釣りを好み、舟を南台江に浮かべて、多くの釣り人にならっていた、と。南台江は、宗務庁版英訳の注によれば、福建の釣台山の下を流れるところでの閩江の名です。

そして、次の一文が置かれます。

「不釣自上の金鱗を不待にもありけん。」

この巻のなかでも、とくに読みの分かれる一文です(→読みの分かれるところ)。訳文では「(釣らなくても)自ずから上がってくる金鱗(の魚)を、待たなかったということでもあったろうか」としました。

「不釣自上の金鱗」は、字の上では、釣らなくても自分から上がってくる金色の鱗の魚です。宗務庁版英訳の注は、不思議な金鱗の魚が禅の問答によく出る話題であることを挙げ、また「不釣自上」の語は、道元禅師の本師である天童如浄禅師の言葉「尽大地人不釣自上」をふまえるかもしれない、としています。

この一文をどう受けとめるかには、いくつもの道があります。釣りをしながらも、魚が自ずからかかるのをただ待っているだけの人ではなかった、と受けとめることもできます。あるいは、「金鱗」を、求めずして自ずから現れる仏道の真実のたとえと見て、それをただ待つのではなく、やがて自ら道を求めて出家していった、と、次の「たちまちに出塵をねがふ」を予告する言葉として受けとめることもできるでしょう。「ありけん」という推量の言い方は、伝記の事実をそのまま述べるというより、語り手である道元禅師がそこに添えた言葉のようにも読めます。

訳文は、どれか一つに決めず、字に沿って訳しました。ここでも、一つの読みに決めることはしません。ただ、道元禅師が、釣りという玄沙の在家の暮らしを、ただの前歴としてではなく、仏道に通じる言葉で語っておられるように見えることには、目をとめておきたいと思います。

宗務庁版英訳の注は、道元禅師が「遍参」の巻で、玄沙自身が自分の釣りに触れた言葉を論じていることも挙げています。「遍参」の巻には、玄沙が、自分を釣り舟の上の謝家の三郎として言い表した問答が引かれています。「謝」は、【1】に見える玄沙の俗姓です。この話は、本書がのちに「遍参」の巻を読むときに扱います。ここでは、釣り人であったことが、玄沙自身の言葉のなかでも捨て去られたものとしてではなく語られている、という点で、【1】の語り方と響き合っているように思われる、ということだけを申し添えます。

咸通のはじめ、三十歳#

「唐の咸通のはじめ、たちまちに出塵をねがふ。舟をすてて山にいる。」

「そのとし三十歳になりけり。浮世のあやうきをさとり、仏道の高貴をしりぬ。」

唐の咸通のはじめ、にわかに出家を願い、舟を捨てて山に入った。その年、三十歳であった。浮世の危うさをさとり、仏道の尊さを知ったのである、と。

宗務庁版英訳の注によれば、咸通は唐の年号で、860年から875年にあたります。また「山にいる」は、漢語の「入山」にあたる和語で、修行僧の集団に加わることをいう常套の表現である、とされています。

ここで、年代について一言しておかなければなりません。宗務庁版英訳の示す玄沙の生年(835年)と、咸通のはじめという年代とを数の上で合わせてみると、「はじめ」を咸通の元年と取るかぎり、「三十歳」という年齢とは、そのままでは合いません。「はじめ」をどれほどの幅で取るかも含めて、どの数をどう取るのがよいのかを、本書の手もとの資料で決めることはできません。ここでは、本文の言葉を尊重して、本文のとおり「咸通のはじめ」「三十歳」と受けとめておき、年代を断定することは控えます。

なお、本書がのちに読む「行持」の巻にも玄沙の伝が引かれており、そこでも、同じ年号のはじめ、三十歳のときに出塵を願ったことが語られています。年号のはじめに三十歳で出塵を願った、という点については、道元禅師は二つの巻で同じように語っておられることになります。

この段で心にとめておきたいのは、年代の細かな数よりも、「たちまちに」という一語、そして「舟をすてて」という言葉でしょう。それまで愛してきた釣りの暮らしの舟を捨てて、山に入る。そこには、「浮世のあやうき」をさとり、「仏道の高貴」を知った、と理由が添えられています。本文が語るのはそこまでで、それ以上のいきさつは語られていません。

雪峰山にのぼり、昼夜に辨道す#

「つひに雪峰山にのぼりて、真覚大師に参じて、昼夜に辨道す。」

真覚大師は、宗務庁版英訳の注によれば、雪峰義存(822–908)のことです。雪峰山は、今の福建省福州の近くにある山とされます。

「昼夜に辨道す」。昼も夜も、仏道を修行した、と。短い言葉ですが、この「辨道」という語は、本書が最初に読んだ「弁道話」の巻名にも通じる言葉です。弁道話では、坐禅について「初心の辦道すなはち本証の全体なり」(『弁道話』第五回)と示されていました。初心の修行が、そのまま本来の証のすべてである、と。玄沙の昼夜の辨道を、何かを得るまでの準備の期間としてではなく、そのまま仏道の行として受けとめることも、宗門の立場からは自然なことと言えるでしょう。

是身非有、痛自何来〔【2】【3】〕#

出嶺のちなみに#

「あるとき、あまねく諸方を参徹せんため、嚢をたづさへて出嶺するちなみに、脚指を石に築著して、流血し、痛楚するに、忽然として猛省していはく、「是身非有、痛自何来」。」

