『重雲堂式』を読む――はじめに#
『正法眼蔵』の五つめの巻、「重雲堂式」を、原文・現代語訳・解説をそろえて読んでいきます。巻名の「式」は、きまり、作法の意です。この巻は、「一」という印で始まる短い条を二十一並べた箇条書きの定めで、一つの堂で修行する人々が守るべき心得を、条ごとに示したものです。巻が短いので、一回で読みます。
『重雲堂式』という巻#
巻の終わりには「暦仁二年己亥四月二十五日、觀音導利興聖護國寺、開闢沙門道元示。」という奥書があり、暦仁二年の四月二十五日に、観音導利興聖護国寺を開いた沙門道元が示した、という記録が残されています。宗務庁版英訳の注によれば、この寺は「観音導利興聖宝林寺」の名でよく知られる寺で、宇治の深草にあり、道元禅師が1236年から1243年まで教えられた所です。宗務庁版英訳の解題は、この奥書を1239年の四月、夏安居の始まりに近いころのものとしています。この巻は、宇治の興聖寺で示されたものとされます。
宗務庁版英訳の解題は、興聖寺を、僧堂(「雲堂」とも呼ばれる)の牀の上で坐禅する中国の禅の修行のしかたを日本に取り入れたことで注目される寺とし、この巻は、題が示すとおり、その堂での修行の指針である、としています。また、この巻は和文で書かれているけれども、その内容は、『永平清規』に収められた漢文の修行道場の規則と同じ類に属する、と述べています。
巻の位置について、解題は、この巻がもともと『正法眼蔵』の一巻として書かれたものではなく、『正法眼蔵』の古い写本の系統には見えない、としています。1686年に八十九巻からなる『正法眼蔵』の編集に加えられたのが初めで、のちに九十五巻の編集にも収められ、1815年の本山版で第五の巻とされた、ということです。本書が底本とする本山版では、弁道話・摩訶般若波羅蜜・現成公案・一顆明珠に続いて、この巻が置かれています。宗務庁版英訳は、この巻を補遺(別輯)の第2章に置いています。
巻名の「重雲堂」については、修行者が増えたために建てられた二つ目の堂とする見方、「重」を「式」にかけて「重んずべき式」と取る見方、「重雲」を重なり集まる雲と取り、雲堂に集う修行僧たちを詩的に言うとする見方があります。本書では巻名を訳さずに残し、解説と「読みの分かれるところ」で、これらの見方を並べて示しました。
この回の内容#
| 回 | 題 | 内容 |
|---|---|---|
| 一回で全巻 | 重雲堂式 | 巻頭題、二十一の条(堂に入れるべき人、衆の和合、外出・私語・衣・酒・いさかいの定め、坐禅と朝参暮請、仏祖の制誡と叢林の清規、「以前の數條は、古佛の身心なり」の結び)、奥書、巻末題、付記 |
この回の読み方#
構成は、これまでの巻と同じです。
- 原文 底本の本文を、条ごとに【1】〜【21】と番号を付けて載せています。仮名づかいは底本のままです。奥書・巻末題と、後の人が書き添えた付記も載せています。
- 現代語訳 原文の段落番号と対応させて訳しています。漢文の句には、語注にまず書き下しを示しています。この書き下しは一つの読みで、底本の訓ではありません。仏教語や寺名は訳さずに残し、「語注」で説明しています。
- 解説 条ごとに、その定めが修行の生活のなかで何を大切にしているのかを、本文の言葉に即してたどります。短い条は、いくつかをまとめて扱います。今日の坐禅や暮らしとのつながりにふれるところは、一つの受けとめ方として述べています。
- 読みの分かれるところ 言葉の取り方によって意味が変わる主な箇所を取り上げ、考えられる読み方を並べました。一つの読みを唯一の正解とはしていません。
- 参考 底本と、参照した資料です。
この巻の条文は、道元禅師の時代の興聖寺の堂に向けて示されたものです。書かれた定めを、そのまま今日の暮らしにあてはめることはできませんが、条文の奥に流れる心を、解説では読み取ろうとしています。
底本と参照資料#
- 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第五「重雲堂式」
- 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. VII(Sōtō Zen Text Project、2023)
- この巻の成り立ちと位置、寺名や年代、語句の出典の確かめ、読みの分かれる箇所の参考として用いました。本文中で「宗務庁版英訳」と呼んでいるのは、この書物のことです。この書物の日本語本文は本山版とは系統の異なる写本に拠っているため、字句が本山版と違う箇所があります。本書は本山版の本文に従っています。
解説は、曹洞宗の宗門の立場から書いています。
前の巻は『一顆明珠』を読む――はじめにを、はじめから読みたい方は『弁道話』を読む――はじめにをご覧ください。