あるとき、広くほうぼうの師のもとに参じ尽くそうとして、袋を携えて山を出ようとした折に、足の指を石にぶつけて血が流れ、痛み苦しんだ。そのとき忽然として深く省みて言った、と。宗務庁版英訳の注は、この逸話が『聯灯会要』などに見える一節を和文で語り直したものである、としています。

一つの師のもとで修行を重ねたのち、さらに広く諸方の師を訪ねる。本文の言う「あまねく諸方を参徹せん」とは、そうした歩みのことでしょう。玄沙も、その歩みに出ようとしていたのです。そして、山を出ようとしたその足もとで、石につまずきます。

「是身非有、痛自何来」#

そのとき玄沙が言ったのが、「是身非有、痛自何来」の一句です。訳文では「この身は有ではない。(それなのに)痛みはどこから来るのか」としました。

この句の受けとめ方には大きな幅があります(→読みの分かれるところ)。

まず句の形について。訳文は書き下しのとおり、「この身は有ではない」と言い切ったうえで、「痛みはどこから来るのか」と問う形に取りました。宗務庁版英訳は、これを条件の形に取って、「もしこの身が本当には存在しないのなら、痛みはどこから来るのか」と訳しています。

次に、「非有」の受けとめ方です。この身は実体として有るものではない、すなわち空である、という仏教の教えをふまえた言葉と受けとめることができます。また、そうした教えの言葉を、玄沙が自らの足の痛みのなかで問い直した、と受けとめることもできるでしょう。

そして、この問いがどこに向かっているのか。「身は空である」という理解と、いま現に血を流している足の痛みとのあいだに、玄沙が疑問を抱いた、と受けとめることもできます。一方で、本文は、この言葉を「忽然として猛省していはく」と導いています。疑問を口にしたというより、痛みのただなかで、はっと何かに気づいた言葉と受けとめることもできるでしょう。本文は、その「猛省」の中身を説明していません。

ここでは、どの読みにも決めないでおきます。ただ、本文の語るところでは、この句は、石につまずき、血を流し、痛みに苦しむ、その身の出来事のなかで言われています。そのことには目をとめておきたいと思います。

すなはち雪峰にかへる#

「すなはち雪峰にかへる。」

そこで、雪峰に帰った、と。

広く諸方を訪ねようとして山を出かけたその人が、すぐに師のもとへ戻ります。本文は、戻った理由を書いていません(→読みの分かれるところ)。【2】の「猛省」によって、諸方を訪ねて回る必要がなくなった、と受けとめることもできますし、負傷したために戻った、と字のとおりに受けとめることもできます。続く雪峰との問答(【4】〜【8】)は、この帰還をきっかけとして交わされます。そこで雪峰が「なんぞ遍参せざる」と問うていることを思えば、玄沙が遍参をやめたことの意味が、そのあとの問答のなかで問われていくのだ、と読むこともできるでしょう。

坐禅のなかの痛み#

坐禅をしたことのある方は、足の痛みをよくご存じでしょう。結跏趺坐や半跏趺坐で坐っていると、足が痛み、しびれてきます。そうした痛みは、坐禅を妨げるもののように感じられるかもしれません。

この段を、坐禅のなかで受けとめるとすれば、どうでしょうか。玄沙の「是身非有、痛自何来」は、痛みを否定する言葉としても、痛みに即して問いを深める言葉としても読める、と見てきました。私たちが坐禅のなかで痛みに出会うとき、痛みを無いものとして押しこめるのでもなく、痛みに振りまわされるのでもなく、痛みとともに、ただ坐る、ということがあります。この身はどういうものか、この痛みはどこから来るのか。それを頭で解き明かそうとするのではなく、その問いを抱えたまま、身をととのえて坐りつづける。玄沙の一句を、坐禅のそうしたあり方を思い起こさせる言葉として受けとめることもできるでしょう。ただし、これは本文が坐禅について語っているということではなく、一つの受けとめ方として申し添えるものです。

那箇是備頭陀――終不敢誑於人〔【4】〜【6】〕#

雪峰の問い#

「雪峰とふ、「那箇是備頭陀」。」

戻ってきた玄沙に、雪峰が問います。「那箇か是れ備頭陀」。どれが備頭陀か、備頭陀とは何者か、と訳しました。

「備頭陀」は、師備の「備」に「頭陀」をつけた呼び名です。「頭陀」は、衣食住への執着をはらう厳しい修行をいう語で、宗務庁版英訳の注は、伝記によれば玄沙は厳しい修行によってこの呼び名を得た、としています。

この問いの受けとめ方にも幅があります(→読みの分かれるところ)。宗務庁版英訳の注は、玄沙の行き来、つまり出て行って、また戻ってきたことに雪峰が驚いているのだ、としています。どうした、という含みのある問いと受けとめるわけです。一方で、「那箇」の語に、「どれが」と選び出す意味を見て、いまここにいるお前の、ほんとうのところはどれか、と、玄沙の本来のありようを問うたものと受けとめることもできるでしょう。

玄沙の答え#

「玄沙いはく、「終不敢誑於人」。」

玄沙は答えます。「終に敢て人を誑(たぶら)かさず」。決して人をあざむくようなことはいたしません、と訳しました。

ここにも読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。訳文と宗務庁版英訳の本文は、「(私は)人をあざむかない」と、玄沙が自分のことを言う能動の形に取っています。宗務庁版英訳の注は、これを受け身に取って「決して人にあざむかれない」と読む人もある、と紹介しています。

能動に取るとしても、何について「あざむかない」のかには、いくつかの受けとめ方があります。「備頭陀とは何者か」と問われて、自分について偽りを言わない、ありのままの自分がここにいる、と答えたものと受けとめることができます。また、人を言葉でたぶらかさない、という、のちに人を導く者としての言葉として受けとめることもできるでしょう。

受け身に取るならば、だれにもあざむかれない、他人の言葉に惑わされない、という意味になり、諸方へ出ようとしてすぐに戻ってきた【3】とのつながりのなかで受けとめることもできそうです。

本書の訳は能動に取りましたが、どの読みを取るにしても、この答えが、【2】の痛みのなかの猛省を経て、雪峰のもとに戻ったその場で言われたものであることは、本文の流れのとおりです。

なお、弁道話には、法眼禅師の会中にいた則公監院という僧が、なぜ法を問わないのかと法眼禅師に問われて、「それがし、和尚をあざむくべからず。」(『弁道話』第八回)と答える話が引かれていました。わたくしは和尚をあざむくわけにはまいりません、と。話の筋も、文脈も異なりますので、二つを重ねて読むことはできませんが、師の前で偽らない、という言葉が、師と弟子とのあいだで交わされる場面として、ともに心にとめておいてよいかもしれません。この則公の話には、のちに【12】〜【15】の問答を読むところで、もう一度ふれます。

雪峰の言葉――たれかこのことばをもたざらむ#

「このことばを、雪峰ことに愛していはく、「たれかこのことばをもたざらむ、たれかこのことばを道得せん」。」

この言葉を、雪峰はことに愛して言った、と。宗務庁版英訳の注は、和文で示されたこの雪峰の言葉は、この話の標準的な記録には見えず、道元禅師が何に拠られたかはわからない、としています。

訳文では、二つの句をどちらも反語に取り、(しかし)を補って、「だれがこの言葉を持っていないだろうか。(しかし)だれがこの言葉を言い得ようか」としました。だれもがこの言葉を持っているが、だれもこれを言い得ない、という対比の意味です。宗務庁版英訳も「Yet」を補って同じ方向に訳しています。

ただし、二句のつながりには原文に接続の言葉がなく、読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。二句を同じ向きに取って、だれもがこの言葉を持っているのだから、だれもが言い得るはずだ、と受けとめることもできます。また「もつ」を、この言葉を口にする言葉として持っている、と取るか、この言葉の内容を身にそなえている、と取るかにも幅があります。

訳文の読みに沿って受けとめるならば、人をあざむかない、偽らないということは、だれの身にもそなわっていることでありながら、それを言葉としてまさしく言い得る人は少ない、と雪峰が言っていることになります。「道得」は、言い得ること、真実を言葉にして言い当てることです。この「道得」という語は、本巻の後の部分でも、道元禅師が玄沙の句を受けとめるときの大切な言葉として何度も用いられます(たとえば本巻第二回)。

弁道話の冒頭には、「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。」(『弁道話』第一回)とありました。だれもが持っている、しかし、だれもが言い得るわけではない、という雪峰の言葉を、訳文の読みで受けとめるとき、この弁道話の言葉が思い起こされます。そなわっていることと、それが現れ出ることとのあいだに、修行がある、と受けとめることができるでしょう。

なんぞ遍参せざる――達磨不来東土、二祖不往西天〔【7】【8】〕#

雪峰の問い#

「雪峰さらにとふ、「備頭陀なんぞ遍参せざる」。」

雪峰はさらに問います。備頭陀よ、どうして遍参しないのか、と。宗務庁版英訳の注は、この問い以下を、【2】以下と同じ『聯灯会要』の一節の続きとしています。

「遍参」は、ひろく諸方の師を訪ねて参学することです。【2】で玄沙は、まさに「あまねく諸方を参徹せん」として山を出ようとしていたのでした。その玄沙が戻ってきたことを受けて、雪峰は、なぜ遍参しないのか、と問うのです。

玄沙の答え#

「師いはく、「達磨不来東土、二祖不往西天」といふに、雪峰ことにほめき。」

師(玄沙)は言った。「達磨、東土に来(き)たらず、二祖、西天に往かず」と。こう言うと、雪峰はことにほめた、と。

宗務庁版英訳の注によれば、達磨は西天(インド)から東土(中国)へ禅の系譜を伝え、そこで二祖慧可に伝えたとされる人です。伝えのうえでは、達磨は西天から東土に来た人であり、二祖は東土で達磨に法を受けた人です。その達磨について「東土に来なかった」と言い、二祖について「西天に行かなかった」と言うのです。

この句が何を言っているのかは、本文に説明がなく、読みの幅が大きいところです(→読みの分かれるところ)。

一つには、法は場所から場所へと行き来することによって得られるものではない、だから自分は遍参しない、という答えとして受けとめることができます。もう一つには、来る・行くという往来のすがたを超えたところで、達磨と二祖のあいだに法が伝わっている、ということを言ったものと受けとめることもできます。さらに、伝えに反するような否定の言い方そのものに意味を見る受けとめ方もあるでしょう。上の句「達磨不来東土」は伝えと逆のことを言い、下の句「二祖不往西天」は伝えのとおりのことを言っています。二つの句がまったく同じ形で並べられていることの意味も、問われてよいところです。

「遍参」の巻での受けとめ#

この問答は、のちの「遍参」の巻でも、巻のはじめのほうに掲げられ、詳しく論じられています。本書がその巻を読むのはずっと先になります。道元禅師がそこでこの句をどのように受けとめておられるかは、その巻を読むときに改めて考えることにし、今回の範囲の訳と解説は、なお字のとおりの読みにとどめ、一つの読みに決めないことにします。

雪峰は、この答えを「ことにほめ」ました。【6】の「ことに愛して」に続いて、ここでも「ことに」と言われています。宗務庁版英訳は「いっそう(even more)ほめた」と訳しています(→読みの分かれるところ)。

遍参せず、ということ#

宗門の修行に引き寄せて考えると、この問答から受けとめられることがあります。

修行というと、より多くの師を訪ね、より多くの教えを聞き、より多くの書物を読むことと考えがちです。もちろん、師を訪ねて教えを請うことは大切なことです。けれども、玄沙は、遍参に出ようとした足もとで石につまずき、猛省して、師のもとに戻りました。法を、どこか遠くに、ほかの場所に求めにいくのではなく、いま、ここで行じる。そう受けとめるとき、この問答は、遠くに何かを求めることよりも、いまいるところで日々の修行をつとめることの大切さを、私たちに示しているようにも思われます。ただし、これは師につくことや教えを聞くことを軽んじるということではありません。玄沙が戻ったのは、師である雪峰のもとでした。

雪峰のもとでの行持〔【9】〕#

経書を見ず、こころざしを先とする#

【9】で本文は、ふたたび和文で、雪峰のもとでの玄沙のありさまを語ります。

「ひごろはつりする人にてあれば、もろもろの経書、ゆめにもかつていまだみざりけれども、こころざしのあさからぬをさきとすれば、かたへにこゆる志気あらはれけり。」

もとは釣りをする人であったので、経典や書物は夢にさえ見たことがなかったけれども、志の浅くないことを第一としていたので、傍らの人々を越える志気があらわれていた、と。

ここで語られているのは、経書を読んだかどうかではなく、「こころざし」の深さです。「こころざしのあさからぬをさきとすれば」の受けとめ方には、志の深いことを第一としていた、と取るか、志の深いことが学識より先立っていた、と取るか、幅があります。いずれにしても、本文は、玄沙の修行を支えたものとして、学識ではなく志をあげています。

弁道話には、在家の人が修行することについての問答のなかで、「ただこれ、こころざしのありなしによるべし」(『弁道話』第七回)という言葉がありました。そこでは、在家か出家かという身の上によるのではなく、志のありなしによるのだ、と示されていました。経書を見たことがなくとも志を先とした、という【9】の語り方と、響き合っているように思われます。

「雪峰も、衆のなかにすぐれたりとおもひて、門下の角立なりとほめき。」。雪峰もまた、玄沙が大衆の中ですぐれていると思い、門下で抜きん出た者であるとほめた、と本文は続けます。

衣と、自余の知識をとぶらはざること#

「衣は布をもちゐ、ひとつをかへざりければ、ももつづりにつづれりけり。はだへには紙衣をもちゐけり、艾草をもきけり。」

衣は布を用い、一つの衣を替えなかったので、何度も継ぎはぎを重ねていた。肌には紙衣を用い、艾草をも着た、と。

ここには、「頭陀」と呼ばれた玄沙の暮らしぶりが、衣のことを通して具体的に語られています。「布」が絹などに対する粗末な布を言うのか、宗務庁版英訳のように植物の繊維を言うのか、紙衣と艾草とを両方用いたのか、どちらか一方であったのかには、幅があります。いずれにしても、本文が語っているのは、一つの衣を替えずに継ぎ重ねて用いる、質素な暮らしぶりです。

「雪峰に参ずるほかは、自余の知識をとぶらはざりけり。」

雪峰に参ずるほかは、ほかの善知識を訪ねなかった、と。これは、【7】【8】の「なんぞ遍参せざる」の問答と対応しています。

師の法を嗣するちから#

「しかあれども、まさに師の法を嗣するちから弁取せりき。」

そうではあったが、まさしく師の法を嗣ぐ力を身につけたのである、と。

この「しかあれども」が何を受けているのかには、幅があります。直前の、ほかの師を訪ねなかったことを受けて「それでも」と言うのか、経書を読まず、ほかの師も訪ねなかったという【9】全体を受けて言うのか。いずれにしても、ふつうに考えれば法を嗣ぐのに足りないと思われるようなことを挙げたうえで、それでも、まさしく師の法を嗣ぐ力を身につけた、と言われています。宗務庁版英訳は「(師の法を嗣ぐ)資格を得た」と訳しています。

経書を読まなかった。ほかの師を訪ねなかった。けれども、一人の師のもとで昼夜に辨道し、師の法を嗣いだ。ここには、師から弟子へ、面と向かって法が伝えられていく、という仏道の伝わり方が示されている、と受けとめることができるでしょう。道元禅師ご自身も、宋に渡り、天童山景徳寺で本師如浄禅師に参じて、その法を伝えられた方でした。

「行持」の巻に伝えられる玄沙#

さきにふれたように、本書がのちに読む「行持」の巻にも、玄沙の伝が引かれています。そこでは、玄沙がつねに終日宴坐(坐禅)していたことが伝えられ、それを受けて道元禅師は、

「終日宴坐の行持、まれなる行持なり、」

と言われています。一日じゅう坐禅をするという行持は、まれな行持である、と。

今回の「一顆明珠」の本文には、玄沙が坐禅をしていたとは書かれていません。ですから、ここで二つの巻を重ねて、一顆明珠の本文の意味を決めることはしません。ただ、道元禅師が、同じ玄沙という人の伝を、別の巻では「終日宴坐の行持」として取り上げておられることは、宗門の立場からこの巻を読む私たちにとって、心にとめておいてよいことでしょう。【1】の「昼夜に辨道す」、【9】の布の衣と継ぎはぎの暮らしは、「行持」の巻の語る終日宴坐の姿と、一つながりのものとして受けとめることができるように思われます。

尽十方世界是一箇明珠〔【10】〕#

「つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、「尽十方世界是一箇明珠」」

ついに道を得て後、人に示して言った。「尽十方世界は、是れ一箇の明珠なり」と。

ここで、この巻の中心となる一句が、はじめて示されます。

「尽十方世界」は、十方(東西南北・四維・上下)のあらゆる世界、すなわちすべての世界です。そのすべての世界が、一つの明るく輝く珠である、と言います。

本文で、玄沙の伝が「娑婆世界」という言葉から始まっていたことを、もう一度思い起こしてみましょう。娑婆世界のなかの一人の釣り人が、舟を捨てて山に入り、つまずいて痛みを覚え、師のもとに戻り、志を先として、ついに道を得た。その人が人々に示したのが、「尽十方世界は一つの明珠である」という言葉でした。巻の語り方としては、伝のすべてが、この一句に流れこんでいくように組み立てられている、と受けとめることができるでしょう。

この一句の本文については、二つのことを述べておきます。

一つは、ここだけが「一箇明珠」となっていることです。本巻で「一箇」はここだけで、ほかの箇所はすべて「一顆」です。訳文は、原文の語を残して区別しましたが、これに意味の違いを見るかどうかは決めていません。

もう一つは、「是」の読み方です。訳文は、「是れ〜なり」と、「〜である」の意に取りました。宗務庁版英訳の注は、本巻第二回の範囲で、道元禅師がこの「是」を「この」の意で読んでおられるとしています。本巻の後の部分には「是一顆珠(ぜいっかじゅ)は」(本巻第二回)という言い方が出てきます。この句をどのように受けとめるかは、本巻第二回で、道元禅師ご自身の言葉に即して見ていくことにします。

また、「人にしめすにいはく」が、一度の示衆を言うのか、くり返し示していたことを言うのかも、決めていません。宗務庁版英訳は「(いつも)言ったものだった」と訳しています。

用会作麼――僧との問答〔【11】〜【15】〕#

ここから本文は漢文に切り替わり、玄沙と一人の僧との問答が引かれます。宗務庁版英訳の注によれば、この問答は『景徳伝灯録』などに見え、道元禅師の真字『正法眼蔵』(第15則)にも収められています。

僧の問い#

「ときに、僧問、「承和尚有言、盡十方世界是一顆明珠、学人如何會得」。」

うかがうところでは、和尚は「尽十方世界は一顆の明珠である」とおっしゃったとのこと。学人(の私)は、それをどのように会得したらよいのでしょうか、と。

この僧の問いは、師の言葉を聞いて、それをどう理解したらよいかを尋ねるものです。私たちも、この巻を読みながら、同じ問いを抱くのではないでしょうか。「尽十方世界が一つの明珠である」とは、どういうことか。どう理解すればよいのか。

本巻の後の部分で、道元禅師は、この僧の問いについて、「学人如何会得。この道取は、たとひ僧の弄業識(ろうごっしき)に相似せりとも、大用現前是大軌則(だいゆうげんぜんこれだいきそく)なり。」(本巻第二回)と述べておられます。この問いを、ただ退けるべきものとしては扱っておられないように見えます。その詳しいことは本巻第二回で読みます。

師の答え「用会作麼」#

「師曰、「盡十方世界是一顆明珠、用會作麼」。」

師は、まず僧の引いた自分の言葉をそのまま繰り返し、そのうえで「用会作麼」と答えます。訳文では「会(理解)して、どうしようというのか」としました。

この「用会作麼」は、本巻の読みの要となるところで、受けとめ方にも大きな幅があります(→読みの分かれるところ)。宗務庁版英訳の「それを理解して何になる」のように、理解は要らない、と受けとめることもできます。書き下しの「会を用いて麼にか作さん」を字のとおりに、会を用いて何をしようというのか、と受けとめることもできます。会得しようとすること自体を問い返し、突き放す言葉と受けとめることも、また、「尽十方世界是一顆明珠」というその言葉自体が言い尽くしているのであって、別に会得する余地はない、という意味に受けとめることもできるでしょう。

本巻の後の部分で、道元禅師は、「玄沙の道(どう)は「尽十方世界是一顆明珠、用会作麼」なり。」(本巻第二回)と、この「用会作麼」までを含めて玄沙の言葉(道得)として扱っておられます。「用会作麼」は、尽十方世界是一顆明珠という言葉に付け加えられた、理解を拒む一言というだけではなく、その言葉とひとつながりのものとして受けとめられているようです。ただ、今回の訳と解説では、その受けとめ方を先取りせず、読みの幅を残しておきます。

宗門の立場から、ここで思い起こされるのは、弁道話の次の言葉です。

「あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを。」(『弁道話』第八回)

自分が仏であるという理解をもって、仏法を知ったと言うのではない、と。そして弁道話は、続けて、「ただまさに、はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとどむることなかれ。」(『弁道話』第八回)と示していました。はじめて善知識に会ったときから、修行の作法を問い尋ねて、ひたすらに坐禅し修行して、わずかな知や半端な理解を心にとどめてはならない、と。

「尽十方世界は一顆の明珠である」という言葉を、頭で理解し、その理解を握りしめることは、弁道話の言葉で言えば「一知半解を心にとどむる」ことになるのかもしれません。玄沙の「用会作麼」を、そうした理解に向かう心を問い返す言葉として受けとめることは、宗門の教えの筋に沿った一つの受けとめ方と言えるでしょう。ただし、理解することそのものを捨てよ、と言っているのかどうかは、ここからは決められません。

来日の問いと、僧の答え#

「師、来日却問其僧、「尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会(にょそもさんえ)」。」

翌日、今度は師の方から、その僧に問います。尽十方世界は一顆の明珠である。おまえは、どう会するか、と。前の日には僧が問い、師が答えました。今度は立場が入れ替わり、師が問い、僧が答えます。

「僧曰、「尽十方世界是一顆明珠、用会作麼」。」

僧は、前の日に師が答えた言葉を、そのまま返しました。尽十方世界は一顆の明珠である。会して、どうしようというのか、と。

この僧の答えをどう受けとめるかも、読みの分かれるところです(→読みの分かれるところ)。前日の師の言葉を、ただなぞって返しただけと受けとめることもできます。また、僧は僧なりに、自分の会得として、同じ言葉を示したと受けとめることもできます。言葉は同じでも、それを言う人と時が違えば、同じことにはならないのかもしれません。本巻の後の部分で、道元禅師はこの僧の答えについて、「いふべし、騎賊馬逐賊(きぞくばちくぞく)なり。」(本巻第二回)と述べておられます。賊の馬に乗って賊を追う、と。この言葉の意味は、本巻第二回で読みます。

黒山鬼窟裏に活計を作す#

「師曰、「知汝向黒山鬼窟裏作活計(ちにょこうこくさんきくつりさかっけい)」。」

師は言いました。「知る、汝が黒山鬼窟裏(こくさんきくつり)に向かって活計を作すことを」。わかった、おまえが黒山の鬼窟の中で暮らしをいとなんでいるということが、と訳しました。

「黒山鬼窟」は、黒い山の、鬼の住む洞窟です。宗務庁版英訳の注は、これが禅の文献で、固定した知的・精神的な立場の狭いところにとらわれていることを言う、よく見られる像である、としています。字のとおりに受けとめれば、玄沙は、師の言葉をそのまま返した僧に、おまえは固定した理解の狭い洞窟の中で暮らしている、と言ったことになります。

ただし、この句の受けとめ方にも幅があります(→読みの分かれるところ)。僧を叱る言葉として受けとめるのが、まず自然な読み方でしょう。けれども、本巻の後の部分では、道元禅師がこの句を取り上げて論じておられ(本巻第二回)、さらに巻の結びには、

「ただまさに黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり。」(本巻第三回)

という言葉があります。黒山鬼窟のなかで進み退く、そのことがそのまま一顆明珠である、と。巻の結びでこのように言われることを思うと、玄沙のこの句を、一方的な否定の言葉とだけ受けとめてよいのかどうかは、巻全体を読み終えたところで考えなおすべきことのように思われます。訳文は字のとおりに訳し、評価を補いませんでした。

「知る」を、それでわかった、と取るか、前からお見通しだ、と取るか、「活計」を、暮らし・生計と取るか、はかりごと・やりくりと取るかにも、幅があります。

弁道話の則公の話と並べて#

さきにふれた弁道話の則公監院の話を、ここでもう一度思い起こしてみましょう。

則公は、青峰禅師のもとで「いかなるかこれ学人の自己なる」と問い、「丙丁童子来求火」(『弁道話』第八回。丙丁の童子が来て火を求める)という答えを得て、それを、火をもって火を求めるのは自己をもって自己を求めるのに似ている、と理解していました。それを聞いた法眼禅師は、

「禅師のいはく、まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。」(『弁道話』第八回)

と言います。まことにわかった、おまえは会していなかったのだ、と。そして則公が、のちに改めて同じ問いを法眼禅師に投げかけると、法眼禅師は同じ「丙丁童子来求火」の言葉で答え、則公はその言葉のもとで大いに仏法をさとった、と弁道話は語っていました。

同じ言葉が、ある時には「会せざりけり」と言われ、別の時には、それによって仏法がさとられる。弁道話のこの話と、玄沙と僧との問答とは、もちろん別の話であり、重ねて解釈を決めることはできません。けれども、同じ言葉を言うこと、聞くことが、言う人・聞く人のありようによってまったく違うものになる、という点で、二つの話は響き合っているように思われます。弁道話は、この話を受けて、自己即仏の「領解」をもって仏法を知ったとするのではない、と結論していました。玄沙の「用会作麼」と「黒山鬼窟」の言葉も、そうした「領解」のあり方を問うものとして受けとめることができるかもしれません。

坐禅と日々の暮らしのなかで#

今回の範囲を、坐禅と日々の修行のなかで受けとめるとすれば、どのようなことが言えるでしょうか。

まず、この巻の語る玄沙は、経書を夢にも見たことのない、一人の釣り人でした。その人が、志を先として、一人の師のもとで昼夜に辨道し、ついに道を得ました。この伝からは、仏道は、学識の多さによって開けるのではなく、志と、日々の行によって開けていく、と受けとめることができるでしょう。宗門で、坐禅を中心とする日々の修行が何よりも大切にされてきたことと、この伝の語るところとは、よく通じ合っているように思われます。

次に、玄沙の言葉は、どれも、身のまわりの具体的な出来事のなかで言われていました。石につまずいた足の痛みのなかで、「是身非有、痛自何来」。師のもとに戻ったその場で、「終不敢誑於人」。遍参しないのかと問われて、「達磨不来東土、二祖不往西天」。そして、道を得てのち、「尽十方世界是一箇明珠」。この最後の一句は、すべての世界を言う、もっとも大きな言葉です。けれども、その言葉は、足の指の痛みや、継ぎはぎの衣や、紙の衣を身につける日々の暮らしと、別のところで言われたものではない、と受けとめることもできるでしょう。

弁道話には、「修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辦道すなはち本証の全体なり。」(『弁道話』第五回)とありました。修行とさとりは一つである。いまの修行も証の上の修行であるから、初心の修行が、そのまま本来の証のすべてである、と。そしてまた、「すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。」(『弁道話』第五回)と。

玄沙が、道を得るまでの修行と、道を得たあとの示衆とを、二つに分けて考えることもできるでしょう。けれども、修証一等の教えに立って受けとめるならば、昼夜の辨道も、継ぎはぎの衣も、足の痛みのなかの猛省も、すでにそのまま仏道の行であり、そこに「尽十方世界是一箇明珠」の一句が現れている、と受けとめることもできるかもしれません。これは本文が直接に述べていることではなく、宗門の立場からの一つの受けとめ方として申し添えておきます。

そして、「用会作麼」の問答は、坐禅をする私たちに、一つの問いを投げかけているようにも思われます。坐禅をしながら、私たちはしばしば、何かを理解しよう、何かを得ようとします。尽十方世界が一顆の明珠であるとは、どういうことだろう、と考え、わかったと思い、その理解を握りしめる。そのとき、私たちは、知らず知らずのうちに、自分でこしらえた理解の狭い洞窟のなかで暮らしているのかもしれません。弁道話の言う「一知半解を心にとどむることなかれ」という戒めは、坐禅のなかで、くり返し思い起こされてよい言葉でしょう。

ただし、巻の結びには、その黒山鬼窟のなかで進み退くことが、そのまま一顆明珠である、という言葉もありました(本巻第三回)。理解にとらわれることを戒めながら、とらわれて迷う私たちのありようも、なお明珠の外にあるのではない、とも読めそうです。そのことが、本巻の後の部分で、どのように語られていくのかを、次の回以降で読んでいきます。

坐禅を始めてみたいと思われる方は、書物だけでなく、近くの寺院の坐禅会などで指導を受けながら坐ってみられるのがよいでしょう。

むすびに――一人の釣り人から、尽十方世界へ#

今回読んだ範囲を、あらためてふり返ってみましょう。

巻は、娑婆世界の大宋国、福州の玄沙山院の宗一大師、師備という一人の人の名から始まりました。在家のころ、玄沙は南台江に舟を浮かべて釣りを好んでいましたが、咸通のはじめ、三十歳で舟を捨てて山に入り、雪峰山の真覚大師(雪峰義存)に参じて、昼夜に辨道しました(【1】)。

あるとき、諸方の師を訪ねようと山を出かけ、石に足の指をぶつけて、「是身非有、痛自何来」と猛省し、すぐに雪峰のもとに帰りました(【2】【3】)。「那箇是備頭陀」と問われて「終不敢誑於人」と答え、雪峰はその言葉をことに愛して、だれもがこの言葉を持っているが、だれがこれを言い得ようか、と言いました(【4】〜【6】)。さらに「なんぞ遍参せざる」と問われて「達磨不来東土、二祖不往西天」と答え、雪峰はことにほめました(【7】【8】)。経書を見たこともない身でありながら、志を先として、布の衣を継ぎ重ね、ほかの師を訪ねることなく、まさしく師の法を嗣ぐ力を身につけた、と語られました(【9】)。

そして、ついに道を得て、「尽十方世界是一箇明珠」と人々に示しました(【10】)。その言葉をどう会得したらよいかと問う僧に、玄沙は「用会作麼」と答え、翌日、同じ問いを僧に向けると、僧は前日の玄沙の言葉をそのまま返しました。玄沙は「知汝向黒山鬼窟裏作活計」と言いました(【11】〜【15】)。

今回の範囲は、道元禅師ご自身の拈提に入る前の、いわば舞台の設定にあたる部分です。けれども、ここまで見てきたように、伝を語る和文のなかにも、問答を引く選び方のなかにも、すでに道元禅師の受けとめ方がにじんでいるように思われます。

次の回では、「いま道取する「尽十方世界是一顆明珠」、はじめて玄沙にあり。」という言葉から始まる、道元禅師ご自身の拈提を読みます。「尽十方世界」とは何か、「是一顆珠」とは何か、僧の問い「学人如何会得」、玄沙の「用会作麼」、僧の答え、そして「黒山鬼窟」の句を、道元禅師が一つずつどのように受けとめておられるのかを、今回「読みの分かれるところ」に挙げた読みの幅とあわせて、見ていくことにします。

読みの分かれるところ#

この回の範囲は、道元禅師ご自身の拈提に入る前の部分で、本文は句の意味をほとんど説明していません。そのため、伝の一文にも、問答の一句一句にも、読み方の分かれるところがあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。

  1. 「不釣自上の金鱗を不待にもありけん」【1】
    「不待にもありけん」は、字のとおり「待たなかったのでもあったろうか」と取ることも、釣りをしながらも、魚が自ずからかかるのをただ待つだけの人ではなかった、と取ることもできます。推量の「けん」を、語り手である道元禅師が伝記に添えた言葉と見て、すぐあとの出家(「たちまちに出塵をねがふ」)を予告する句と読むこともできます。「不釣自上の金鱗」も、字のとおりの魚とも、求めずして自ずから現れる仏道の真実のたとえとも、玄沙自身をそうした金鱗にたとえたものとも取れます。宗務庁版英訳の注では、「不釣自上」の語は如浄禅師の言葉「尽大地人不釣自上」をふまえるかもしれない、とされており、その典拠にどこまで寄せて読むかにも幅があります。

  2. 「是身非有、痛自何来」【2】と「すなはち雪峰にかへる」【3】
    句の形は、本書の訳のように「この身は有ではない。(それなのに)痛みはどこから来るのか」と言い切りと問いに取ることも、宗務庁版英訳のように「もしこの身が本当には存在しないのなら、痛みはどこから来るのか」と条件の形に取ることもできます。「非有」を、身は実体として有るものではない(空である)という教えをふまえた言葉と取るか、その教えの言葉を玄沙が足の痛みのなかで問い直したものと取るか。また、「身は空」という理解と痛みとのあいだに抱いた疑問と見るか、「忽然として猛省して」という導きから、痛みのただなかで何かに気づいた言葉と見るかでも、受けとめ方が変わります。雪峰のもとに戻った理由も本文には書かれておらず、猛省によって諸方を訪ねて回る必要がなくなったと受けとめることも、負傷したために戻ったと字のとおりに受けとめることもできます。

  3. 「那箇是備頭陀」【4】と「終不敢誑於人」【5】
    雪峰の問いは、どれが備頭陀か・備頭陀とは何者か、と取ることも、宗務庁版英訳の注のように、出て行ってまた戻ってきた玄沙に雪峰が驚いている問いと取ることも、玄沙の本来のありようを問うたものと取ることもできます。玄沙の答えは、本書の訳や宗務庁版英訳の本文のように「決して人をあざむかない」と能動に取るのが一つの読みですが、宗務庁版英訳の注では、受け身に取って「決して人にあざむかれない」と読む人もいる、と紹介されています。能動に取る場合も、自分について偽りを言わない(ありのままの自分がここにいる)という意味か、人を言葉でたぶらかさないという意味か、その両方を重ねたものかで、受けとめ方が分かれます。

  4. 「たれかこのことばをもたざらむ、たれかこのことばを道得せん」【6】
    二つの句のあいだに、つなぎの言葉はありません。本書の訳や宗務庁版英訳のように、「だれもがこの言葉を持っているが、だれもこれを言い得ない」と対比に取ることも、二句を同じ向きに取って「だれもが持っているのだから、だれもが言い得るはずだ」と受けとめることもできます。「もつ」を、この言葉を口にする言葉として持っていることと取るか、この言葉の内容を身にそなえていることと取るかにも幅があります。

  5. 「達磨不来東土、二祖不往西天」【8】
    本文に説明がなく、読みの幅が大きい句です。法は場所から場所への行き来によって得られるものではない、だから遍参しない、という答えと受けとめることも、来る・行くという往来のすがたを超えたところで、達磨と二祖のあいだに法が伝わっていることを言ったものと受けとめることも、伝えに反するような否定の言い方そのものに意味を見ることもできます。上の句は伝えと逆のことを、下の句は伝えのとおりのことを言いながら、同じ形で並べられていることの意味も問われてよいところです。続く「ことにほめき」の「ことに」も、「とりわけ」とも、宗務庁版英訳のように【6】の「ことに愛して」に続いて「いっそう」とも取れます。この問答は「遍参」の巻でも取り上げられており、道元禅師の受けとめ方は、その巻を読むときに改めて考えます。

  6. 「用会作麼」【12】【14】
    宗務庁版英訳のように「それを理解して何になる」と、理解は要らないという意味に取ることも、書き下しの「会を用いて麼にか作さん」を字のとおりに、会を用いて何をしようというのか、と取ることもできます。会得しようとすることそのものを問い返し、突き放す言葉とも、「尽十方世界是一顆明珠」という言葉自体が言い尽くしていて、別に会得する余地はない、という意味とも受けとめられます。翌日、僧が同じ句を師に返したことも、師の言葉をただなぞっただけと見ることも、僧なりの会得を示したものと見ることもできます。道元禅師がこの句をどう受けとめておられるかは、本巻第二回で読みます。

  7. 「知汝向黒山鬼窟裏作活計」【15】
    宗務庁版英訳の注によれば、「黒山鬼窟」は禅の文献で、固定した知的・精神的な立場の狭さを言う、よく見られる像です。そこから、僧が固定した理解にとらわれていることを叱る言葉と読むのが、まず自然な読み方でしょう。一方で、道元禅師は本巻の後の部分でこの句を取り上げて論じ、巻の結びでは「黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり」と言われるので、一方的な否定の言葉に限らない読みも考えられます。「知る」を「それでわかった」と取るか「前からお見通しだ」と取るか、「活計」を暮らし・生計と取るか、はかりごと・やりくりと取るかにも幅があります。

参考#

  • 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第四「一顆明珠」
  • 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. I(Sōtō Zen Text Project、2023)
    • 玄沙師備・雪峰義存・天童如浄の生没年、娑婆世界・福州・南台江・雪峰山の説明、伝記と問答の出典(『景徳伝灯録』『聯灯会要』、真字『正法眼蔵』第15則)、「不釣自上」「山にいる」「備頭陀」「黒山鬼窟」についての説明、咸通の年代、達磨・二祖の説明、雪峰の言葉の典拠についての説明、本巻の撰述の時と場所、諸本での位置、巻名の意味と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注・解題によります。